奈落へのチェックメイト(上)
1.白亜の審判場
ガルディニア帝国、王宮の核心部、白大理石の巨柱が並ぶ大謁見の間。
天井の高天から差し込む朝光は、本来であれば帝国の威光を讃える神聖な光であるはずだった。しかしこの日に限っては、それはまるで、壇上に吊るされた罪人を冷酷に照らし出すための舞台照明のようである。
重厚な鉄の扉が、地鳴りのような音を立てて左右に開かれる。
廷臣たちの視線が一斉に集中する中、その長い赤絨毯を歩んできたのは、第二皇子レナードであった。
彼の金髪は、兄妹たちよりも濃くぎらついた色をしており、その傲慢な気性をそのまま体現している。しかし、その足取りはいつもの尊大なものとは程遠く、どこか浮ついていた。
「一体何事ですか! 早朝から緊急の招集などと!」
レナードの黄緑色の瞳が、周囲の空気の異様な冷たさを察知して不快げに泳ぐ。
彼が謁見の間の中心へと達したとき、玉座の直下、かつて彼が「死に損ない」と見限っていた兄の姿がそこにあった。
「遅かったね、レナード。皆、君の到着を待っていたのだよ」
アルベルトの声は低く、そして恐ろしいほどに冷静だった。その響きに、レナードは一瞬、心臓を冷たい手で掴まれたような錯覚に陥る。
「あ、アルベルト……!? お前、なぜ立って……、その体はとうに――」
第一皇子アルベルトは、車椅子ではなく、自らの両足で堂々と大地を踏みしめて立っていた。
淡く繊細な薄い金髪が朝の光に透け、その深い緑色の瞳は、深海の如き静謐さと冷徹さを湛えている。長年の魔力失調が嘘のように、その佇まいからは王族としての確固たる覇気が満ち満ちていた。
「お前の望み通り朽ち果てていなくて悪かったね。……だが、今日ここで語られるべきは、私の体調のことではない」
アルベルトが静かに手を挙げると、その隣から一歩前へ出たのは、妹の第一皇女アナスタシアだった。
兄と同じ薄い金髪を、今日は高くそしてきつく結い上げた彼女は、国を守るための戦に向かう戦士のごとく硬い表情で佇む。
その新緑の瞳は、激しい怒りと軽蔑によって、燃え盛る炎のように鋭くレナードを射抜いた。
「レナード・デル・ガルディニア! 貴方と貴方のもとにいる保守派貴族の者たちに告ぐわ。今日、この場に集まったのは他でもない、貴方たちが犯した罪の数々が、もはやこのガルディニアの法において、一寸の容赦も与えられる余地はなく裁かれる時が来たからですわ!」
アナスタシアの厳しい声が、大理石の壁に反響して響き渡る。
彼女の怒りは、単なる王位継承権の争いによるものだけではなかった。彼女が何よりも許せなかったのは、この愚弟が、自分の大切な客人であり、憧れであるティールに危害を加えたこと、そして何よりそんな彼女を前に大国を収める身でありながら恥をさらした王族としての危機感と責任感である。
かつて魔法大国として名をはせたアッシュフォードの王女であったティール、そしていまや特級執行官という立場の彼女に、同じ魔法大国であるガルディニアがこんな情けない姿を見せるなど、到底許せるはずもなかった。
「な、何を言うのです! 私が一体何をしたというのですか!」
レナードは声を荒らげ、何も知らぬと自らの正当性を主張しようと胸を張った。
しかし、その黄緑色の瞳は、謁見の間の壁際に並ぶ元老院の貴族たちの姿を捉えた瞬間、凍りつく。つい先日まで、自分とともにワインを傾け、ジルニアの特級執行官の失脚を笑い合っていたはずの腹心たちが、一様に青ざめた顔で視線を逸らし、ガタガタと震えているのだ。
彼らの心は既に、昨夜ティールの放った『神の瞳』の恐怖によって完全にへし折られていた。
2.醜悪な泥仕合
「これを見ても、まだシラを切り通すつもりかい?」
アルベルトが淡々と告げると同時に、数人の近衛兵が、レナードの前に山のような書類の束と、不気味な赤黒い輝きを放つ数振りの短剣を投げ出した。大理石の床に、ガランと乾いた金属音が虚しく響く。
「……っ、これは……!」
「元老院、および君の私兵が密輸入、輸出させた、呪詛毒の流通経路の記録だ。そして、君の署名が入った暗殺者への報酬の調達書。――レナード。君は歓迎夜会の裏で、我が国の禁忌である極めて悪質で危険な生体毒を用い、ジルニア王国の特級執行官及びその同行者を暗殺しようとした。これは我が国に対する裏切りであり、ジルニア王国に対する明白な宣戦布告だ」
アルベルトの深い緑の瞳が、一点の曇りもなくレナードの罪を数え上げていく。その淡々とした口調こそが、逆に逃げ場のなさを際立たせていた。
「ち、違う! 私は知らない! 嵌められたのです兄上!」
レナードは血相を変え、必死に周囲の貴族たちを指差した。その見苦しい姿に、謁見の間を埋める廷臣たちから微かな落胆の囁きが漏れる。
「すべてあいつらが勝手に計画したことだ! 私は何も命じてなどいない! 元老院の老人どもが、ジルニアの権威を恐れたゆえに暴走したのだろう! 私はただ、彼らから報告を求められただけで、直接的な関与は一切していない! 嘘だと思うならあの者らにお聞きください!」
「ほう。では、この署名も、君の魔力刻印も、すべて偽物だと?」
アルベルトが冷ややかに問い返す。
「そ、そうだ、偽造!そもそも アナスタシア姉上、お前がアルベルトと組んで、私を陥れるために仕組んだ陰謀なのではないですか!? 私は……私はガルディニアの第二皇子だぞ! このような出所も不確かな紙切れで、私の地位を揺るがせると思っているのか!」
レナードの叫びは、もはや悲鳴に近かった。自らの破滅を認められず、周囲のすべてを呪うように黄緑色の瞳をせわしなく四方へ向けるその姿は、王族としての尊厳など微塵も残っていなかった。
「どこまで見苦しい男ですの……!」
アナスタシアは、軽蔑を隠そうともせずに吐き捨てた。
「元老院の皆々は、昨夜のうちにすべての罪状を白状し、貴方からの指示書を提出なさいましたわ。貴方がどれほど声を大にして叫ぼうとも、その言葉はすべて、自らの首を絞める縄となるだけです!」
「黙れ、黙れ黙れ黙れぇぇ! 誰が信じるか、そんなものッ!」
レナードは狂ったように頭を振り、知らぬ存ぜぬを貫こうと叫び続けた。ガルディニアの最高権力者となるはずだった自分の未来が、一瞬にして瓦解していく現実を、彼の脆い精神は拒絶していた。




