五
野宿も三巡日目ともなると負担がはっきりと感じられた。疲れが取れていない。全身がなんとなくだるい。気は引き締めるようにしているが、ひざや足首、腰がきしむ。
森の地面は昨日の雨でまだ湿っており、樹皮は月明かりとたき火でてらてらと光っていた。落ち葉をどけて地面を出し、火のついた枝で虫や蛭を追い払ってから座る。いつもの手順なのにはかどらない。これが〝疲労〟というものなんだろう。武術の鍛錬や、日常の作業の後の疲れとはまた違った感じで、心も体も動きにくい。全身からなめらかさが失われた気がする。
「なあ、いちいち森に入らずに、道で寝ちまわないか」 おれは半分冗談、半分本気で言った。どうせほとんど人通りのない脇街道なら迷惑じゃないし、危なくもないだろうと付け加えた。
「いや、危ない。道でぐっすり寝込んじまったらなんにせよ気付くのが遅れる。森なら音や気配なしに近づくのは無理だ。霊でもなきゃな」
「いまでもそんな悪党がいるんですか」 アウローラはすっかり慣れた様子でセミーピンギアを割ってかじりながら聞いた。
「いる」 ディーミディはこっちを見た。おれはうなずいた。あの詐欺師連中を思い出す。あいつらなら手頃な獲物を見つけたらためらいなく悪事を働くだろう。たしかに路上で寝ちまうのは悪手だ。
枝がぱちんと破裂した。話のせいか、みんな一瞬固まり、そして笑った。
しかし、笑い声が森の木々に吸い込まれた後、道のほうから妙な音が聞こえてきた。
「鳥……でしょうか。フクロウとかヨダカとか夜の」
また聞こえてきた。
「いや」 おれは二人の顔を見た。「人だ」
そういうなり身を起こして飛び出した。後ろから二人も来る。
路上に倒れていたのはエルフの男だった。月明かりでもわかるくらいの怪我をしている。アウローラがそこらの枝で火を焚いて明るくし、癒やしの呪文を唱えた。
おれとディーミディはあたりを見回したが、こんなことをした奴の気配は感じられなかった。
「馬か」 おれは周りの跡を指し示した。たどってみると首都のほうから来て、西に行ったようだ。
「大丈夫。血は止まった。ルシエス、悪いけど水持ってきて」
「こいつ、道のすぐ脇で寝てたんだ」
水筒をアウローラに渡すと、ディーミディが転がしてあるそいつの荷物を指さした。
エルフの目が開いた。こちらを見て一瞬びくっとしたが、アウローラが水筒を差し出すと、身を起こし、一口含んで吐き出した。血がまじっていた。次の一口は座り直してゆっくり飲み込んだ。銀というよりも白い髪は血でべっとりとしている。耳はディーミディより特徴的な形をしているし、目の大きさやつやのある肌の浅黒さからして混じりけのないエルフと思われた。
「どうしたんですか」 アウローラが優しく言葉をかけた。
「ありがとう。助けられました」 お互い自己紹介した。
「大変な目に会ったようですが、差し支えなければ事情を教えてください。街道でこんなことがあったとなれば他人事じゃない」 ディーミディが聞いた。
「ああ、とんでもない奴だ。ご存知か。純粋主義者だ。あんな奴、街道を堂々と通れるような輩じゃない」
「落ち着いて。純粋主義者はわかります。ただ、知りたいのはなにが起きたか、です」
エルフはディーミディを見た。
おれは、おや、と思った。ディーミディの同情と共感の程度は、こういう状況にしては少なく感じられた。
「わたしは当然のことをしたんだ。ああいう連中を見つけたまっとうなデウセルフ様のしもべとしてね」
「当然のこと、とは?」
その男は腰を探り、エルフ針をみせた。火を反射した先が爪の先ほど欠けていた。「この先っぽはあいつの足に残ってますよ」 そういってにやっとし、痛みに顔をしかめた。
「つまり、あなたは純粋主義者に絡まれたかなにかで、相手と闘いになり、こんな怪我を負わされた?」
「いいや、そんな鈍臭くはない。こっちが先手」
話を聞き出すのには苦労した。筋道立てるのが下手だし、あちこちに純粋主義者に対する悪口雑言がはさまって要領を得ない。しかし、まとめると、こいつが道脇で寝転がっていたら、馬に乗った男に声をかけられた。そいつはデウセルフ様についてあまり上品とはいえないことを言い、去っていこうとしたのでとっさにエルフ針を足に刺してやった。そして闘いになり、こうなったとのことだった。
「あいつ、馬上から剣を振り回しやがった。卑怯者め」
「先に手を出したのは……、エルフ針を突き刺したのはあなたなんですね。で、針にはなにを?」
「いや、仕込んでなかった。うっかりしてたよ。セルペンヴェネ蛇の毒汁でも込めときゃ良かったのにな」
「いや、なにもなくて幸いです。じゃ、そいつも怪我だけなんだ」
エルフの男は、やっとおれたち三人との温度差に気がついたらしい。痛みをこらえながら妙な顔をしている。
「なんです? あなた方も純粋主義者どもにはうんざりしてるんじゃないんですか」
そう言いながらこちらの顔を見比べ、ディーミディに目を留めた。
「うんざりしてる。それはその通り。でもこっちから手は出さない。そんなことしたら奴らとおんなじになっちまう。そのくらいわかるだろ?」
「じゃあどうしろって」
「逃げるべきだった。少なくとも逃げる努力はすべきだった。それにそもそもそいつはからかって去っていこうとしたんだろ? なんで突っかかってった?」
「放っておくのか? デウセルフ様を馬鹿にされて?」
おれは腕を組んだ。信仰してる神への侮辱は闘いの理由としては充分だ。でも……。
「よろしいですか……」 アウローラが言い、二人がうなずいたので続ける。「信心している神への侮辱が許せないという気持ちはまっとうだと思います。しかし、それがなぜすぐにエルフ針という力の行使になったのですか。議論や放置という手段はなかったのですか」
「おまえにゃわからんだろう。人間には。おれたちゃ裏切り種族だのなんだの言われ、いまにも帝国から追い出されようとしてる。悔しいんだよ。あんたもだろ?」 ディーミディを見た。
「ああ、悔しいな。それはわかる。で、それとエルフ針になんの関係がある? そこがわからん」
胸が痛い。まるでおれに言ってるようだった。そして、自分にも問いかけてるんだろう。その口調は急に年齢相応に老けたようだった。
「おまえのやり方だと、また別のシルヴァフラクシー大森林が出来るだけだぞ」
エルフは血まみれの服のままじっと座り、黙っていた。
「怪我は治ったようだな。どこか人里まで付き添ってやりたいけど、あんたとは連れになれそうにない。それはわかるな。あたしらは勝手に行くから、あんたも好きに旅を続けてくれ。これでお別れだ」
アウローラは、でも、という顔をしたが、ディーミディとおれを見てなにも言わなかった。
「みなさん、助けてくれてありがとう。それとあなたの癒やしの呪文、かなりのものですね。グレシャ様? 大変な修業を積まれた方とお見受けします。愚か者より感謝を」
男は座ったまま頭を下げた。それを合図におれたちは森に戻った。
熾火はもう消えていた。煙が一筋、残ったかすかな火に照らされて立ち上っていた。
「あわててたとはいえ、火を放ってったのはまずかったな」
ディーミディは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。




