第49話 やっぱり先輩もおかしい!
中学を卒業してから一人暮らしをしているようで、紫音の家はマンションの一室だった。
チャイムを鳴らすとすぐにドアが開かれ、そこに立っていたのは相変わらず綺麗な紫音。かつての面影を残しつつ大人びた雰囲気を漂わせていた。
「いらっしゃい、朱美」と優しく微笑まれると心臓が跳ね上がりそうになるものの、努めて平静を装う。
「お邪魔します」
玄関を抜けると広々としたリビングがあり、大きな窓からは都会の夜景が一望できた。家具類はセンス良く配置され、清潔感に溢れている。
ソファへ腰掛けるよう勧められると同時にグラスに入った飲み物が提供された。またなにか危ないものが入っていないかと警戒しながらも、口に含むと柑橘系の爽やかな風味が広がり、少し落ち着くことができた。
「紫音先輩……その、色々ありがとうございます。蒼衣たちのことはまだ整理できてませんけど、落ち着いてるって聞いて安心しました」
「無理もないわね。あなたは被害者なんだから……ゆっくり整理していくといいわ」
紫音の穏やかな語調によって徐々に緊張が解れていく。しかし、そんな空気を壊すかのように紫音の表情が急に真剣なものへと変わる瞬間があった。
「でも……これだけは言っておきたいことがあるの」
朱美が思わず姿勢を正すと、紫音は一拍置いてから静かに切り出した。
「私は……あなたのことが好きよ」
予期せぬ告白に頭が真っ白になる。それでも言葉の意味を理解した途端に顔が火照り始め、動揺を隠せなくなった。
「え……?」
「ごめんなさい、急にこんなこと言われて困るわよね。でも……どうしても伝えておきたくて」
紫音の表情には真剣さと優しさが入り混じりながらも、どこか切なげな色が漂っていた。その眼差しは強く揺るぎないもので、朱美はどう返答してよいかわからないまま時間が過ぎていく。
紫音はその反応を汲み取ったのか、小さく息をついてから立ち上がりカーテン越しに外の景色を眺めた。
その姿はどこか儚げで、触れてしまえばすぐに崩れてしまいそうな印象を与えるものだった。
「朱美、あなたが誰を選ぼうとも自由だけれど……それはそれとして強引にでも奪ってしまいたいわね」
「――っ!」
紫音の声音には抑えきれない情念のようなものが込められているようで、その圧倒的なプレッシャーに押しつぶされそうになる朱美だったが、なんとか踏ん張りつつ相手を見据えた。
紫音が朱美に向き合うと、その瞳には決意の色が宿っているように見える。そしてゆっくりと近づいてくるにつれて室内の温度が上昇しているような錯覚を覚えたほどだ。
「紫音先輩、本気なんですか……?」
「冗談でこんなこと言うと思ってるの?」
「……いいえ」
紫音の手がそっと頬へ添えられると、そのまま引き寄せられてしまう。抵抗することもできず身を委ねているうちに唇同士が触れ合いそうになる寸前でピタリと制止する紫音。そして再び視線が交わったときには妖艶な笑みを湛えていた。
「今からすること、ちゃんと覚悟しなさいよ」
「や、待っ――」
最後まで言い切る前に口を塞がれてしまった。優しくも深いキスによって思考回路が麻痺していくような感覚を覚えながらも、徐々に力が抜け落ちていく自分を感じ取った時には既に遅かった。
美桜や蒼衣が暴走している時のような狂気が満ちており、その背徳感に蝕まれていくようだった。
「朱美……逃げようなんて考えない方がいいわよ。絶対捕まえるから」
舌が絡み合う淫靡な音が室内に響き渡る中で朱美はただ為す術もなく弄ばれるのみだ。理性の壁が薄皮一枚のレベルで脆くなりつつあることだけは自覚しながらも、抗おうとする意志すら溶かされていくように感じていた。
(あ、もうダメだ……)
頭の中が真っ白になる瞬間を迎えようとしている矢先だった。突如としてインターホンが鳴り響き、慌てて身を離す紫音。その隙を利用して部屋の隅まで後退し呼吸を整えようとするもまだ心臓の鼓動は速いままだ。
「はぁ……はぁ……」
紫音は少し残念そうな表情を見せつつも、インターホンに向かって応答している。
そこで紫音とインターホン越しに話をしているのが聞き覚えのある声だと気づいた。
まさかと思いながらも、この部屋に来たのは――沙橙だった。
「……すみません、朱美ちゃんを連れ戻しにきました」
沙橙が突然やってきたことで一気に状況は変わり、朱美にとっては助け舟となった。
一方で紫音は明らかに機嫌を損ねた様子を見せつつも冷静さを取り戻したように見える。
「……そう。わざわざご丁寧にどうも」
短いやりとりのあとインターホンが切れると紫音はため息交じりに朱美を見る。しかしその眼差しには先程のような狂気じみた色はなく、ただ寂しげな輝きだけが残されていた。
「ごめんなさいね、朱美。ちょっとやり過ぎちゃったみたい」
「……紫音先輩」
朱美もまた複雑な感情を抱えつつも、今は安堵感の方が勝っていた。どうやら紫音も自分を取り戻したようだ。
その後沙橙に促されるようにして朱美は玄関へ向かう途中で振り返り、紫音と視線が交差する。
「またいつでも遊びに来てちょうだい」
「……はい」
小さく笑顔を交わしつつも、朱美の心には新たな課題として紫音との関係について考えるべき材料が追加されたことは否定できなかった。
こうして一夜にして様々なことが起こった一日を終えつつある中で、朱美はまだ解決すべき問題が山積みであることを改めて思い知らされるのであった。




