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神の眼(上)

1.魔導機械の国


壮絶な歓迎パーティから解放され、ようやく落ち着きを取り戻した夜。


ガルディニア帝国から国賓のためにと用意された、ホテルのスイートルームに設けられたバルコニー。


街のいたるところに配置された魔導の街灯が、まだ陽の沈まぬ夕刻から淡い燐光を放ち、自律稼働型の給仕用魔導機械が、ホテルの廊下を駆動音を立てて巡回していた。


「実に、賑やかな国だ」


ティールはいつもの完璧な服装ではなく、少しラフな白いゆったりとした部屋着のブラウスを身にまとい、手すりに肘をついて呟いた。眼下に広がる最先端の魔導都市を、どこまでも冷静に、しかし少し物珍しそうに眺めてみると、何処からか聞こえる魔導の歯車が噛み合う音が、一定の周期で鼓膜を叩く。

ジルニアの邸宅にあるような、風が葉を揺らす自然の静寂とは程遠かったが、至るところから感じる魔力の波が、光が、ほんの少しだけアッシュフォードの街並みを思い起こさせた。


(……まぁ、あの街は魔導機械ではなく、もっと純粋な自然の魔力に溢れていたが)


佇むティールの銀の髪を、異国の乾いた風が撫でていく。

たまにはこうして、他国に来るのも悪くないかとフッと息を吐いた。


「ティール様、お茶の準備が整いました。ガルディニアの皇女殿下より贈られた、特産の『微光茶葉』でございます。なんでも魔導技術によって、お茶として出してからレモン果汁を一滴落とすと淡く発光するよう品種改良されたものだとか」


背後から少しラフな服装に着替えたシエルが、優雅な所作で白磁のカップをテーブルへと置いた。

ちなみにグレイは既に個室で休ませてあるため、今頃ひとりでガルディニアについて調べている頃だろうか。


「発光する茶葉、か。いかにもこの国らしい」


ティールがソファーへ腰掛け、細く綺麗な指先でカップの脇に用意されたレモンを一切れ持ち上げる。

こい琥珀色の紅茶にレモンを絞ると、透明な果汁が一滴水面に落ちて波紋を広げる。すると、落ちた場所からじわじわと仄かな光が広がり、やがて馴染んだと思えば紅茶の色は琥珀色から目が覚めるようなレモンイエローへと変わっていた。


一口含むと、彼女の左目が、ほんの僅かに驚きを帯びて開かれる。


(ほう……面白い。装飾的で派手な外見に反して、味は非常に繊細だ。湯の温度が均一に保たれるよう、ポットの底に微小な魔導回路が組み込まれているのか)


シエルが持つガルディニア産のティーポットのそこにある魔法陣の流れを感じ取ったティールは、顎に指を添えて納得する。


シエルの淹れ方の技術と、この国の技術が奇跡的な噛み合い方をしている。他国での騒動はジルニアにとってもティールにとっても厄介でしかないが、こうして異国の洗練された文化を観察するのは、悪くない滞在だ。


「いかがですか、ティール様」


シエルが少しだけ首を傾げ、主の反応を伺う。


「美味しいよ、シエル。お前の技術が、この国の道具の価値を底上げしている」


「恐れ入ります。ティール様にそう言っていただけるなら、この国の不躾な金属音も、少しは許してあげましょう。あの王子はぜーったいに許しませんけどね!」


シエルが誇らしげに胸を張る。

まだ怒りが収まりきっていないのか、頬に空気を含ませて怒るシエルに、ティールはフッと微笑む。


まるで自分のことかのように怒ることの出来る彼女の純粋で優しい心に、ティールは深い尊敬の意を示していた。


そんな感情は随分前に捨て去ってしまった自分とは違う。

彼女の慈しむべき長所だ。


「しばらくはゆっくりしよう。そうだ、お前の新しい服も買わねばならないね」


ふと、ティールが思い立ったように言うと、シエルの表情が若干強ばった。


「ティール様……私の服や装飾品ばかりよく買ってくださいますが……たまにはご自分のものも選ばれてはいかがですか?」


実を言うと、シエルの服は全てティールが見繕ったものであり、ティールの趣味であった。彼女自身が着るものよりも随分とデザインは甘めであり、少女らしいスカートのデザインがほとんどなのは自分が着ない反動なのだろう。

宝石からリボンに至るまで、ティールはシエルの意見を聞く前に購入し、無言で部屋に置いていくのだから、既にシエルのクローゼットや宝石箱はもう一杯だった。


「必要ない。それよりも、お前の服を選ぶ方が余程楽しいからね」


本当にもう入らないんです…という焦りが表情に滲み出る。が、こういう時鈍感なティールがそれに気づいてくれることはなかった。否、もしかしたら気づいているかもしれないが、この問題に関して彼女の意志を組むことはない。

これはティールにとって、ささやかな趣味なのだからだ。


「で、では、明日は私もティール様に似合うものを見つけます!この国のものでティール様にふさわしいものがあると良いのですが。あ、グレイさんにも新しいカフスボタンをプレゼントしましょう。あの人、最初に仕立てたカフスボタンをずっと使ってるみたいでしたし」


記憶の中のグレイのあらゆる衣装を思い返すが、どうも袖を飾るカフスボタンの宝石が1色だった気がしてシエルはそう提案する。

だいぶ身なりにも気を配れるようになったが、そういった装飾品に関してはやはり女性陣の方が鋭い。同じボタンを使っていては、せっかくの格好もつかぬというもの。


「よく見ているねシエル。ふむ、では明日はかなり忙しくなりそうだから早めに休むとしようか」


「はい!ティール様」


こうして夜は更け、寝室には2人分の静かな呼吸音のみが穏やかに響くのだった。




2.審美眼


翌朝、昨日までの張り詰めた空気とは一転して、ガルディニアの帝都は雲一つない快晴に恵まれた。


街へと繰り出した3人は、帝国一の賑わいを見せる中央大通りの喧騒の中にいた。

もちろん、アナスタシア皇女の忠告通り周囲への警戒は欠かさない。だがこれに関しては敵の多い特級執行官としての常日頃の状況と同じであるため特に気にすることは無かった。


ガルディニアの建築はどれも無骨で重厚だが、並ぶ店々のショーウィンドウには、最新の魔導技術を取り入れたきらびやかな品々や、異国情緒あふれる仕立ての服が飾られており、見ているだけで飽きない。


「……随分と人が多いな。ジルニアの市場とはまた活気の質が違う」


一歩引いた位置で周囲を警戒しながら歩くグレイが、小さく呟く。何よりティールの存在を知るものがほとんどいないこの国では「特級執行官だ…」と距離を取ろうとする者がいないのだから当然と言えば当然の光景ではあった。

そんなグレイを振り返り、シエルはいたずらっぽく微笑む。


「ふふ、今日は任務ではなくただのお買い物ですから、グレイさんもそんなに固くならず街を楽しんでください。ほら、ティール様はもうあんなところへ」


シエルの視線の先では、ティールが既に一軒の高級仕立て屋の前で足を止めていた。前髪の隙間から、ガラスの向こうにある淡いアプリコット色のドレスをじっと見つめている。その横顔は、昨夜の冷徹な執行官のそれではなく、完全に「お気に入りの着せ替え人形」を前にした熱心なコレクターのそれだった。


スキップをするように楽しげなシエルの後ろから、慌ててグレイが駆け寄る。


「シエル、あれはいい。お前の白い肌によく映える。袖のレースのあしらいも、今の流行を取り入れつつも上品だ」


腕を組み、至極真面目な眼差しでドレスを見つめながら言ったティール。そのティールブルーの瞳は鋭く細められており、敵でも睨みつけているかのような覇気を感じさせるが、シエルはギギ…と笑顔を引き攣らせた。


「て、ティール様、すぐにドレスをロックオンするのはやめてください! 私のクローゼットの容量はもう限界なんですってば!」


「何を言う。入らないなら部屋を増やせばいい。さあ、まずは採寸からだ」


「へ、部屋を増やすッ!?そんな、無茶苦茶なぁ……っ」


有無を言わさぬ様子で店内に連れ込まれるシエル。呆れたように肩をすくめるグレイだったが、ティールの楽しそうな様子を見て、その口元には自然と穏やかな笑みが浮かんでいた。


店に入ると、直ぐさまティールの目利きの本領が発揮された。

シエルの意見を聞く間もなく、次々と彼女に似合うデザインのドレスから私服として使えそうなものまで選んでいく。

アクセサリー類から、それに合わせた靴までを指定し、店員に持ってこさせると、その表情は実に満足気だった。試着室から出てくるたびに、少し恥ずかしそうに頬を染めるシエルを見て、ティールは「ふむ」と頷いていた。


「……やはり私の目に狂いはなかったね。シエル、それも購入する」


「もう、ティール様ったら……。でも、ありがとうございます。大切に着ますね」


降参、とばかりに苦笑したシエルだったが、ふと店内の別の棚に目を留める。そこには、女性用のドレスに劣らず、仕立ての良い男性用の礼服や、その小物が美しく並べられていた。


(よし、今度は私の番ですね……)


シエルはティールが会計を済ませている隙に、グレイの元へと歩み寄った。


「グレイさんグレイさん、ちょっとこちらへ」


「ん? 俺か?」


女性の衣服の買い物という実に居心地の悪い空間で肩身の狭い思いをしていたグレイが、不思議そうに眉を持ち上げて見せる。そんなグレイを連れて、シエルは男性向けのアクセサリー類が並べられたガラスケースの前に立った。そこには、色とりどりの宝石が埋め込まれたカフスボタンが並んでいる。


「グレイさん、いつも同じカフスボタンを大切に使ってらっしゃいますよね。もちろんそれも素敵なんですけれど、たまには気分を変えてみませんか? 昨日のような夜会や、これからのお出かけ用に、私からプレゼントさせてください」


「お、俺にか?そんな、お前からそのように高価なものを貰うわけには――」


「お断りは受け付けません! いつも私やティール様を守ってくださるグレイさんへの、ほんの気持ちですから」


シエルが胸を張って言い切ると、グレイは困ったように頭を掻いた。アッシュフォードの近衛の生き残りとして、未だにどこか「一歩引くべき従者」としての意識が抜けない彼だが、シエルの真っ直ぐな好意には敵わない。


思えば、あのスパルタ教師から随分と可愛げのある少女に見えるようになったものだ…とグレイは何処か遠い目を向ける。これも彼女のおかげで自分が騎士たるに相応しい佇まいを得たからなのだと、よくわかっていた。でなければ永遠に鞭を振るわれていただろう…。


「どれが良いでしょうか……。グレイさんの瞳の色に合わせて、深みのある藍色のサファイアか……それとも」


シエルが真剣に悩んでいると、いつの間にか背後に立っていたティールが、横からすっと白い指を伸ばした。


「これにするといい、シエル。アッシュフォードの国の紋章にも使われていた、グランディディエライトだ。あの地でしか取れぬ鉱石であり、純度の高い物は極めて珍しい────お前の頑固で、だが決して色褪せることのない忠誠には、この深く気高い青緑が一番よく馴染む」


「ティール様……」


グレイはそのカフスボタンを見つめ、感慨深そうに目を細めた。彼女に口からアッシュフォードの名を出され、胸の奥が温かくなるのを感じる。


「……ありがとう、シエル。大切に使わせていただこう」


「はい! ぜひ次の夜会で着けてくださいね!」


嬉しそうに微笑むシエル。そして、グレイがそのカフスボタンを愛おしそうに受け取る姿を見て、ティールもまた、微かに満足そうな笑みを浮かべていた。


「さて、シエル。グレイのものは決まったね。次は、お前が私に似合うものを見つけてくれる番だろう?」


ティールが少しだけ期待を込めた視線をシエルに向ける。


「もちろんです、ティール様! そうですねぇ……この国の伝統的な刺繍が魔法で施された手袋なんていかがでしょう? ティール様の綺麗な指に、きっと鮮やかに映えますわ!」


「ほう……お前が選ぶものなら、どんなものでも楽しみだね」


店を出た3人の足取りは、昨日までの重苦しさを忘れさせるほどに軽やかだった。ガルディニアの青空の下、プレゼントを探し合う3人の賑やかな笑い声が、帝都の雑踏の中に優しく溶けていくのだった。




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