穏やかな我が家(上)
ジルニアに戻ったティールたち。
穏やかな時間を過ごす3人と1匹。
新たなキャラクターを交えた、ティールの過去のお話が始まります。
1.白銀の忠義
ガルディニア帝国での激動の日々を終え、5日間の旅路を経てティールたち一行が辿り着いたのは、ジルニア王国の郊外に建つ、静かな館。
ティールが自らの手で設計し、深い森の緑に溶け込むような落ち着いた石造りの外観は、世界で唯一、ティールが「死神」の仮面を外し、ただの1人の女性に戻れる聖域であった。
森のトンネルを抜けた先にまず見えるのは白い石造りのガゼボと、美しい植物と魚が住まう小さな人工池。
奥に建つ、白い屋敷は大きすぎず小さすぎず、彼女のセンスが詰まったまるで絵画のような佇まいである。
重厚な玄関の扉を、グレイが静かに開ける。
その瞬間彼らを迎えたのは、玄関ホールの正面で、まるで彫刻のように端然と座って待っている、人間の子供を優に超える巨体を持つ超大型犬、否、魔獣――シルヴァであった。
主の銀髪を思わせる白銀の毛並みは、留守中も館の管理を任された執行官により完璧に手入れされており、陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
飼い主が帰ってくれば「おかえり!」という気持ちをちぎれんばかりの尻尾等で全面に押し出してアピールすることが多い生き物だが、シルヴァはと言うとそのような真似はせず、「言いつけ通り、完璧にお留守番をしてました」とでも言いたげな、賢く誇らしげな顔でじっと主を見つめている。
その凛とした佇まいに、ティールの青緑の瞳が、ふっと春の陽だまりのように和らぐ。
「ただいま、シルヴァ。おいで」
ティールが細い両手を広げ、穏やかな声で許可を出す。
彼はその瞬間を待っていたのだ。
ゆっくりと、しかしどこか弾むような足取りで近づいてきたシルヴァは、ティールの足元にそっと近づくと、慈しむようにその手のひらに大きな頭を擦り付ける。
「クゥン……」
その巨体からは想像できないほど小さな声で、愛おしそうに喉を鳴らすシルヴァ。ティールはいつもの冷静な表情を僅かに緩め、その白銀の美しい毛並みを細い指先で優しく、何度も撫でた。
「お前がこの館を守ってくれているからこそ、私も安心して仕事を片付けられる。ありがとう、シルヴァ」
ティールがそう囁くと、シルヴァは満足そうに、静かな信頼を宿した瞳で主を見上げた。
「シルヴァ〜!ただいま、 寂しくなかった?」
シエルがシエルブルーの瞳を輝かせながら一歩踏み出すと、シルヴァはティールの許可を再度確認するように一度主を見つめ、ティールが小さく頷くのを見てから、ゆっくりとシエルの元へと歩み寄った。
「よしよし、お前は本当にお利口だな。どうしてこうも人の気持ちが分かるのか不思議でたまらないよ。もしかして…本当にわかっていたりするのか…?」
グレイも静かな微笑みを浮かべ、シルヴァの首元を優しく撫でる。
「さぁ、どうでしょうね」とでも聞こえてきそうな深いため息と共に、シルヴァは幸せそうに少しだけ口角をあげて見せた。
主への絶対的な忠誠と、家族への深い情愛。この大人しく従順な白銀のモフモフに触れているだけで、ガルディニアで張り詰めていた彼らの神経は、ゆっくりと心地よく解きほぐされていくのだった。
2.ティール様のお土産開封の儀
旅の荷解きを終え、一息つくために集まった館の広々としたリビング。
暖炉には火が灯り、シエルが淹れた紅茶が、それぞれのカップから柔らかな湯気を立ち上らせていた。
しかしローテーブルの上やその周囲には、ガルディニアの帝都でティールが買い占めた、大量の箱や包みが積み上げられている。
「さて……買ってきたものを分配するよ。まずはグレイ。お前にはこれだ」
ティールは長い指先で、重たい長方形の木箱をグレイの前に押し出した。
「お、俺にですか?これは……?」
グレイが頭に疑問符を浮かべながら蓋を開けると、そこには帝国の最高峰の鍛冶師が打ったとされる、美しい刃文を持つ最高級の短剣が収められていた。柄には魔力を効率よく伝達する特殊な鉱石が埋め込まれた、まさに一級品である。
「お前の大剣はよく手入れされていて問題なかったが、近接戦闘での短剣が少し磨耗していたからね。ガルディニアの技術は医療に関しては三流だが、魔工技術とそれを加えた鉄を叩く技術だけは、ほんの少し評価できる」
若干の毒を吐きながら、ティールが言うと、グレイはその短剣をまじまじと見つめながら「……! 感謝いたします、ティール様。この刃と我が魂に誓って、生涯お守りいたします」とそのサファイアの瞳に忠義の光を宿し、短剣を胸に抱くようにして深く一礼した。
「大袈裟だね…… そして、シエル。お前にはこれら全てだ」
ティールが片手をあげて示したのは、テーブルの残りのスペースすら埋めつくし、床にまで積み上げられている色鮮やかな衣装箱の山だった。その中身はガルディニアの最新の流行を反映した、最高級のシルクやレースをふんだんに使ったドレス、ブラウス、コートが、これでもかと詰め込まれている。
「えっ!? あ、あの、ティール様、これは一体……?」
シエルは目を白黒させ、あまりの量に圧倒されて固まってしまった。
実はこれは、彼女の昔から変わらぬ一面であった。
ティールはとにかく、自分の大切なもの、とくに可愛らしいものにそれ相応のものを与えることに喜びを感じる癖があった。
シエルに過剰なまでの衣服や装飾品を買い与え、そして身に付けている姿を見て満足する。愛らしいものは、愛らしくある権利があるのだと彼女は言っていたが、シエルは毎度困惑することになるのだ。
自分は一切そういった類のドレスは着ないのだが、一体どう言う経緯でこの趣味が生まれたのかは誰も知る由もない。
あるいは、無意識の反動なのかもしれないが。
「お前がガルディニアで、あの忌々しい毒に侵され、数日間もまともな服を着られなかったことに対する、私からの正当なリカバリーだ」
ティールは完璧なポーカーフェイスのまま、大真面目なトーンで語る。
「ガルディニアの仕立て屋をすべて回って、お前に似合うものを選別し、買い取った。どれも私の審美眼に合格した最高の一品だよ。さあ、遠慮せずに受け取りなさい」
(いつの間にこんなにたくさん…!ま、まさか私が病室にいる間に、ガルディニア帝国の皇室の問題を片付ける傍ら街に行っていたのかしら!?)
シエルの予想は当たりである。
ティールは、面倒な帝国の保守派貴族の脅迫をさっさと片付けた後、グレイをそのままシエルの病室に戻し、すぐさま街に出かけて速攻で衣装を発注したのだ。
一体このご婦人は、なぜ大量に女性用の衣服を買い集めているのか…?と、ガルディニア帝都のブティック全てがザワついたのは言うまでもない。
「ありがとうございます、ティール様…! でも、私の部屋のクローゼットには、とても入りきりません…」
シエルは嬉しさと同時に、常日頃からティールの手によって増えていく物理的な収納の限界に直面し、困ったように眉を下げた。
事実、シエルの私室のクローゼットは他の部屋よりもかなり広く取られていたが、それでもさすがにこの量は入りそうもない。
するとティールは、紅茶のカップをそっとソーサーに戻し、極めて真剣な、まるで国家の重大な司法判断を下すかのような表情でティーカップの中身に視線を落とした。
「ふむ……。確かにそれは、見過ごせない問題だね────グレイ。明日、大工を呼びなさい。この館の空き部屋を改装し、シエルの衣装と装飾品のためのクローゼットを1部屋作らねばならない。これは私に従う者としての品格を保つため、最優先の必要事項だ」
ティールは何の冗談も交えず、どこまでも大真面目に言ってのけたのだ。
「ええっ!? く、クローゼットを1部屋分増築、ですか!?」
シエルが驚愕のあまり声を裏返したが、ティールの決意は岩よりも固かった。
「当然だ。我が家の唯一の侍従が、衣装の収納スペース不足という不条理なストレスに晒されるなど、あってはならない。……グレイ、いいね?」
「御意にございます、ティール様。シエル専用の最高の衣裳部屋を構築しましょう」
グレイは、主の過保護な暴走に対して極上の笑顔で同意した。
しかしその表情の裏には、どこか諦めの色が見えた気がしたが…まぁ気のせいだろう。
こうすると決めれば彼女がそれを曲げることは天地がひっくり返ったとてありえないのだ。大人しく好意を受け取った方が、皆のためなのである。
「あぁ、一生かかっても着れない量の服が増えていく…」
シエルは真っ赤になって両手で顔を覆ったが、その指の隙間から覗く瞳には、世界で一番温かい幸福の光が満ち溢れていた。
グレイはその様子を瞳を細めて親しみ深く見守り、足元ではシルヴァがシエルの足に大きな頭をそっと乗せ、静かに目を閉じて主たちの会話を聴いている。
ティールたちの帰郷は、こうして、どこまでも優しく、少しだけ甘い温度を伴って、静かに始まりを告げるのだった。




