三
宿を引き払い、教会に移った。あてがわれた部屋は狭くて簡素だが清潔で居心地良かった。見習い神官の部屋だろう。さっそく仕事に取りかかったが、そうはいっても職人のような器用さは持ち合わせてないので、薪を割ったり、掃除をしたり、肥を汲んだりした。
働きながら周りを見て感じるのは、ここは豊かだ、という事実だった。どこの街でも店には肉や野菜、果物がならんでいるだろう、しかし、ここの作物は新鮮で、色、形も良く、味はしっかりしており、買って失敗した、ということはまったくなかった。
「いかがです? 我らの神は。街を見てどうお感じになりました?」
朝早くの使いから帰り、焼きたての麦饅頭と水気たっぷりの果物を調理場の棚に置くと、神官が尋ねてきた。
「とても穏やかな印象を受けました。落ち着いています。まるで……」
「母に抱かれているような?」 神官が後を受け、作業用の丸椅子を指した。
「そうですね。わたしは親は知りませんが」 答えながら座ると、神官も腰を下ろした。
「くわしく伺ってもよろしいですか」
おれはうなずき、自分が親を知らない捨て子であり、グレシャ教団の運営する孤児院、『神の子たちの小屋』で育ったことや、そこで全知全能という言葉を含む教義に疑問を抱き、信仰のないまま旅に出た経緯を話した。
「話が長くなりました。引き留めてしまったのではないですか」
「いいえ、ルシエスさん。聞くのは重要な仕事です。おかげであなたの旅について理解が深まりました」
入ってきた手伝いたちに会釈し、神官が立ち上がったのを機におれも立った。
「またお話ししましょう。実を言うと疑問が湧いてきました」
「疑問ですか」 おれは扉を閉め、調理の音を向こうに追いやった。
「闘いについてです。でも、後にしましょう。これからどこもかしこも騒がしい時間になりますから」
その、静かな時間が巡ってきたのは夕食が終わってからだった。神官はわざわざおれの部屋に来てくれた。茶と菓子を持って。
「どうぞ。たまにはいいのです。ちょっとばかりくつろぎましょう」
その口調や態度は、議論などのために来たのではなく、立場にこだわらない話をしようと言っていた。その気持ちがうれしかった。
「ありがとうございます。いただきます」
小さな丸い焼き菓子は甘かったが、なにかの風味が効いていた。
「生姜です。遠くの国から取り寄せました」
おれの顔は疑問を隠しきれなかったようだ。
「そんな貴重なものを……感謝します」
「いいえ。あなたのお話にはそれだけの値打ちがあります」
「値打ち?」
「エフェミナ様の信者が持たない考え方、価値観です。教えてください。何故強さを求められ、また、何故闘いによってそれを判定しようとされているのですか」
おれは茶碗を置き、神官の目を見た。〝何故〟という言葉がおれの頭の中で雷のように光った。そうか。これは闘いなのだ。ならば、挑もう。
「おれは……失礼、わたしが求めている強さというのは、肉体的、精神的な強さや闘いの技術のみではありません。いかに強く信心しているかも見ています」
「言い直さなくても結構です。ルシエスさん、あなたの言いやすいように話してください。無礼だなんて思いません」
やはり、これは闘いだ。儀礼という装飾を剥がした言葉の闘い。
「では、そうしましょう。おれはグレシャ様の教義を疑いました。子供みたいですが、どう考えても全知全能は矛盾をはらみます。それが心からの信心を阻むのです」
「エフェミナ様のには含まれませんよ。我らは神にも限界はあると考えています」
「でも、今度は限界があるとされてるから、心の底から信心されてません。どこか疑いを抱いてます。それはオリエン様やボーニタス様の信者もです。闘うとわかります。疑いが、部屋の四隅にたまる埃のようにこびりついてました。あなたもでしょ?」
神官の顔が赤くなったが、このあからさまな侮辱にも席を蹴らなかった。
「つまり、全知全能の神でないかぎり、心のすべてを委ねた信仰はできないが、全知全能であること自体に矛盾が生じる。一方、限界がある神は、矛盾はなくとも、限界があるという思想ゆえに信仰に疑いを生じる。そういうことですね」
「そうです」
「疑いの有無については闘えばわかる、と」
「はい。おれにはその試し方しかないんです。勝ち負けじゃない。闘ってるときの相手の目です。疑う心がその窓から覗くんです。それが心と体の結びつきを妨げてるから、おれの信仰はそこにはない」
「なら、あなたの探索は終わらないんじゃないですか。預言たる教義に全知全能を含まず、限界がありながら、疑いがひとかけらもない信仰を集める神。わたしは全世界を知ってるわけではありませんが、そんな神や教団の存在など聞いたことがありません」
「そうかも知れません。でも、おれも全世界は知りません。だから旅をするんです。妥協した信仰をするより、神をもたないままさまよい、探し続け、闘い続ける方がいい」
おれは、この神官が言外に神への疑いがあると認めた点には触れずに答えた。そこまで追い込むつもりはない。おれと同年齢くらいだろうか。ものを考える苦しみをよくわかってる様子だった。
「途方もない探索、いや、冒険ですね」
「前にも言われたことがあります。でも、探し求めるという一点において、探索と考えたいんです」
神官はじっとおれを見た。
「その探索の道がなだらかでありますように。探し求めること以外の苦しみがふりかかりませんように」 神官は手を祈りの形に組み合わせた。
「感謝します。おれは神を持ちませんから、その祈りはおれ自身が受け止めます。ありがとう」
祈り終えた神官は茶碗をとり、一口すすった。おれもそうした。すっかり冷めていたが、冷めたなりに風味のある茶だった。




