第50話 安心感はヤンデレを超える
朱美が沙橙の家へと戻ってきた夜、朱美は布団を被りながら震えていた。
紫音に迫られた時のことを思い出すと、恐怖感と共に妙な興奮を覚えてしまうからだ。
自分はおかしくなってしまったのではないかと考え始めると止まらなくなり、結果的に眠れなくなるという悪循環に陥っていた。
「……朱美ちゃん」
コンコンとノックの音と共に聞こえてくる優しい声色。その主は誰あろう沙橙である。彼女はゆっくりとドアを開け静かに入室すると、朱美の近くまで寄ってきてそっと肩に手を添える。
「……眠れない?」
「うん……」
沙橙の手のひらから伝わる体温によって少しずつ落ち着きを取り戻し始める朱美。しかしそれと同時に先程までの記憶がフラッシュバックし、再び頭の中でぐるぐると渦巻いていく。
紫音に襲われかけた際の体験がトラウマとなりつつあり、次もまた同じように襲われるのではないかという恐れから解放される兆しが見えない。
そんな時、不意に沙橙が朱美の布団に入ってくる。
突然の出来事に驚きつつも抵抗する余裕もなく、気づけば温もりに包まれていた。
「沙橙……?」
薄闇の中で浮かび上がるシルエットから視線を上げると、すぐ目の前に沙橙の顔があった。その表情は穏やかでありながらも、どこか緊張感を孕んでいるようにも見える。
「朱美ちゃん、大丈夫。怖がらなくていいよ」
柔らかく囁かれる言葉に心が少しだけ軽くなるのを感じた矢先だった。ふとした拍子に沙橙の腕が朱美の体に巻き付き、ぎゅっと抱き寄せられてしまった。そのまま密着する形となり互いの体温が直接伝わってくる。
「えっ? 沙橙、これは一体……」
困惑しつつ問いかけるも沙橙は答える代わりに優しく頭を撫でるだけだ。
その仕草は何故か心地よく、次第に緊張がほぐれていき、呼吸が整っていくのを感じる。
「落ち着いた?」
「……少しはね」
正直なところ不安は完全に消えたわけではないものの、少なくとも過剰に取り乱すようなことはなくなったと思う。そこでふと気になることがあった。
「沙橙は、おかしくならないの?」
「……お察しの通り、ボクも完全に大丈夫なわけじゃない。今にも理性が崩壊してもおかしくないと思う」
「……」
「……でもね」
沙橙が僅かに身を離すと真っ直ぐな瞳で朱美を見据えた。その眼差しには強い意志の力が籠っており、一瞬心を奪われてしまうほどだった。
「朱美ちゃんはボクを助けてくれたから。今度はボクが助けたい。他の誰よりも大切だから、傷つけたくないんだ」
「沙橙……」
沙橙の告白は非常に重い意味を持っているように感じられ、同時に自分がどれだけ愛されているかを実感させられる内容でもあった。
朱美は一瞬躊躇した後、意を決して自分から沙橙の腰に手を回し、より強く抱きつく。
その動作に対して沙橙は少し驚いたような表情を見せたもののすぐに微笑み返してくれた。
「ありがとう、沙橙。本当に嬉しい」
二人の間には言葉では表せないほどの絆が芽生えつつあることを感じ取りながら、あの三人のことはもう考えないことにした。
このまま二人で築き上げる未来図に思いを馳せながら、翌朝を迎えることになるのである。




