無自覚な麗人と、色めき立つ薔薇の庭園(下)
4.国境を越えた【ティールブルー】の連帯
王都中が色鮮やかな旗で飾られ、無数の松明が夜空を焦がす「建国祭」。
今回の式典は例年と異なっていた。
オルセン公爵の死後、事実上の影の支配者となったティール・エルドラの威光を拝むため、近隣の諸王国や帝国から、名だたる大貴族や若き王女、要人たちがこぞって国賓として招かれていたのだ。
他国の若き王子やエリート外交官たちは、色めき立っていた。
「我が国の姫君たちが、揃って『王都のティールブルーに逢いに行く』と聞かないのだ。一体どれほどの傾国の美女なのか、この目で確かめてやる」
――彼らは勘違いしていた。【ティールブルー】という異名で噂が広まりすぎた結果、他国ではティール・エルドラが『世界を惑わす妖艶な絶世の美女』だと誤認されていたのである。
いや、美女であることには違いはないのだが。おそらく一般的な美女とはイメージの大きく異なるティールのそれを、他国の貴族たちが知る由もない。
そんな噂など露ほども知らないティールは、建国祭の会場である白亜の大晩餐会会場へ、今日も完璧なポーカーフェイスで足を踏み入れた。
ーーーーカツ、カツ、カツ……
本日の衣装は、仕立ての良い黒に近い緑色のジャケットに、流麗なストレートスラックス。白い襟には細身のリボンが結ばれ、大ぶりの青緑の宝石が飾られている。そして、髪をまとめたグランディディエライトの髪飾り。
「な……ッ!?」
他国の王子たちが、一斉に息を呑み、絶句した。
現れたのは、ドレスを着た美女ではない。男よりも遥かに紳士的で、どの王族よりも気高い、完璧なパンツスタイルの正装を纏った、月光の如き麗人だった。
ティールは前髪の隙間から冷徹な目を走らせ、心の中で淡々とため息を吐く。
(……他国の人間が多いな、いつも以上に騒々しい)
脳内は退屈な建国祭とやらに参加しなければならない憂鬱な気分でいっぱいだったが、その気高くも冷徹な佇まいは、フロアにいた「ある層」を一瞬で熱狂の渦へと叩き落とした。
「キャっ!!」
短い悲鳴のような吐息が、フロアのあちこちから漏れる。
王都の令嬢たちだけではない。他国からやってきた若き王女や女公爵たちが、ティールのそのあまりの美しさに一瞬で胸を撃ち抜かれ、揃って頬を真っ赤に染めて身を震わせたのだ。
5.無自覚な弾丸
ティールたちが入場してしばらくした後、様子を伺っていた周囲の面々の中から一人、他国の血気盛んな若き王女が赤面しながらもその気品を保ち、ティールの前へと進み出た。
勇敢にも自ら声をかけに行った一人の王女に、直視してはあからさまだと謙遜したのか、周囲の視線がチラリと向けられる。
「ご機嫌よう、特級執行官ティール・エルドラ様。我が国でも、あなた様の噂はかねがね……」
恭しく淑女らしい礼をして見せようと、王女は持っていたグラスを脇にいた侍従に手渡すために手を伸ばした。が、緊張ゆえか震えが手元を僅かに狂わせ、グラスに入ったワインが傾き、その赤い雫が溢れ出てきたではないか。
(おや……)
瞬時にティールの脳内で計算されたワインの軌道。
このままでは彼女の淡いピンクのドレスが血のように染まることは必然だ。
「おっと、危ない」
咄嗟に、ティールは深く耳に心地よい声で静かに告げると、流れるようなエスコートの動作で王女の細い手首と腰を優しく引き寄せた。さらに、そのままワインの落下軌道から彼女のドレスの裾を遠ざけて、王女を引き寄せて一瞬空いたもう片方の手でグラスを見事に受け止めて見せた。
「お怪我はありませんか?その美しいドレスが汚れては、この建国祭の輝きが曇ってしまうところだった」
「――ッ、あ、あ、……っ!!」
ティールにとっては「ただより騒がしくならないための合理的なトラブル回避」だったが、王女にとっては「自分のために瞬時に動き、ドレスを気遣ってくれた、最高にスマートで優しい紳士の抱擁」そのものだった。王女はティールの美しいティールブルーの目に見つめられ、あまりのエレガントさに完全にフリーズし、顔を湯気が立ち上るのが目視できるほど真っ赤にして俯いてしまった。
その際蚊の羽音のような王女の「い、いぃ匂いがしますぅ……」
という言葉が呟かれたが、それがティールの耳に入ることはなかった。
この一部始終を見たジルニア王都の令嬢が、何故か「ご覧なさい、うちのティール様を」と言わんばかりに小さな黄色い悲鳴と共に誇らしげに囁き合い始めた。
「ご覧になって? かの国の王女様も、一瞬でティールブルーに染まってしまわれましたわ!」
「当然です。ティール様の美徳の前に、国境など無意味なのですから……フフ」
後ろに控えるグレイは顔を引きつらせ、隣のシエルに視線を送った。
「……シエル。ティール様は、ついに他国の王族まで無自覚に陥落させ始めたようだな。このままだと、近隣諸国とティール様の奪い合いという名の外交問題に発展しかねないのでは……」
「問題ありません、グレイさん」
シエルはスカイブルーのリボンを揺らし、ふん、と勝ち誇った笑みを浮かべる。
「どこの国の王女様がどれだけ憧れようと、ティール様の横で、最高温度の完璧なお茶を淹れられるのは私だけなのですから。……他国のお茶など、我が家でいただくお茶の足元にも及びません。そのような場所へティール様が永住されるはずは無いのです」
グレイはその説明に妙に合点が行き「なるほどなぁ」と肩を竦めた。
6.ティールブルーの夜明け
夜会の終盤。
「ティール様、是非とも近々うちの領地へ足を運んではくださいませんか」
「ティール様!良いお話があるのですが、少しだけお話よろしいですかな?」
あの王女の一件を皮切りに、他国の要人たちがティールを囲み、同盟や裏の取引を持ちかけようと視線で牽制し合っていた。
(面倒だ。どいつもこいつも、自分の利にしか興味のない有象無象にすぎんな)
話を右から左へ、そして社交辞令を上手く使いこなす特級執行官ティールにも、さすがに限界は存在する。
そろそろ殺気という名の、比較的穏やかな武力でもって押しのけて帰ろうかと思っていた。
そんな矢先。
「……皆様、夜会の終盤に野暮な政治のお話は、淑女に対して少々不躾ではありませんこと?」
一人の上位貴族の令嬢が、どこから取り出したのか、ティールブルーの扇でふわりと口元を隠しながら、要人たちへ朗らかに、しかし冷ややかな微笑みを向けた。
それを合図に、会場中の一部の令嬢たちが一斉に扇とハンカチを広げたではないか。
男たちが政治的な取引を持ちかけようにも、令嬢たちが絶妙な立ち位置で「ティール様、今宵の感謝を」「素晴らしいお姿でした」と次々に声をかけ、壁のように立ち塞がる。
貴族の男たちにとって、自国の高位貴族の娘たちを力ずくで押し通ることなど絶対にあってはならない社交界のタブー。そもそも紳士として論外の行動である。
それに加え、会場を埋め尽くす青緑の波――それは「我が家の令嬢(あるいは妻)はティール・エルドラ支持派である」という無言の政治的圧力でもあった。オルセン公爵の一件があってすぐのこの状況に、無闇にティールを害せば、自国の貴族社会そのものを敵に回しかねないわけだ。
「な、何だこの連帯は……!? 女性たちが全員、ティール・エルドラを守るように動いている……!」
男たちが手出しできず絶句する中、モーセの海のように美しく開かれた道を、ティールが優雅に歩み出す。
国境を越え、身分を越えて結束した「ティールブルー」の会員たちが、無言のままティールの周囲に美しく強固な「人間の壁」を形成したのだ。
男たちの政治的な邪推や、要人たちの無遠慮な接近を、彼女たちの圧倒的な気品と無言の圧力が完璧にシャットアウトする。その様は正しく、ティールの姿を手本としたものであった。
他国の外交官たちが、その異様な、しかし美しすぎる光景に戦慄を覚える。
ティールは、周囲を取り囲む美しい青緑の波を見渡し、前髪の隙間からフッと蕩けるような大人の笑みを浮かべた。
(……なるほど、今夜のドレスコードは青緑だったのか?なかなかマナーの行き届いた令嬢たちだ。騒がしい男どもを遠ざけてくれたのもありがたい。おかげで、この場を去れそうだね)
どこまでも無自覚なまま、ティールはカツ、とハイヒールを鳴らした。
「素晴らしい夜会だったよ。私はそろそろお暇するとしよう。皆さん、心ゆくまで楽しい時間を過ごして欲しい」
ティールのそんな言葉が響くと、「ティールブルー」の令嬢たちは一斉に歓喜の吐息を漏らし、主のために最も美しい礼を見せた。
夜会の輝きを反射する、ティールの髪で輝くグランディディエライト。
彼女が中央を優雅に歩けば、国境を越えた全ての女性たちが、まるで本物の王を称えるかのように、無言のまま最大級のカーテシーを捧げるこの光景。
ティール・エルドラという存在が、無自覚な美貌と紳士的な優しさだけで、世界の女性陣による勢力図を完全に塗り替えた瞬間だった。
彼女の「完璧なお茶会の平穏」は、今や一国の権力だけでなく、世界中の令嬢たちの熱狂的な愛によって、絶対に侵せない無敵の聖域へと昇華していくのだった。
「ふふ、よくやってくれました。持つべきものは、やはり女性の味方ですね」
そんななか、シエルは1人、そう呟いてティールの後へ続いた。
何を隠そう、ティールの「平穏」を守るため、表の貴族社会の男たちがティールに政治的な陰謀を仕掛けないよう、令嬢たちの恋心を利用して完璧な「ティールブルー」という名の監視網を作ったのは彼女だ。
「我が主を男たちの汚い政治から守りなさい」という、ティールブルーの謎の創設者の指示は、ファンクラブに行き渡り、今や大変な希少価値のあるアッシュフォード産の最高級のグランディディエライトから抽出した染料を再現し、ふんだんに使用して届けられたハンカチや扇は、今日、彼女たちの武器となった。
これぞ、ティールを支えると決めた1人の少女の底力。
シエル。
彼女の手腕はもしかすると、ティールよりも狡猾で上手なのかもしれない………




