第48話 先輩からの電話
朝日が昇り始める頃、朱美は目を覚ました。昨夜、沙橙の家に泊まったことで心身共に幾分か回復したように感じる。
それでもどこか胸の奥には不安が巣食っている感覚を拭いきれなかった。横を見ると沙橙はまだ眠っているようで、静かな寝息だけが響いていた。
「本当に、いい子だなぁ……」
なぜかその顔に言い表せないほどの安心感を覚えてそう呟いた。そうして起き上がろうとしたとき、突然スマホが振動し始めた。画面には『非通知』と表示されている。朱美は一瞬ためらったものの、恐る恐る通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『朱美? 今どこにいるの?』
「え、紫音先輩!?」
スマホ越しに聞こえる天使のような声は間違いなく紫音のものだった。紫音が卒業してからは連絡を取ることも少なくなっていたため、なぜ今ここに連絡が来るのか全く見当もつかない。
『蒼衣から聞いたわ。ずっと謝ってたわよ』
「え? ……もしかして、美桜と蒼衣がおかしくなってしまったこと知ってるんですか?」
『本人から連絡がきてね。朱美にひどいことしたって泣いてたわ』
紫音の声音には憂いが含まれており、何やら深刻な事情があったらしいことを窺わせた。
しかし朱美としては詳しい状況まで把握できていないため困惑するばかりだ。
「あの……紫音先輩、詳しく教えてもらえますか?」
少し間を置いてから、紫音はゆっくりと話し始めた。
どうやら、やはりなにかに影響されておかしくなっていたらしく、少なくとも今はかなり落ち着いている状態らしい。
また美桜については現状確認しづらい部分が多いものの、少なくとも暴走状態ではないと推測されるという。
「そうだったんですね……」
紫音の話を聞きながら朱美は胸を撫で下ろした。少なくとも事態が収束に向かいつつあるという情報を得られたことで多少なりとも安心できた気がした。
『朱美、もしよければだけど……しばらくうちに来ない?』
「えっ!?」
『あの二人とはまだ会いたくないでしょうし、ちょっとした休憩も兼ねて……ね?』
紫音からの思わぬ提案に戸惑いを覚える一方で、どこか惹かれる部分もある。しかし安易に乗っていいものかどうか迷っているところへ沙橙が起きてきたようだ。
「……朱美ちゃん、誰と話してるの?」
「あ、沙橙……実は紫音先輩からで……」
簡単に説明すると沙橙は黙って耳を傾けてくれる。
事情を理解した沙橙は納得したように頷き、朱美の方をちらりと見た後で静かに口を開いた。
「……いいんじゃないかな。ボクも朱美ちゃんが安心できる環境の方が良いと思うし」
予期せぬ援護射撃を受けたことで、朱美の心は大きく揺らいだ。確かに紫音の家であれば周囲に邪魔されることなくゆっくりできるだろうし、何より憧れの先輩との再会という点でも魅力的ではある。
ただ同時に一抹の不安も残っている。過去の出来事を考えれば油断は禁物だし、まだ完全に解決していない問題も多い。
「……紫音先輩、もし本当に迷惑じゃなければお邪魔してもいいですか?」
迷った末に出した結論だったが、電話越しでも分かるほど紫音の声が弾んだように感じた。
『もちろんよ! 待ってるわね、朱美♡』
その一言と共に通話は終わりを迎えた。
朱美はスマートフォンを手に持ちながらしばし呆然としていたものの、沙橙の視線を感じて我に返る。沙橙もまた不安そうな顔つきをしていることが見て取れ、不安と期待が入り混じった奇妙な感情を抱えながら朱美は深呼吸をする。
「これで良かったのかな……」
「……朱美ちゃんが決めたことなんだから反対はしないよ。ただ、もしなにかあったらボクを頼ってね」
沙橙の言葉には温かさが滲んでおり、その思いやりに触れるだけで心が少しずつ温まるような気がした。
朱美は微笑みながら感謝の意を示し、早速荷物をまとめる準備に取り掛かったのである。




