四
「両手利きとは、ルシエス様、あなたには驚かされますね」
世話役の神官が打撲の傷に薬を塗ってくれた。しみる、臭い薬で昔を思い出した。
試合後、便所で吐いてから部屋に戻ると神官が来て、手当てをしながら試合の正式な結果と、神官長のねぎらいの言葉を伝えてくれたのだった。ただ、言葉や態度にいらだちが含まれているのが心配だった。敗北は神官の心でさえ乱すようだった。
「もっと長く逗留されてもいいのに。せめて傷と、お腹の具合が良くなるまでくらい」
「それはありがたく思いますが、試合の結果が出た以上、甘え続けてはいられません。それに、ここにはおれの……、いや、わたしの信仰はありませんから」
「我らの闘士が負けたからですか」
「いいえ。一回の試合の勝ち負けのみで神を判断するつもりはありません。ただ、なんというか……。勘のようなものなのです。闘ってるうちに、オリエン様は偉大ではあるが、最強ではない、とわかりました……」 おれは天井を見た。梁はきちんと手入れされ、この教会の歴史を物語っている。「……つまり、最強、といってもわたしの個人的な判断の軸であり、普遍的ではありません」
神官は、よくわからない、という顔をして一瞬手当の手を止めたが、わずかに首を振って続けた。
一息つき、身を整えて旅立ちの準備ができた頃には昼前になっていた。オリエン教団には昼食の習慣はないが、軽食が出た。おれは世話役に心配をかけないように全部食べた。
「済みません」 おれは世話役を呼び止めた。先に言っておけばよかったのだが、それはそれではったりや自信過剰と見なされかねなかったので遠慮したのだった。「試合相手についてですが……、その、この試合の結果によって教団内での扱いに不利益が生じないようにお願いします。かれは勝負の規則にのっとり、正々堂々と全力で闘いました」
「ですが、我々からすればオリエン様の加護がありながら、信仰を持たない挑戦者に負けたのです。神官長の裁決はまだですが、良い扱いはあり得ません」 敗北に不機嫌になっており、その対象はわかりやすい敗者に向かっていた。
「勝負、という言葉には勝ちと負けが対になっています。堂々と力と技を出したのですから、勝負に挑んだことを称えこそすれ、結果のみを人物の判断材料とせぬよう、寛大なご裁決をお願いします」
そこまで言うと、ようやく神官に穏やかさが戻ってきた。
「お言葉は神官長に伝えます。それと、わたしは勝ち負けにこだわりすぎていたようですね。反省せねばなりません」
世話役は、教会の東側の境まで見送ってくれた。指さすと、境を示す標識代わりの木の根元に試合相手が立っていた。
「いい試合でした。旅の安全をお祈りします」
「ありがとう。あ、一つ聞いても?」
相手はうなずいた。神官は興味深げに横に立っている。
「なぜ、まじないを使わなかったんです? あの速さと組み合わせて足を止められたらなにもできなかった」
「あなたの目を見たから。わたしは闘うときは相手の目を観察します。ルシエス様、あなたの目を見た瞬間、神の加護である〝恩恵〟とこの拳だけで闘いたくなったんです。それだけです」
おれは大笑いして肩を叩いた。相手もそうしながら笑った。成り行きに戸惑っているのは神官だけだった。
こうして、おれは旅を再開した。




