無自覚な麗人と、色めき立つ薔薇の庭園(上)
1.白亜の庭園への行進
舞踏会から数日後……
王都でも屈指の歴史を持つ、エインズワース伯爵家の広大な庭園。
本日は、王都の若き令嬢たちが集う大規模な「初夏の園遊お茶会」が催されていた。色とりどりの華やかなドレスが咲き乱れる中、やはり話題の中心は、オルセン公爵の失脚後に名実ともに王都の頂点へ君臨した特級執行官――ティール・エルドラのことだった。
「――ティール・エルドラ様、ご到着です」
給仕の声が響いた瞬間、それまで姦しかった令嬢たちのさえずりが、水を打ったように静まり返る。
現れたティールは、今日も完璧に仕立てられた、タイトな黒のパンツスタイル。歩みを重ねるたびに、外套の裾からアッシュフォードの青緑色が気高く翻る。
その心地よいリズムを刻む靴音が近づくだけで、最前列にいた侯爵令嬢たちは、まるで見目麗しい王子様を迎えるかのように、一斉に頬を薔薇色に染めて胸元を押さえた。
ティールは完璧なポーカーフェイスのまま、前髪の隙間から冷徹な右目を走らせ、心の中で静かに息を漏らす。
(……相変わらず、他家のお茶会は人が多くて退屈だな。敷地は広いが、我が家の庭園ほど美しい静寂はない。シエルの淹れる茶の方が美味いし、何より、今頃留守番をしているシルヴァが寂しがっていないだろうか……)
脳内で留守番中のシルヴァへの心配を巡らせているティールだったが、表向きは、周囲を圧倒する孤高の王者の佇まいそのものだった。
ティールの背後には、今日は白い爽やかなワンピースを身にまとったシエルが、他家の給仕など目に入らないと言わんばかりの完璧な所作で付き従っている。そしてその一歩後ろには、衣服を完璧に整え、細身の大剣を背負ったグレイが控えていた。
2.落とされたハンカチ、罪深きアルト
エインズワース家の令嬢に促され、ティールが特等席の白いガゼボのソファーへと優雅に腰掛ける。
その瞬間、周囲の令嬢たちの間で、彼女に最も近い席を確保するための、声なき熾烈な視線の戦争が勃発した。
「て、ティール・エルドラ様……! その、本日も、銀糸のような御髪が本当にお美しいですわ......!お化粧の紅の色も、とてもよくお似合いです」
一人の勇気ある令嬢が、赤面しながら声をかける。
「恐れ入ります。……おや?」
ティールがいつも通り冷静な声音で応じた瞬間、緊張のあまりか、その令嬢の握りしめていた手からシルクのハンカチがハラリと床へ落ちた。
「あ、も、申し訳ございま――」
令嬢が慌てて拾おうとした、その時。
「構わないよ。そのままに」
ティールはフリルの袖口を滑らかに揺らし、令嬢が屈むよりも早く、長い指先でスッとハンカチを拾い上げた。その流れるような、無駄のない洗練された動作。
そしてティールは、拾い上げたハンカチを令嬢の手元へ戻す際、前髪の隙間から覗く右目を、ほんの僅かだけ、柔らかく細めたのだ。
「繊細なドレスだ。もし汚れてしまえば、大変だろう」
ティールからすれば、シエルがいつも時間をかけて完璧に衣服を整えて管理しているため、この令嬢のドレスも万が一汚れがあれば侍従が大変だろう、というただのその後の手入れを考えた話である。
だが、この言葉は、それこそ年頃の令嬢の胸を射抜くには十分すぎるほどの威力を持っていたうえ、色々と勘違いを引き起こすのは必然とも言えた。
「――ッ!? は、はい……っ!!」
ハンカチを受け取った令嬢は、ティールのあまりの華麗なエスコートと、耳に心地よい低音の声に完全に脳天を撃ち抜かれ、卒倒寸前でハンカチを強く握りしめた。
周囲の令嬢たちからは、「ずるいわ!」「私もハンカチを落とせばよかった……!」という、激しい嫉妬の視線が集中する。
後ろに控えるグレイはというと、目元をピクリと震わせ小声でシエルに囁いた。
「……シエル。ティール様は、ご自分がどれだけ罪深い弾丸を撒き散らしているか、自覚していらっしゃるのか?」
「グレイさん、愚問ですね」
シエルは完璧な給仕の微笑みを崩さないまま、誇らしげに胸を張る。
「ティール様は、その存在自体が罪深いほどに美しく『完璧』なのですから。当然と言えば当然の結果です。そして何より、あの無自覚な気高さこそが、我が主の最も尊い部分なのですよ」
3.お茶会の女王
お茶会が進み、エインズワース家が誇る最高級のダージリンが、ティールの前の白磁のカップに注がれる。
ティールは優雅な所作でカップを傾け、一口含むと、周囲に分からない程度に小さく眉をひそめた。
(……やはり、少し湯の温度管理が甘いな。茶葉の開きが早すぎて、渋みが前に出ている。シエルの淹れる、あの完璧な温度の紅茶には程遠い)
脳内で、理想的な紅茶の出し方について分析し、渋い表情を表に出すことなく飲み込んだティール。
しかし、そのほんの僅かに眉をひそめ、物憂げに遠くを見つめる横顔すらも、令嬢たちにとっては『何か深い国家機密を憂う、孤独で気高き英雄の姿』にしか見えなかった。
「ご覧になって、あのアンニュイな眼差し……」
「女性らしいお顔立ちなのに、漂う色気が完全に大人の殿方のそれですわ……」
「ティール様になら、私、すべてを捧げても悔いはありません……っ!」
もはやお茶会ではなく、ティール・エルドラという唯一無二の王を拝むための「拝謁会」と化していた。
ティールはカップをソーサーに戻すと、カツリ、と微かな音を響かせ、立ち上がった。
「素晴らしいお茶会だったよ、エインズワース令嬢。だが、私の庭園で、可愛い『待ち人』が首を長くして待っているのでね。そろそろ失礼させてもらうよ」
「ま、まあ……! 左様でございますか……! お引き止めしては、ティール様のご不興を買ってしまいますわね」
エインズワース令嬢は、ティールが言った「可愛い待ち人(※犬)」を、何か特別な重要人物か何かと勘違いし、畏れ多そうに深く一礼した。
「行くぞ、シエル、グレイ」
「はい、ティール様。お帰りの準備は完璧です」
「御意に、ティール様」
翻るアッシュフォードの青緑。
ティールが歩き出すと、庭園にいた全ての令嬢たちが、名残惜しそうに、しかし熱烈な憧憬の視線をその背中に送り続けた。
他家のお茶会を、ただ無自覚な美貌と気品だけで完全に制圧し、大量のファンを量産したティール。
本人がその事実に気づき、頭を抱える日は、おそらく永遠に来ない。
彼女は今夜も、世界一美味いシエルの紅茶を飲み、世界一愛くるしいシルヴァのモフモフに癒やされるため、完璧なポーカーフェイスで我が家へと帰還するのだった。
やがて、ジルニア王国に令嬢たちの間で【ティールブルー】という名でファンクラブが出来上がるまで、そう時間はかからなかった。




