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嵐の前の紅茶と灰の記憶(上)

1.最後の特訓、完璧なる調和


廃教会での激闘から明けた、翌日の午後。


ティール・エルドラの邸宅の庭園は、いつもと変わらない、しかしこれまでで最も洗練された静寂に包まれていた。

白のレースが敷かれたテーブルの上には、シエルが持てる技術のすべてを注ぎ込んで淹れた、極上のダージリン。湯気と共に広がる芳醇な香りが、初夏の柔らかな木漏れ日の中に溶けていく。


「――お見事です、グレイさん。カップを置く音、ソーサーの角度、完璧です。もう私から教えることは何もありません」


シエルが、スカイブルーのリボンを小さく揺らしながら、満足そうに微笑んだ。

グレイは、白磁のティーカップをそっとテーブルに置くと、ホッと小さく息を漏らした。十七年間の荒事の癖を、シエルのスパルタ指導によって完全に「気品」へと昇華させた彼の佇まいは、今や王都のどの大貴族の近衛をも凌ぐ、洗練された「優雅な盾」そのものだった。


「感謝するよ、シエル。お前の厳しい指導のおかげで、ようやくこの衣服に恥じない男になれた気がするな」


グレイが顔を綻ばせると、シルヴァが静かに歩み寄ってきた。

白銀の超大型犬は、グレイの仕草を合格だと認めるように、つんと鼻先で彼の膝を小突き、そのままいつもの特等席へと向かう。

ソファーに深く腰掛けたティールは、シルヴァの頭を優しく撫でた。許可を得たシルヴァは、嬉しそうにティールの膝に大きな顎を「すんっ……」と乗せ、上目遣いでじっと主を見つめる。


「ふむ……確かに、これならばどこの茶会に出しても恥ずかしくないだろう。この静寂が、お前たちの手によってより完成されたものとなった」


ティールは低い、落ち着いた声で二人を讃えた。前髪の隙間から覗く右目には、深い満足感と、この上なく穏やかな慈愛が滲んでいる。


しかし、その美しいテーブルの上には、場違いな「一冊の古びた帳簿」が置かれていた。

グレイがヴァルベルク商会から命がけで奪い、廃教会から回収してきた、十七年前の真実だ。




2.白磁の上の真実、静かなる誓い


ティールは細く綺麗な指先で、その帳簿のページを静かにめくった。

そこには、具体的な名前は暗号などによって明確に記されていないが、アッシュフォード王国を裏切るために動かした莫大な金の流れ。そして――当時十歳だったティールを確実に暗殺するため、城の隠し通路の情報を買い取り、騎士団を罠にハメて皆殺しにした生々しい記録が、克明に記されていた。


「……オルセン。あの老害は、あの日、私の父や母だけでなく、まだ近衛の見習いだったお前たちの誇りまで、すべてを金で買い、そして灰に変えたのだな」


ティールの声は、驚くほど冷徹で、静かだった。

激昂するわけでもなく、ただ事実を淡々と見つめる横顔。だが、その周囲の空気が、凍りつくように張り詰めていく。

グレイは衣服の胸元を強く握りしめ、静かだが苛烈な怒りの炎を灯していた。


「……俺は十七年間、ただ己の無力さを呪い、裏切り者への憎しみだけで生きてきました。ですが、この帳簿を見て、ようやく分かりました。俺が本当に引き金を引くべき相手は、あの王都の頂点に座る老骨だったのだと」


「グレイさん、目が血走っていますよ」


シエルが静かに、しかし冷酷なブルーの目でグレイを窘めた。


「ティール様のお茶会に、過去の怨恨は不要です。……私たちはただ、ティール様が勝ち取られたこの美しい『今』を汚そうとする害虫を、明日、踏み潰しに行くだけなのですから」


シエルの言葉に、グレイはハッとして息を呑み、すぐに普段の顔を取り戻す。


「……すまない、シエル。その通りだ」


ティールはフッと余裕に満ちた笑みを浮かべ、カップを口に運んだ。


「お前の復讐は、もう私たちの戦いだ、グレイ。お前が完璧な作法を身に付け、私の家の一員となった以上、お前の過去の因縁も、私が終わらせる責任がある」


ティールは膝の上のシルヴァの白い毛並みを優しく撫で、二人に真っ直ぐな視線を向けた。


「明日、元老院議事堂へ向かう。コソコソと奇襲をかける必要はない。私は特級執行官ティール・エルドラ。白昼堂々、執行官の最高権力者として、あの老蜘蛛の喉元へ挨拶にいこう」


「「御意に、ティール様」」


二人の忠臣の声が、完璧に調和して響いた。

お茶会の香りの向こう側で、17年の時を超えた最後の行軍への決意が、静かに、しかし絶対の絆として固まった瞬間だった。





3.元老院議事堂、堂々たる進軍


翌日。


王都の中心部にそびえ立つ、大理石造りの壮大なる元老院議事堂。


その中央廊下を、カツ、カツ、カツ……と、容赦のない、圧倒的な威厳を放つハイヒールの音が進んでいた。


「な、何事だ……!? 特級執行官がなぜここに!?」


「あの左側にいる男……昨日噂になっていた、新しい執行官の護衛か?」


周囲の近衛兵や貴族たちが、その背にある大鎌を見て恐怖と動揺を隠せず道をあけていく。

中央を歩くティール・エルドラは、黒のジャケットにスラックス、そして歩みを重ねるたびに外套の裾からアッシュフォードの青緑を誇らしげに翻していた。

彼女の右には隙なく控えるシエル、左には細身の大剣を背負い、顔を厳粛に引き締めたグレイ。

裏社会の王としての覇気を表の最高執行官の権威で包み込んだ三人の進軍は、議事堂全体の空気を支配していた。


「止まれ! ここから先は元老院最高幹部、オルセン公爵閣下の執務室だ! 許可のない者は――」


重厚な扉の前で立ちふさがった二人の精鋭近衛兵。

しかし、彼らが言葉を言い終わる前に。


「下がっていなさい。私の邪魔をするな」


ティールの低い、地を這うような声が響いた。

次の瞬間、シエルが影のように踏み込み、近衛兵たちの武器の手首を正確に叩いて無力化する。


「ティール様に武器を向けるなんて、命が惜しくないようですね」


同時に、グレイが洗練された美しい動作で、元老院の象徴である重厚なオーク材の扉を、白昼堂々と力強く蹴り開けた。

ドォン!! と激しい音が議事堂内に轟き、扉が左右に弾け飛ぶ。


「な、何事だッ! 誰の許可を得てここへ――」


部屋の奥、豪華な執務机に座っていた老人が、驚愕に顔を歪めて立ち上がった。

彼こそが、十七年前のすべての糸を引き、今も王都の頂点から世界を欺き続ける裏切りの黒幕、オルセン公爵その人であった。


夜霧の廃教会を越え、完璧な形へと至ったお茶会での決意を経て、ついに三人の刃が真の敵の首元へと到達した。




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