微震(下)
3.第二皇子レナード
夜会も中盤に差し掛かった頃、一連の会話を観察していた人だかりを割くようにとある人物が現れる。
「……ティール様、例のガルディニア帝国第二王子のレナード・デル・ガルディニア殿下です」
脇からシエルがティールに伝えた。
金髪の美丈夫、年はティールよりも若く、おそらく20歳そこそこに見える。もちろん予めの情報収集によりかなり傲慢な性格で、ほかの王族の言葉にに耳を傾けもしない愚か者だとは聞いていたが、改めて目の前にすると直接伝わるその傲慢さが既に滲み出ていた。
アナスタシア曰く、この弟であるレナードが正しく兄である第一皇子アルベルトを抑え込んで次期皇太子になろうとする保守派のトップであるとか。
どう見ても下が扱いやすそうな性格をしているな、とティールは彼を見上げて即座に判断した。ガルディニア帝国の第二皇子レナードは、傲慢な笑みを浮かべてティールの前へと歩み出る。
「ようこそ、ジルニアの執行官。我がガルディニア帝国では、そちらの国のような『無言』などという奇妙な鉄則は通用せん。力ある者がすべてを語り、すべてを支配するのが、このガルディニアの法だ」
挨拶もほどほど、いきなりのレナードの言葉に、周囲の帝国貴族の一部の者たちが同調するようにくすくすと笑い声をあげる。彼らは、ティールがただの「皇女がわがままで呼んだ、ジルニアの宮廷に飼われたただ美しいだけの執行官もしくは元王女」だと侮っているのだろう。
愚かな第二王子だとは聞いていたが、よくある話で、愚かな者こそ利用される。そして、彼に同調して笑っている者共はこの第二王子派の派閥の人間なのだろう。
もし、この皇子が皇帝になればこの国は終わりだな、とシエルの死んだ魚のような青い瞳がティールよりも雄弁に物語っていた。
「……」
目を合わす価値もない、とティールは前髪の隙間から焦点をレナードの眉間のあたりへと静かに合わせた。
彼女の判断の歯車は、まだ動かない。なぜなら、この程度の傲慢な羽虫の言葉など、彼女を脅かすほどのノイズではないからだ。
(力ある者が全てを語り支配する…か。そのような横暴な法律、聞いたこともないな)
しかし、レナード皇子はティールのその沈黙を「畏怖」だと勘違いし、さらに調子に乗ってその背後にいるグレイへと視線を移した。
「それで、その男……アッシュフォード王国の近衛の生き残りだそうじゃないか。お前、国が滅びたというのに何故まだその女の傍にいる?まさかとは思うが復興でもたくらんでいるのか?だとしたらそれは、不可能だぞ」
どこか嘲笑の混ざった声色に、ひやりと空気が冷えた気がしたのは気のせいではないだろう。
「この世界の魔法大国の名は我々ガルディニアのものだ」
ビキッ、と大理石の床に僅かにヒビが入った音がパーティ会場の騒がしい空間に響いた。
音の出処は——グレイの足元だった。
「……ッ」
ティールと再会したばかりの頃であれば、おそらく声を荒らげ、激怒していたであろう現状にグレイはギリギリ耐えて見せた。いや、耐えたと言って良いのか本当にギリギリだが、足元にヒビが入った程度であればかなり穏便なほうだろう。彼の十七年にわたる放浪と、アッシュフォードへの思いは誰にも負けないのだから。
握りしめた拳から血がにじむほどの怒りを震わせながら、グレイのサファイアの瞳が燃えるような怒りに染まった。
その時。
「レナードッ!!」
鋭い女性の声が、まるで会場を射抜くように響き渡った。
一気にシンと静まり返った会場で唯一響くヒールの音。文字通り人の波を抜けて颯爽と現れたのは、いつもは愛らしい綺麗な顔を激しく怒りに歪めた皇女アナスタシアだった。
レナードと同じウェーブヘアの金髪が歩く度に豊かに波打ち、深紅のドレスが歩く速度に合わせて激しく揺れる。カツカツとティールよりも甲高いヒールの音を響かせてレナードの前にティールをかばうようにして立ちふさがった。
「レナード貴方、誰に向かってそのような口をきいているの?この方は第一皇女である私がお招きした大切な御仁であり、国賓ですのよ?」
「これはアナスタシア姉上、ですから私はこの国のあり方とルールをお教えしていただけですが?」
あくまでも親切心だとでも言いたいのだろうか。姉である皇女を前に、肩を竦めてやれやれとまるで呆れたように息を吐いて見せたレナード。その姿はどう見ても馬鹿にしているようにしか見えない。
「誰がそんなことをしろと命じたのです。勝手な行動は慎みなさい!」
「ハハッ!……第一王子である兄上ならともかく、所詮第一皇女。女である姉上の許可など私に必要あるのですか?」
「!!」
(男尊女卑、そのような文化が残っている国は確かに存在するが、ここまでひどいとは)
ティールは目の前で繰り広げられる実に愚かな言い合いに、冷ややかな視線を向ける。ティールのように女性でありながら執行官組織のトップである特級執行官の立場にあるのは確かに珍しい。だがそれは、彼女の実力がもたらした結果であり、これに異を唱える者など居はしない。しかしこの国では、たとえアナスタシアのようにリーダーシップをもつ皇女であれど、それがまだ通用しないらしい。
実に勿体ない、とティールは小さくため息を吐いた。
レナードの黄緑色の瞳が弧を描き、いっそ憐れむような視線をアナスタシアに送る。
「せいぜい、憧れのティール様と仲良くなさるんですね姉上。尤も、その価値がこの女にあるのかは定かではないですがねぇ?」
鼻で笑い、勝ち誇ったように踵を返そうとするレナード。ふと視線を向けると、その腰元には、ガルディニア帝国の最新魔導技術の結晶である、大粒の魔晶石を埋め込んだ魔道具が誇らしげに輝いているのが分かった。
豪奢な装飾と、多層構造の魔法式。
ティールのわずかに輝いた『神の瞳』がその構造をデータとして捉えると、確かによくできているようで、彼の身を守るための防衛魔法がかけられているらしい。
「……」
グレイの足元のヒビから、冷徹なまでの闘気が立ち上る。
一触即発。だが、グレイがその一歩を踏み出すより先に、ティールの前髪の奥の瞳が、怪しく、そして静かに細められた。
4.ティールブルーの強襲
(ガルディニアの魔導技術、ね)
ティールは一言も発しない。ただ、彼女の内に眠る『神の瞳』が、ほんの僅かに、呼吸をするように脈動した。
ジルニアでの建国祭では、確かにあちらの魔道具にティールの魔力波形が盗まれた。なかなか精巧な作りなのは、今目の前にある最新の魔道具からも『神の瞳』を通して見て取れる。
しかし、決してやられたままではいないのがティール・エルドラである。
「……ふ」
それは攻撃ですらない。ただ、吐息とともに、ティールの魔力を、ほんの一瞬だけ、あの魔道具目掛けて流しただけだった。
それだけで、十分だった。
――キィィィン!!
突如、会場全体に耳を劈くような高周波の音が響き渡る。
音の発生源は、他でもない、レナードの腰に下がった最新鋭の魔道具だった。
「な、なんだ!? 何が起きて――うわあああっ!?」
レナードが叫ぶと同時に、魔道具に組み込まれていた魔晶石が、制御を失って真っ赤に熱を持った。アッシュフォード由来の高度な魔力波長に触れたことで、ガルディニアの手による自称「完全な魔導回路」が乱され、魔力の許容量を超えて暴走を始めたのだ。
「で、殿下! 道具を捨ててください! 回路が暴走しています!!」
護衛の騎士たちが慌てて叫ぶが、遅い。
ボンッ!!という派手な破裂音と共に、自慢の魔道具がレナードの腰元で文字通り爆発した。殺傷力こそないものの、吹き出した強烈な煤煙と魔力の衝撃波がレナードを直撃する。
「ぐぁあっ!?」
レナードは無様に後ろへひっくり返り、大理石の床を転がった。
きらびやかだった金髪は煤で黒焦げになり、高級な礼服はボロボロに裂け、まるで煙突掃除でもしたかのような姿で床に這いつくばる。
「レ、レナード!?」
アナスタシアは驚きに目を見張った。
シン、と静まり返る会場。レナード派の貴族たちは、あまりの無様な姿に声を失っていた。
「我が国の魔導王国としての力」と豪語した直後に、自らの身に帯びていた最新の魔道具が勝手に自爆したのだ。これ以上の皮肉はない。
「う、動くな! 誰の仕業だ! 襲撃か!?」
うろたえるレナードの護衛たちが、周囲を警戒して剣に手をかける。しかし、ティールもグレイも、シエルすらも、その場から一歩も動いておらず、呪文を詠唱した形跡すら一切ない。
ただ、冷ややかな沈黙があるだけだ。
「……ふっ、お見事な『支配の法』ですね、第二王子殿下」
静寂を破ったのは、ティールの冷徹なまでの煽り文句だった。クスクスと、だが会場全体に届くような美しくも上品な声で笑ってみせる。
「ジルニアの執行官たるティール様の御前でそのような道具一つの制御すらできずに破壊してみせるとは……ガルディニアの『魔法』とは、随分と賑やかで、優雅さに欠けるもののようですね、ティール様」
「な……貴様……っ!」
顔を真っ赤にし、煤まみれの顔でシエルを睨みつけるレナード。だが、起き上がろうとした彼の前に、グレイが静かに一歩、立ちはだかった。
地響きでも聞こえてきそうなほどの灰の威圧感が、這いつくばるレナードを見下ろす。
「……これ以上、我らの主の時間を無駄になさいませんよう」
低く、地を這うような声。その眼光に宿る本物の戦士の殺気に射抜かれ、レナードはヒッと短い悲鳴を上げて身をすくませた。先ほどまでの傲慢さは木っ端微塵に砕け散り、ただの哀れな敗北者がそこにいた。
「レナード、見苦しいわ。早く下がって衣服を改めてきなさい」
アナスタシアの冷ややかな、そしてどこか哀れむような言葉が、レナードのプライドに止めを刺す。レナードは悔しさに歯噛みしながらも、護衛の騎士たちに抱えられ、逃げるようにパーティ会場から去っていった。
周囲の貴族たちはというと、遠巻きにティールたちを見つめ完全に震え上がっている。
あの装置が自壊するなどあり得ないことは、ガルディニアの民の方がよく知っていたはずだ。となれば、何者かが細工をしたと考えるのが定石であったが、レナードも言ったように至近距離で見ていても彼女は何もしていないように見えたことは事実だった。
だが、どう考えてもこの一連の騒ぎは彼女が「何かをした」結果だ。
そうなれば、ただそこに佇んでいただけで、特に特殊な魔法の行使もなく帝国の最新技術をあざ笑うかのように一瞬で破壊してみせたという解に至るわけだ。
「……やれやれ、退屈しのぎにもならないな」
ティールは小さく息を吐くと、興味を失ったように、再びグラスへと視線を戻した。
5.猛り立つ新緑の炎
騒がしかった会場の熱気を残したまま、ティールたちはアナスタシアの案内で、月光が美しく差し込む宮殿のテラスへと移動した。
ひんやりとした夜風が、パーティ会場の不快な熱気と煤の匂いを吹き流してくれる。
「……ティール様、まずは我が弟レナードの不躾かつ無礼な振る舞い、深くお詫び申し上げます。まさかあのように多くの者の前で、あの愚弟が早速このような醜態をお見せしてしまうなんて……」
アナスタシアはそう言うと、帝国の第一皇女としての立場を捨て、心からの謝罪として深く頭を下げた。落ち込んだ表情が彼女の顔に暗く影を落とし、鮮やかな真紅のドレスの裾が、月明かりを受けて静かに揺れる。
「頭を上げなさい、アナスタシア皇女」
ティールは手にしたグラスの琥珀色の液体を揺らしながら、静かに、しかし穏やかなアルトで言葉を返した。
「貴女の謝罪など不要だ。あれはただ、羽虫が勝手に光に集まり、自ら発火して散っただけの話……ちょっとした試験にはなったよ」
窮屈な敬語をあえてやめたティールに、アナスタシアはフッと心が軽くなったのを感じた。テラスの扉の向こうにはシエルとグレイが控え、自分たちの他に誰もいない静かなテラス。ガルディニアの乾いた夜風が、二人の長い髪を攫っていくと、自然とアナスタシアの表情にも微笑みが戻った。
「ふふ……本当に、お見事な手際でしたわ。まさか一瞬の魔力干渉だけで、最新の魔導回路を過熱させて破裂させるなんて……レナードのあの無様な顔、少し胸がすく思いでした」
アナスタシアはクスッと可憐に笑うと、少しだけ肩の力を抜き、ティールの隣で、テラスの欄干に身を預けた。先ほどまでの「帝国の皇女」としての凛とした仮面が剥がれ、年相応の憂いを帯びた一人の若い女性の顔が覗く。
そんな彼女の横顔を前髪の隙間から見つめ、ティールは気になっていた問いを投げかけた。
「……ところで、一つ尋ねても? 先ほどレナードの口から出てきた『第一皇子』についてだ。皇帝陛下の威光が失墜している以上、第一皇子である殿下はどちらに?これほどの夜会だというのに、そのお方の姿が見えないようだが」
ティールの問いに、アナスタシアの表情がふっと陰った。彼女は夜空に浮かぶ月を見上げ、深く、重い吐息を漏らす。
「……兄のことですね。我がガルディニア帝国第一皇子、アルベルト・ロー・ガルディニアです」
ドアのそばで控えていたシエルとグレイも、静かにその会話に耳を傾ける。
「兄は……原因不明の『魔力失調症』を患っておりましてね。もう何年もこの宮殿の奥深くに引きこもり、誰とも会おうとしないのです」
「皇子が魔力失調症……?そのような話、ジルニアでは聞いたことがないな」
「ええ……それに関しえては父が徹底して情報を漏らさぬよう防いでおられるのです。皇妃であるお母さまが亡くなり、覇気を失った皇帝陛下、さらには次期皇太子であるアルベルト兄上が病に臥せったとなれば、他国が地盤の崩れた我が国を狙うのは時間の問題でしょう」
確かに、アナスタシアのいう事は尤もであった。この国の現状はあまりにも脆い。魔法大国という名がその後ろにあるからこそ、周囲の国々はガルディニアとの交流を望み、その未来を注視しているだろう。そんな時に後継者問題などが出てくれば、よく肥えた家畜を一匹、ハイエナの群れの前で離すようなものだ。
たちまち食い尽くされるのは目に見えていた。
「幼い頃の兄は、誰もが次期皇帝としての未来を確信していたほど、聡明で優しく、そして強大な魔力を持つ誇らしい兄でした。父様が覇気を失ってからも、兄さえ戻ってくれればこの国は立ち直ると、私はずっと信じていたのですけれど……」
アナスタシアは自らの胸元をぎゅっと清廉な手で握りしめた。
「体内の魔力循環が突如として狂い始め、今では魔力を行使するどころか、日常の体を動かすことすら苦痛を伴う状態なのです。数々の名医や魔導師を呼び寄せましたが、原因すら特定できず……いつしか兄は『自分はもう帝国の廃物だ』と心を閉ざし、部屋から出てこなくなってしまいました」
「……なるほど。だからこそ、あの愚かな第二皇子が図に乗っているわけか。正当な後継者が表舞台に出てこられないのを良いことに」
ティールが冷ややかな分析を口にすると、アナスタシアは力なく頷いた。
「その通りですわ。元老院も、扱いやすいレナードを次の皇帝に据えようと裏で画策しています……私だって、本当なら兄に代わって国を導きたい。けれど、帝国の古い掟がそれを阻み、兄の痛ましい姿が——これ以上私を一人で前には進ませてくれないのです……」
ぽつりと漏らされたアナスタシアの吐息には、一国の皇女としての孤独と、愛する兄を救えない絶望が滲んでいた。国賓としてのティールの前で見せた立ち振る舞いも、すべてはこの歪んだ帝国で「大切な家族と国を守るため」に彼女が必死に抗ってきた証だったのだ。
夜風が静かに二人の髪を揺らす。
ティールは手元のグラスを傾け、一口だけ口に含むと、月光を見つめたまま静かに呟いた。
「……原因不明の、魔力失調症、か」
未知の病に対して、人はあまりにも脆い。
治癒魔法が存在するとはいえ、それですらどうにもできない「魔力が失われていく病」となればその絶望は当然のものだろう。
魔法が当然のこの世界で魔力が失われていくこの疾患を患う者はかなり少ない。魔法を行使するのに必要不可欠な身体の内部にある魔力の流れがそもそも脆弱化しているようでは、治癒魔法も行き届かないのだろう。
彼女の兄を敬う気持ち自体は分からなくは無いが、ティールからすれば、彼を立ち上がらせるよりもはるかにアナスタシア自身が発起した方が効率的でありこの国のためになると考えていた。
「きっと兄も、ティール様とは気が合うと思うのですけれど。今の状態では難しいですわね……弱音ばかりで申し訳ございません。気が滅入ってしまいますね。そろそろ私は戻りますわ。明日、ティール様たちは街を見物なさる予定でしたか?」
空気を変えるように、アナスタシアがそう尋ねる。
「あぁ、せっかくだから見て回るつもりではいるよ」
「でしたら是非、王宮の奥にある大魔導書庫へ足を運んでみてください。貴女様にお会いしたいと、うちの管理人が申し出ておりました。きっと、損はさせませんわ」
「……考えておこう」
こうして、波乱に満ちた長い夜会は幕を閉じたのだった。




