第46話 安心感のあるクラスメイト
――それからしばらくして、なるべく遠くへ行こうと一心不乱に駆けた先には通い慣れた中学校があった。
景色も見ずに、余裕なく走っていたらここにたどり着いたらしい。
無意識のうちに、ここが朱美にとっての安息の地になっているのだろうか。
「はぁ……はぁ……」
呼吸を整えようと深く息を吸うと同時に、足がガクッと崩れ落ちるようにして地面に膝をつけてしまった。
ここまで全力疾走するようなことがこれまでなかっただけあって体力的に厳しかったのかもしれない。そんなことを思いながら辺りを見回してみると、またも見知った顔に出会った。
「さ、沙橙……」
「……朱美ちゃん?」
近づいて来る人物は、紛れもなくクラスメイトの一人である沙橙。
「……大丈夫?」
沙橙が朱美の肩に触れて優しく問いかける。しかし今の状況を考えると顔を合わせられるわけもなく俯くだけしか出来なかった。視線を逸らしたまま答えた。
「大丈夫じゃないかも……実はさっきまで逃げて来たばっかりで……」
自分自身でも情けなくなるぐらい声量が小さくて聞き取りづらいものになってしまったかもしれない。それでもしっかりと伝わったようで「……そっか」とだけ返事をしてくれた。何も聞かないでくれるところに朱美がホッとしていると、沙橙から更なる質問が投げ掛けられた。
「……怪我とかしてない?」
その問いかけに対し首肯で応じると、沙橙は納得したように何度か小さく頷いていた。
「……何もされてないんだね? それなら良かった……」
「うん、平気……だ、よ……?」
そう言った直後に目尻のあたりから冷たい雫が流れ落ちる。
自分が泣いているという事実を認識すると、朱美は涙をどんどん溢れさせた。
「……落ち着くまでボクの家にいなよ」
沙橙に案内されるがまま学校を去り、数十分ほど歩いた後、静かな住宅街にある二階建ての一軒家へと辿り着いた。門扉を開けて中に入るなり沙橙だけ靴を脱いで廊下を進んで行く。
一方の朱美は靴を買う余裕もお金もなく、ボロボロになってしまった靴下しか履いていない。
「……朱美ちゃん。シャワー浴びてきたら?」
「ありがとう……」
促されるまま浴室まで移動し衣服を脱ぐ。
そこで鏡を見ると、思っていた以上に疲労の色濃い顔をした自分自身の姿が映し出されていた。こんな調子で本当に助かったのか疑念さえ生まれるほどに。
とにかく一刻も早く疲労を取り除くべく早速シャワーのノズルを手に取りレバーを捻る。勢いよく流れ出てくる温水によって全身を打たれ続けたことで、徐々にではあるものの気持ちが落ち着き始めてきた。
「……本当に、なんだったんだろうなぁ……」
シャワーを浴び終え、湯気の中でため息をつく。身体中に残っていた汗や埃が洗い流されていく感覚とともに、少しずつ冷静さを取り戻していく。
しかし依然として心配や恐怖は完全には消えないままだった。
「……朱美ちゃん、着替え置いておくね」
浴室の外から沙橙の声が聞こえる。ドア越しに響くその声には温かさが込められており、彼女の存在がどれだけ救いになっているかを改めて感じた。
自分が追い詰められているときに誰かが傍にいてくれることのありがたさを痛感せずにはいられない。
「ありがとう……助かるよ」
シンプルな受け答えながらも、朱美はそっと微笑む。身体だけでなく精神も癒やすためには必要な時間だと自分に言い聞かせる。
それでも脳裏に浮かぶのは、妹や幼なじみの豹変した姿。彼女たちの行為が本心からの愛情表現なのか、単なる狂気なのか判別できず混乱するばかりだった。
「ふう……」
一度深く息を吐く。体全体が弛緩したような感覚と共に、少しだけ楽になる。身体の汚れと一緒に心の澱みも洗い流せる気がした。
「よし……」
シャワーを止め、タオルで身体を拭き上げる。用意されていた着替えを手に取ると、シンプルなスウェットパンツとパーカーだった。大きさもちょうど良く、サイズ選びにも沙橙の気遣いが垣間見える。
リビングに戻ると、すでに夕食の準備が整ええられていた。テーブルには温かなスープとふっくらとした白いご飯が並んでおり、香ばしい匂いが食欲を刺激する。
「わぁ……おいしそう」
思わず声が出てしまう。沙橙は小さく頷きながら隣に座った。
「簡単なものしか作れなかったけど……お腹空いてるよね?」
控えめな声音には心配が滲んでいる。彼女の視線がどこか遠慮がちに向けられる中、朱美はゆっくりと首を横に振った。
「全然……むしろすごく助かるよ。ありがとね、沙橙」
「……どういたしまして。たくさん食べて」
沙橙は小さく微笑むと箸を手に取り、食べ始めた。それにつられるように朱美も箸を持つ。スープを一口飲むと、温もりが胃の奥まで染み渡り、疲弊していた身体にじんわりとエネルギーが広がっていく。
「はぁ……生き返る……」
「……うん、美味しそうに食べる朱美ちゃん見てるとボクも嬉しいよ」
沙橙の言葉に照れ臭くなりながらも、朱美は次第に笑顔を見せた。
そして二人はしばらく黙々と食事を進め、空腹を満たしていく。会話こそ多くはないものの、その静けさは居心地が良かった。




