遭遇(上)
1.お披露目の街歩き
「……あ、あの、ティール様。本当に、この格好で街へ出かけるのですか……?」
玄関ホール。
姿鏡の前で、シエルは所在なさげに自分のドレスの裾をいじりながら、シエルブルーの瞳を不安げに揺らしていた。
彼女が身に纏っているのは、ガルディニア帝国での騒乱の後、ティールが仕立て屋を片っ端から回って買い占めたドレスの中の一着。
シエルの瞳の色にどこまでも近く、けれどほんの少しだけ深みを持たせた、最高級の勿忘草色のシルクドレスだ。胸元には繊細な白レースがあしらわれ、歩くたびに柔らかに広がるスカートのシルエットはまるで妖精のようだ。髪も綺麗に編み込まれ(ティールの指示である)ドレスに合わせて購入した薄紫のアメジストが埋め込まれた上品な髪飾りで留められている。
その姿は、普段の執行官の制服姿や白いブラウスと黒いロングスカートの侍従服とは打って変わり、どこからどう見ても、大切に育てられた高貴な貴族の令嬢そのものであった。
ソファーに腰掛け、紅茶を口に運んでいたティールは、その青緑の瞳をゆっくりとシエルへと向ける。
「何を不安そうにしている、シエル。これ以上なく完璧な仕上がりだというのに」
ティールは微笑を浮かべたまま、至極当然のことのように言い切った。
そもそも、すでに何百着とあるシエルの衣装。何故ここまで恥ずかしそうにしているのかと言うと、実はこういった服を着て一人で外出することはあれど、ティールやグレイと一緒に出掛けたことがなかったのだ。というのも、もともと孤児であるシエルは私服などどうでもよかったので、結果としてティールの独断と偏見で固められた服しか着なくなり、遂にはシエルの服を選ぶ権利はほぼ無いに等しくなったのだ。
まぁ、これ以上服を増やしたら自分の首を絞めることになるので、こういったフリフリの服しか着ないというわけである。基本侍従服か、執行官制服を着て出ることがほとんどだったシエルは、初めて侍従らしくない服で出かけることに戸惑っていた。
「ただ、あの、私には分不相応ではないかと…私はティール様の侍従、副官であって、このような格好で主人の横を出歩くのは——」
「分不相応…? それこそ、馬鹿げた言葉だ」
ティールはカップをそっとソーサーに戻し、すっと立ち上がった。
「お前はガルディニアで、命の危険に晒されながらも執行官の品格を守り抜いた。これはその正当な報酬であり、お前が胸を張って身に纏うべき権利だ。それに、お前は副官であり侍従である前に我が家の一人娘だ――そうだね、グレイ」
玄関の脇で、いつもより少し仕立てのいい上着を着て待機していたグレイが、サファイアの瞳を細めて嬉しそうに頷く。
「ええ、ティール様。シエル、とてもよく似合っている。あまりに可憐すぎて、街の男どもが色めき立たないか、今から護衛としての腕が鳴るくらいにはな」
「もう、グレイさんまで……!」
シエルが顔を真っ赤にしてうつむくと、足元で端然と座っていたシルヴァが、深いため息を吐いた。まるで「胸を張れ」とでも言うように、シエルのドレスの裾に額を押し付けている。
「ほら、シルヴァもそう言っている。さあ、そろそろ出発しなくては間に合わない。たまには贅沢に、王都のカフェでアフタヌーンティーといこう」
ティールは漆黒のジャケットの裾を翻し、いつも通りハイヒールの音を響かせて優雅な足取りで歩き出した。主の言葉に、シルヴァは再び玄関の定位置へと戻り、美しくお行儀よく座り直して一同を見送るのだった。
2.王都の視線と、特級執行官の特権
ジルニア王国の王都は、ガルディニアの魔道具に溢れた機械的な造りの街並みとは異なり、美しい運河と歴史を感じる古い石造りの建物が並ぶ、活気と洗練に満ちた都市である。
運河を行く船には、貴族の女性たちが豪勢な日傘をさしながら談笑し、道沿いのパン屋では焼きたてのパンを売る少年が両親の手伝いか、大きな声で呼び込みをしていた。
「わあ…相変わらず街中は賑やかですね」
馬車を降り、賑わう大通りを歩きながら、シエルは楽しげに周囲を見渡した。彼女たちが住まう郊外は人の気配の少ない静かな空間だが、少し足を伸ばせば人々の行き交う活気ある街並みが広がる。
しかし、彼女が周囲を見渡すよりも遥かに多く、街行く人々が「彼女たち」を見返していた。
それもそのはずだった。流れるような銀髪を靡かせ、圧倒的な美貌と冷徹なオーラを放ちながら歩く麗人、ティール・エルドラ。その傍らを固めるのは、モデルのように映える長身に大剣を背負い、鋭くも美しいサファイアの瞳で周囲を圧する男、グレイ。
そして二人に守られるようにして歩く、可憐な勿忘草色のドレスを纏った少女、シエル。
「おいおい、あれって特級執行官様だろ?あんな女の子の護衛をしているなんて、一体どこのご令嬢だ?」
「他国のお姫様とかじゃないかしら。でないとジルニアの執行官がわざわざ護衛なんてするはずないじゃない…」
「くぅっ…今日もティール様が美しい……ッ!」
そのあまりにも浮世離れした一団に、周囲の貴族や平民たちは、思い思いに感想を述べながら、思わず足を止めて見惚れていた。
「あの、ティール様。やっぱり、ものすごく見られている気がするのですが……」
シエルが身を縮めるようにして囁く。
「気にする必要はない、シエル」
ティールは周囲の視線など一瞥もくれず、淡々と歩を進める。
「美しいものを視界に収めたいという欲求は、人間の基礎にある本能だ。彼らは今、我が家の優秀な愛らしい娘の姿を脳内に焼き付けている最中なのだから、むしろ光栄に思うべきだね」
「はは、流石ティール様ですね。相変わらずブレがない」
「あぁ、私…今日を無事に終えられるでしょうか…」
グレイがくすくすと笑いながら、顔を真っ赤にするシエルにそっと寄り添い、周囲の男たちの下俗な視線をその広い背中で遮断した。
しばらく歩き、目的地である王都最高峰のカフェ——フルル・キャスケードに到着する。
カフェ、と言うよりも高級サロン、といった佇まいの石造りの建物は美しく、花や植物はしっかりと管理が行き届き、屋内でありながら小さな川や滝が流れる極上の癒し空間だった。
「ごきげんよう、ティール・エルドラ様、シエル様、グレイ様。本日のお席は最上階でご用意しております」
入店するなり奥から姿を現した上品な男性の給仕長は、そう言うと最上階の一日二組しか入ることのできない限定の席へと案内した。
特級執行官という肩書きは、この国において上級貴族と同等、あるいはそれ以上の絶対的な特権を持っている。
あらかじめアフタヌーンティープランの予約はしてあったのだが、まさかこんなにもいい席まで用意してもらえるとは思っていなかったグレイは、改めて特級執行官という立場の力を思い知った。
「いい景色ですね。執行官組織の黒い塔から見下ろすよりも情緒的で、人々の行き交う様子も良く見えます」
「確かに、職場からの景色は視線が高すぎて、どこか違う世界のようにも感じるからね」
王都の運河を一望できるテラス席に案内されてしばらく待っていると、色鮮やかな季節のフルーツタルトを筆頭に、あらゆる種類のタルトと紅茶が運ばれてきた。
普段給仕をする立場にあるシエルは、うずうずとどこか落ち着かない様子でカフェの店員が緊張した面持ちで運んでくるティーセットや、シルバーのトレイを見つめる。
そう見つめては店員に穴が開いてしまうよ、とティールに注意されて慌てて居住まいを正すシエルだったがその視線はやがて整然と並んだタルトたちにくぎ付けになった。
つややかなイチゴ。ブルーベリーがふんだんに使われたもの。イチジクが美しく並んだ花びらのようなデザイン。カットされたマスカットがひしめき合って乗っているタルト。さっぱりとしたレアチーズケーキから、濃厚なチョコレートを使用したものまで。一つ一つが決して大きくなく、あらゆる味を楽しめるよう丁度良いサイズ感で用意されている。
「すごい……なんて綺麗なタルトの宝石箱……」
宝石箱、という安直な表現を巷でよく耳にするが、シエルは実際にそのような光景を目にすると、まさにその通りだと感嘆の声をもらした。語彙力がすっ飛ぶ美しさである。
「さあ、シエル。どれでも好きなものを食べなさい。遠慮は必要無いからね。今日はお前の快気祝いも兼ねているのだから」
ティールに促され、シエルは少し緊張しながらも、まずはその圧倒的な存在感を放ついちごのフルーツタルトを一口大に切り分け、「いただきます」と呟いた後に上品に口へと運んだ。
「……! 美味しい……っ、すごく美味しいです、ティール様!」
口の中に広がる甘酸っぱい酸味。
クッキーのように硬すぎることはなく、またしっとりもし過ぎていないタルト生地。どうやったらこんな食感のタルト生地が出来上がるのか今すぐシェフに詰め寄って問いただしたい気分だったが、それよりも先にこの目の前で美しく並ぶタルトたちをありがたくひとつずつ味わうのが先だった。
シエルブルーの瞳をキラキラと輝かせ、 本当に幸せそうに微笑むシエル。その表情を見た瞬間、ティールは視線をわずかに落とし、カップを傾けながら、フッと誰にも気づかれないほどの微かな、しかし極めて優しい笑みを浮かべた。
「お前がそうやって無事に笑っていられるなら、あの帝国のゴミを片付けた甲斐もあったというものさ」
「そうですね…本当にあの時はヒヤヒヤしました」
グレイもまた、選んだブルーベリータルトを口に放り込みながら、その穏やかな空間を楽しんでいた。
「あの、も、もう1個いいですか?」
既にひとつ食べ終えたらしいシエルが、おずおずとティールに問う。ティールであれば既に満足する量だったが、シエルのその瞳は初めのひとくちを食べた瞬間の輝きを携えたままだった。
「好きにしなさい。何個でも気が済むまで食べるといい」
その言葉に、シエルが小声で「やった…!」と言いながら次のタルト——マスカットがふんだんに乗ったタルトに狙いを定める。
ガルディニアで流した血と、張り詰めていた緊張。それらすべては、この穏やかな午後のひとときのためにあったのだと、彼らは静かに実感していた。
そこへ、その空気に似つかわしくない、よく通る大きな声が響く。
「────お?誰かと思えば、ティールじゃねぇか!奇遇だな」




