第10話 紫音(えっちな先輩)ルート③
「それはね、恋よ」
「……はい?」
紫音の言葉に、朱美は素っ頓狂な声を上げる。
だが紫音は気にせずに続けた。
「その人のことを考えると胸が苦しくなるんでしょう? それはもう恋以外の何物でもないわ」
「いやいや、そんなことないですって! そんな簡単に……」
紫音の言葉に反論しようとする朱美だったが、それを遮るように紫音は話を続ける。
まるで獲物を狙う肉食獣のような目に、朱美は射竦められたかのように動けなくなっていた。
「きっかけは? その子とどんな話をよくするの?」
「そ、それは……」
紫音の勢いに押されながらも、朱美は必死に考える。
確かに沙橙とは趣味の話でよく盛り上がるし、よく話す方だとは思う。
でも、だからといってそれが恋に結びつくかと言われればそんなことはないはずだ。
「ほら、思い出してみなさい」
紫音は朱美の顎を掴むと、そのまま自分の方を向かせる。
目の前には美しい紫音の顔が迫っていた。
「っ!!」
その距離に思わずドキッとするが、すぐに顔を背ける。
だが紫音は朱美の頬に手を当てると、無理やり自分の方を向かせた。
「ちゃんとこっち見なさい」
「うぅ……はい……」
有無を言わさぬ迫力に押され、朱美は紫音の目を見るしかなかった。
紫音の瞳の中に自分が映っているのがわかるくらい近い距離で見つめられて、顔が熱くなるのを感じる。
「その子とキスしたいとか思ったことはない?」
「……ないです」
朱美は小さく首を振る。
正直、沙橙とキスしたいとは思わなかった。
「じゃあハグしたいとかは?」
「……まあ」
これも正直に答えるしかなかった。
沙橙は結構な闇を抱えていそうで包み込みたくなることはあるが、だからと言ってそこに恋愛感情があるわけではない。
むしろ友人としての親しみを込めたものでしかないのだ。
紫音は朱美の返答に満足気な表情を浮かべると、顎から手を離した。
そしてそのまま朱美を抱きしめる。
「っ!?」
突然のことに驚く朱美だったが、なぜか抵抗する気にならなかった。
むしろこのままずっとこうしていたくなるような安心感がある。
「これが恋よ」
「……え?」
紫音の言葉に、朱美は呆けた声を出す。
だがそれは紫音が軽くキスをしたことによって遮られてしまった。
「んっ!?」
突然のことに動揺するが、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろもっとして欲しいと思う自分がいることに気づく。
さっきまで沙橙のことを考えていたはずなのに、いつの間にか頭の中は紫音でいっぱいになっている。
「ね、わかったでしょ?」
「……はい」
紫音の問い掛けに、朱美は素直に頷く。
ようやく理解したのだ。自分が恋をしているということを。
そしてそれは、目の前にいるこの先輩だということを。
「いい子ね。ご褒美あげないとね」
そう言うと紫音は朱美の首元に吸い付いた。
「んっ!」
チクッとした痛みが走るが、すぐにその痛みは快感に変わっていく。
そのまましばらく吸われ続けた後、ようやく解放された頃には首元にはくっきりとしたキスマークがついていた。
「これでよし、と」
満足そうに笑うと、紫音は朱美を解放する。
そしてそのまま踵を返して歩き出してしまった。
「あ、あの!」
「……何かしら?」
朱美は無意識に紫音を呼び止めていた。
もう自分の気持ちを自覚した以上、伝えないという選択肢はないと思ったからだ。
そんな朱美に対して振り返った紫音の口元には笑みが浮かんでいる。
まるでこうなることをわかっていたかのように。
「私……その……」
上手く言葉が出てこない朱美だったが、紫音は急かすことなく待っている。
そして意を決したように口を開いた。
「好きです! 付き合ってください!」
その言葉に紫音は嬉しそうに微笑むと、再び朱美に近づいて耳元に口を寄せる。
そして甘い声で囁いた。
「ええ、喜んで」
その言葉を聞いた瞬間、朱美は嬉しさのあまり涙が溢れそうになる。
そんな朱美の頭を優しく撫でながら、紫音は言葉を続けた。
「でもそれはまた後でね? 今は沙橙ちゃんのことをどうにかしなきゃ」
「え……」
紫音はちらりと朱美の後ろに目線を逸らす。
朱美もその視線の先を追うと、そこにはものすごい形相でこちらを睨んでいる沙橙の姿が。
その姿を見た瞬間、朱美はサーッと血の気が引いていくのを感じた。
「さ、沙橙……?」
恐る恐る声をかけると、沙橙はゆっくりと口を開く。
その声はいつもより低く、怒りに満ち溢れているようだった。
「……チッ、間に合わなかったみたいだね」
「いや、これは……」
弁解しようと口を開く朱美だが、沙橙は聞く耳を持たないといった様子で近づいてくる。
そしてそのまま、朱美の手首を掴んだ。
その握力は強く、振り解こうとしても離れない。
「さ、沙橙……痛いよ」
「……」
朱美は必死に訴えかけるが、それでも沙橙は無言のままだ。
そんな二人の様子を楽しそうに見ていた紫音が口を開いた。
「ほらほら、早く行きなよ。私は先に帰るわ」
「あっ、ちょ……!」
朱美は慌てて手を伸ばすが、紫音はもう振り返ることなく去っていく。
残された二人は、しばらく無言の状態が続いた。
気まずい空気が流れる中、先に口を開いたのは沙橙だった。
「……行くよ」
「え? あ、ちょっと!」
そのまま手首を引っ張られて歩き出す沙橙につられて、朱美も歩き出す。
その足取りはとても重たく感じた。




