あこがれに毒
好きな子に、自分のせいで悪夢をみてほしい女の子の話です。
2022/05/04
『あこがれに毒』
昨日、高校三年生の朝倉カエデは、中学から続けていたバスケ部を引退した。初夏。大学ではさすがにやらないだろう。昔の仲間~とか言って集まってちょっと触るくらいはするかもだけど、サークルとかには、入るつもりはない。カエデにとってバスケとはその程度の存在だったが、しかし最後の部活の日はさすがに泣いた。後輩たちも、同級生らも泣いていた。肩を組み合ってみんなで泣きながら最後の号令をして、脳の3パーセントくらいの部分がその様子を俯瞰で見ながら、青春やってんね~と妙に冷静だったのを覚えている。
明けて今日。朝練がないのでいつもよりゆっくり起きて、のんびりしたかったけど母に急かされたので仕方なく登校した。教室に入って時計を見て、やっぱりまだ余裕じゃん、とちょっと母を恨む。
「あれ、カエちゃん早いね」
同じクラスの藍野サラがそう声をかけてきた。今日もゆるふわヘアーがばっちり決まっている。なんだかいい匂いもする。カエデはちょっとどぎまぎしながら、うん、と答える。
「朝練ないから、教室直行した」
「あ、そっか、もう引退か」
「うん」
「うち帰宅部だから、あんま時間感覚ないんだよね」
「……帰宅部関係なくない?」
サラはいつもこういうのんびりした話し方をする。バスケ部の連中はテキパキした子が多いので、カエデにとっては新鮮だ。カエデのことを“カエちゃん”なんてかわいいあだ名で呼ぶのも彼女だけだ。
それからサラはカエデのぼさぼさのポニーテールをポフポフ撫でて笑い、ふと思い出したように肩にかけた学生カバンを漁る。
「カエちゃんさ、スキンケア何使ってる?」
「スキンケア?」
「うん。昨日乳液間違えて買っちゃってさ。これ使う?」
かさ、とビニールの音がして、中からピンク色のボトルが出てきた。手のひらサイズ、聞いたことのないメーカーのロゴが入っていて、後ろには成分表のシールが貼ってある。
「こういうの、正直あんま詳しくないんだよね」
「あーそうなんだ。あげるから、ためしに使ってみれば?」
「いいの?」
「うん。あ、肌に合わなかったらすぐ使うのやめてね」
ビニールごと受け取って、ありがとう、と言う。サラはにこっとピンク色の唇で笑った。
「やめたら、使うの」
幼馴染の南ユキは眼鏡の奥の黒目がちな瞳でカエデの持った乳液をチラ見してから、ぼそ、とそう言った。
「なんで? 危ないブランドなの?」
「いや、そこそこ有名だけど……え、マジで知らないの?」
「知らないよ。化粧水も、お姉ちゃんのちょちょっと借りてるだけだし」
ユキはあきれるでもなくフーンと言って手に持ったハードカバーに視線を戻す。有名なブランドなのか。いくらくらいするんだろう。本当に、ただでもらってよかったのだろうか。ユキに相場を聞いて、お返しを何にするか相談しようと思ったのに。
「なんで使っちゃダメなの?」
「ダメじゃないけど……ちょっと見して」
興味のない様子だったのに、ユキはカエデの手から乳液を受け取ってそれをまじまじと見始めた。
放課後の図書室。誰か知り合いはいないかときょろきょろと見回すが、定期試験が終わってすぐなので空いている。図書委員のユキは毎日カウンターに座っていて、部活を引退して暇になったカエデに絡まれているというわけだ。
「開けた? これ」
「うん? いや、もらってから開けてないよ」
「でも一度開けたあとがある」
ほら、と見せられて、蓋のところを確認する。確かに、蓋を留めるビニールテープが剝がされたような痕跡がある。
「間違えて買ったなら開けなくていいでしょ」
「開けてから気付いたのかも」
「藍野さんが? 買いなれてるだろうに?」
「う~ん……」
サラを疑っているわけではないが、ユキにこう詰められると「たしかに変かも……」という気持ちになってくる。考えるよりまず行動、猪突猛進なところがあるカエデにとって、ユキは小さいころからストッパーのような役割を果たしてくれる大事な相棒だった。もっともそう思っているのはカエデだけかもしれないが。
「どうしたらいいかなあ、でも使わないのは悪くない? せっかくくれたのに」
「カエデって、ちょっとああいう子にあこがれてるっしょ」
「え、ええ?」
「藍野さんみたいな、女の子女の子したタイプ」
「あ、あこがれって……いやまあ、かわいいなあとは思うけど……」
自分が、サラみたいな女の子にあこがれている? 考えたこともなかったけれど、ユキにそう言われるとそのような気がしてくる。ユキは昔から、カエデのことをカエデ自身よりもよく知っているようなことがある。というか、カエデはあまり深く考えないタイプなので、カエデが思ったことをユキが上手に言語化してくれているというか。
「だから、“あの”藍野さんが自分にこれをくれたのが嬉しくて、使ってみたいんでしょ」
「う~……そうかも……」
「今日のところは、顔じゃなくて手に塗ってみたら」
「!! 使っていいの?」
「いいもなにも、それはカエデが決めなよ」
「ね~なんでそんなこと言うの~~~」
「はいはい……」
ちょうどいい妥協案を出してくれるユキ。やっぱり彼女は、あたしのことをよくわかってる! 嬉しくなって肩にしなだれかかる。ユキはやれやれとため息をはいて、そういえば部活は? と今更気付いて言った。
その日の夜。お風呂上がりにワクワクしながらサラにもらった乳液をつけた。もちろん手に。
乳液は、バラのようなにおいがした。サラのような、ふわふわした、女の子らしい子から香ったらいいだろうな、と思った。
そしてその夜夢を見た。次の日登校したらまたサラが声をかけてくれて、ハンドクリームをくれた。
「手にはこれを使った方がいいよ。乳液は顔に塗ってね」
カエデは腰に冷気を吹きかけられたようになった。なんでカエデが、もらった乳液を手に塗ったと知っているんだろう。サラのくりくりの瞳がカエデの心を射抜く。彼女のような、かわいくて、あざとい女の子には、きっと何もかもお見通しなのかもしれない。カエデのすることなんて。
「あ、ありがとう」
ハンドクリームを受け取る。乳液と同じピンクのパッケージだ。これも一度開けたんだろうか、サラは。どうしよう。ユキに相談……。
「乳液は?」
「えっ?」
「持ってる? 今」
「な、ないよ、うちにあるよ」
「うそ」
サラの手がカエデの胸に置かれた。するする、撫でおろして、制服のスカートのポケットに手を入れる。え、と思ったら、サラの手には昨日の乳液が握られていた。
「塗りなよ」
「え、うん?」
「今。塗りな?」
「な、なんで? どうしたのサラちゃん、なんか……」
「早く」
サラは性急な動作で乳液の蓋を開けた。バラの香り。とぽ、と手に開けて、ぬちゃぬちゃと手の平に塗り広げる。
あ、と思ったらその両手がカエデの両頬を包み込んでいた。ぬとっと重たいテクスチャ。頬に乗って、塗り広げられる。サラの親指が目に伸びて、反射的に目を閉じる。瞼にも入念に塗りつけられる。額、鼻の頭、顎。カエデの顔は乳液でこってりと濡れた。
徐々にちくちくとした痛みが顔全体を襲う。重いクリームの下でカエデの肌が悲鳴を上げる。痛い!! やけどのようなひりひり感が顔全体に広がっていく。
「あは、ダメじゃん。合わなかったね、肌に」
「なに、これっ」
顔の皮膚の表面がぼこぼこと波打つような感覚がある。熱を持ち、ぶくぶくと膨れ上がる。手で触れたら水ぶくれになっていて、あ、と慌てて指を話すとプチッと何かがはじける感覚があった。水泡の表面の膜が指に張り付いていたようだ。組織液がだらだらと溢れ出す。ちくちくするその痛みに涙が出て、頬に流れた涙が破けた水泡の下の皮膚に滲みてまた痛い。瞼にまで塗られたせいで視界まで重くなってくる。
「いた、いたた……」
「残念残念。ま、これも人生勉強だよ」
サラはなんでもないことのようにそう言って教室を出て行った。一人きりの教室内にはじっとりと湿った空気が漂っていて、なんだか息苦しくなってくる。
早くユキに相談しないと。こういうときどうしたらいいのかわからない。カエデは自分の感情にすら鈍感なのだ。サラを怒っていいのかどうかも判断できない。
急いで廊下に出ようと駆け出して、足元ががくっと崩れた。視界が暗転する。
「あっ」
そして、目を覚ました。はあっと息を吸いながらベッドから飛び起きる。
そこはもちろん教室ではなく、カエデの部屋だった。寝る前と何も変わらない景色の中、カエデの学習チェアにわが物顔で座るユキの姿を発見する。ユキはこちらを見てぽかんとしていた。手には文庫本。
「なにうなされてんの」
「……ユキぃ」
「は? 涙出てる。泣いてるの?」
「わかんない……」
ユキが近くに居ることに心底安心して、カエデはため息交じりにそう言うとへなへなとベッドに体を戻した。ユキは名残惜しそうに文庫本にしおりを挟むと、ひょこひょことこちらに寄ってきた。制服姿だ。これまでは朝練があったので一緒に登校はできなかったのだが、そういえばもう引退したのである。昨日ユキはそれを知ったので、こうしてカエデの家に寄ってくれたのだろう。
「おばさんが、朝ごはん早く食べてって」
「……ユキも誘われたでしょ」
「ん。だから早く起きなよ」
うん、と布団に顔を埋めながら答える。そっと頬に触れた。寝る前と同じ、つるんとした肌だった。
「あんたって思い込み激しいタイプだから、私が昨日“何か細工されてるんじゃないか”なんて言ったから信じちゃったんでしょ」
「う~ん……? 信じてはいないけど……まあ、そういう可能性がゼロってわけじゃないのかもな、とは、思ったかも」
「だからそんな夢みんのよ。単細胞」
「むむ……」
何も言い返せない自分がむなしい。たしかに自分には、そういう面があるような気もするし。
「ユキが変なこと言うからじゃん」
「人のせいにしない。じゃあね」
ユキはしれっとそう返すと自分の教室の方へ歩いて行ってしまった。ちぇ。
そういえばユキと登校するのは、中学以来かもしれない。懐かしい気持ちになる。そして中学時代のことを思い出してくる。
あれは中三の夏のことだ。二人で部屋でダラダラと過ごしていたら、ユキが不意に怖い話をしてきた。スイカの種を食べたらおなかの中でスイカが育って胃袋が破れてしまう、という話。くだらない話だ、今時小学生でも信じない迷信である。でもユキが真顔で話すもんだから「そういうこともあるのかも……」と思ってしまって、奇しくもその晩デザートにスイカが出て、その夜カエデは悪夢を見た。おなかの中で育ったスイカが重くて起き上がれない。胃袋がみちみちと広がる感覚。ドキドキ、バクバクと心臓が高鳴り、すう、と息を吸った瞬間にぴり、と嫌な感覚が走って、そのままゾロロロ、と胃袋が裂けてしまうのだ。カエデは悲鳴を上げながら飛び起きた。
そういえばあの時も、ユキは部屋にいたんだ。教室の机にたどり着く。ぼーっとしながら席に着く。
サラがふわふわの髪をなびかせて近づいてきた。微笑んでいる。カエデは自分の顔が引きつらないように注意しなければならなかった。
「どうだった? 乳液」
「う、うん、よかったよ。良いにおいだった」
「あ~いいよねあれ! うちも好き」
「そうなんだ」
サラの笑顔は、本物のサラの笑顔は、夢の中とは全然違った。不気味に黒めいてもいないし、意地悪くケタケタと笑ったりもしなかった。当たり前だ。ほっとする。と、同時にドキドキもしてきた。昨日ユキに言われた通り、カエデはサラのような女の子にあこがれているのだった。女の子らしくて、やわらかそうな。
「あれ好きならおすすめの香水があるんだよ。見に行かない?」
「えー香水? 使ったことない」
「じゃあ初体験。服とかも見たいな、選ばせてよ」
「ええ……服見に着ていく服がない、あたし」
「なにそれ」
サラはカエデの肩をポンポンと叩いてから、いつものギャルっぽいグループの子たちに呼ばれそっちに行った。ほっと息をつく。なんというか、プライベートで彼女と付き合うのは難しいような気がしていた。ジャンルが違いすぎる。話も合わないだろうし。
「(話は合わないけど……ユキとは長続きしてんだよな~)」
ユキは文系、カエデは体育会系。ユキは運動嫌いだし、カエデは本を読んでいるとすぐ眠くなってしまう。映画やドラマの趣味も合わないし、なんなら食べ物だって、ユキは好き嫌いが多いけどカエデは割となんでもよく食べる。ユキは華奢で小枝のような身体をしているが、カエデは背が高くて筋肉質だ。でも、仲がいい。昔からの友達って、ユキだけかもしれない。
あたしが依存しているだけかも……でも、ユキの方だって急にあたしの部屋に来たりするし。カエデ的には仲良くやっているつもりだ。ずっと、一生仲良しの幼馴染でいたいと思っている。本人には言えないけど。
「(今日も放課後、図書室に行こうかな……)」
そして、そうだ、料理本でも探そう。大学生になったら一人暮らしをしたいと思っている。自炊もしたい。
一人暮らしを始めたら、その部屋にもユキは来てくれるだろうか。悪夢を見た朝に、部屋で独りぼっちでいる自分を想像し、カエデは少し切なくなった。
***
ほんのささいなことがキッカケだった。
もとより朝倉カエデという女の子は、鈍感というか、のんびりやさんというか……スポーツ好きだし、人当たりはキリッとしているんだけど、どこか上の空で、人の感情について深く考えるのが苦手なところがある。自分自身のことについてまでも。
小学生のころなんかはよくそれで喧嘩になった。というより、ユキが一方的に怒っていてカエデは「なんで怒ってるの?」とぽかんとしている、ような。
たとえばユキは、カエデのことを一番の親友だと思っている。物心ついたときから一緒にいるし、親同士だって仲良いし、なんでも言い合える仲だからだ。でもカエデにとっては多くいる友人のうちの一人に過ぎない。幼いながらにそれが悔しくて、カエデにもユキが一番の親友だと思ってほしくて、思えばユキはいつもカリカリしていた。
その想いは小学校三年生くらいの時にピークを迎え、その後ゆるやかに収まっていった。ユキだってなにも友達がカエデだけってわけじゃない。カエデは本を読まないから、同じ趣味の友達だってほしい。それにユキはカエデに付き合ってバスケだのバレーだの、やっていられないし。
そんなわけで二人の関係は、中学に上がるころには「昔からの友達」くらいに収まっていた。と言ってもそのころもカエデは部活終わりにユキの家に来て一緒に課題をやったりしていたし、休みの日の朝にカエデの家に行って一緒にアニメを観たりしていたこともある。それで満足していた。
中学三年生の夏のことだ。
「高校、県外に行こうかな」
カエデが、そんなことを言い出した。ユキはぎくっと本のページをめくる手を止める。そうっと顔を上げてカエデの顔を見る。彼女はなんでもない顔でスマホを眺めている。
「……何? 急に」
「なんとなく。ほら、あたしらが目指してる高校ってバスケ別に強くないじゃん?」
「知らないけど」
「そうなの。だから、バスケの強豪校とか……あ、ほら、こういうとこ」
カエデはユキにスマホを向けた。どこぞの高校のHP。そのトップページに『バスケ部全国大会出場!』とでかでか書いてある。おそらくそのバナーをクリックすると、バスケ部の試合の様子なんかが写真で見られるのだろう。
「行ってどうすんの」
「どうすんのって。バスケやるに決まってるじゃん」
「……カエデさ」
彼女は気付いていないのだろうか。中学に入り、なんとなく始めたバスケ。彼女にとってはただの部活であり、それ以上でも以下でもないこと。だって休みの日にはこうしてユキの家でダラダラと過ごしているくらいだ。そこまで思い入れのある事項には、思えないのだが。
「そういうとこに行く人って、こういう日曜とかにも練習してるよ」
「……う」
「嫌でしょ、っていうか、そこまで頑張る気ないでしょ?」
「ん~……でも強豪校行ったら頑張るかもしれないし……」
「逆だって。頑張ってるから強豪校に行くの」
「……たしかに」
「ゆる~いくらいのとこでちょうどいいんじゃない?」
「そうかも……」
話をしながら、ユキは心の中でほくそえんでいた。カエデはいつもそうだ。ユキが「こうなんじゃない?」と彼女の気持ちを代弁すると、すぐに「そうかも……」と納得してしまう。おろかでほほえましい。ユキはカエデのこういうところがかわいくて大好きだった。
ふと、いたずら心が芽生える。本を閉じ、テーブルに置く。
「そんなことよりさ。あんた今年もうスイカ食べた?」
「うん? まだだよ。そろそろ親戚が送ってくれるかも」
「気をつけなね。種食べると、お腹の中で発芽して育って、胃が破けちゃうから」
なるべく真顔で、平常心で言う。カエデはえ~と言って苦笑した。
「なにそれ、迷信? 嘘に決まってるじゃん」
「なんで決まってるの? 水耕栽培って知ってる?」
「すい……?」
「土を使わずに、水と肥料だけで育てる農業のこと。スイカだって水耕栽培できるんだよ」
「……」
「人間の体の六割から七割は水分だし、ごはん食べるんだから肥料はあるわけだし。育つんだよ、胃で、スイカ」
よくもまあこんなにペラペラと嘘が出てくるものだ。ユキは自分の口先に自分で脱帽していた。最初は話半分に聞いていたカエデも、いつの間にか真剣にユキの顔を見つめている。
「あんたドジなんだから気を付けなよ。真面目に言ってるんだからね」
「……は~い」
信じてませんよ、という顔を必死に作っているが、カエデがビビり散らかしているのは明らかだった。噴き出してしまわないように気を付けながら、何食わぬ顔で読書を再開した。
次の日。昨日のそんな会話などすっかり忘れたユキがカエデを朝迎えに行くと、彼女はベッドの上でうーうー唸っていた。額には汗びっしょり。どうしたんだろう、悪夢でも見ているのだろうか。
彼女の手は必死に自分の胸のあたりを掴んでいた。ふう、ふうと慎重に呼吸している。どんな夢を見ているんだ。
「わあっ!!」
しばらくその姿を見つめていたら、彼女は急に目を覚ましてガバッと起き上がった。はあはあと肩で息をしながら周囲を見回し、ユキと目が合うとへにゃ、と眉を垂らす。
「おはよう」
「怖い夢みたあ……」
「どんな夢?」
「……スイカで胃袋が破ける夢……」
「ぶはっ!!」
そこで、昨日の会話を思い出した。彼女は本気で、スイカの種を飲み込むとお腹で育ってしまうというのを、信じていたのだ。どんだけ単純なの。
笑い転げるユキにカエデは涙目になって怒っていた。
朝倉カエデというのはそういう子なのだ。単純で、影響されやすくて、信じやすくて。
……そしてその時にユキは、小学生のころの気持ちを思い出していた。幼くて醜い執着心が首をもたげるのを、笑い飛ばしてごまかした。
そんな気持ちをひた隠しにしたまま高校に進学し、三年が経過した。
「は~あ……」
放課後、図書室のカウンター内に入ってくるなり、カエデはへなへなとテーブルに突っ伏してあからさまにため息を吐く。ユキはそわそわしつつも、気にしませんよというポーズで本を読み続ける。
今朝、カエデは悪夢をみた。うなされながら寝ていて、泣きながら起きたのを、ユキは見ていた。夢の内容は言わなかったけれど、おそらくユキの発言が原因だろう。
カエデは昨日、クラスメイトの藍野サラとかいう女に化粧品をもらった。それを私にウキウキしながら見せてくるもんだから、ユキは少々腹が立ち、彼女が目を離した隙にその化粧品の蓋を一度開けた。そして言ったのだ。「開けた? これ」。
「ねぇ、ユキ」
「……」
「は~~~~あ」
「もう、なに」
「あはは」
カエデは椅子に腰かけ直すと、ユキの肩にぴたっと貼り付いてくる。彼女は仲良くなると誰にでもこの距離感だ。バスケ部の子たちともよく抱き締め合っている。
「サラちゃんに話しかけられたんだけど、顔に使ったって嘘ついちゃって」
「うん」
「なんか申し訳なくて……そしたら友達に呼ばれて、どっか行っちゃった」
「そう」
「もう声かけてもらえないかも。つまんないと思われたかも~」
「そんなことないでしょ」
肩にカエデの体温を感じながら、ユキは満足感に鼻の孔が広がるのを感じた。本当にカエデは単純でかわいい。
「だってね、香水見に行こうって言われたの」
「香水? カエデが?」
「うん。だから似合わないと思ったし……サラちゃんの隣に並ぶ自信がなくて。服も見に行こうって言ってくれたんだけど、それを見に行く服を持ってないって言って、冗談っぽくなっちゃって……それだけ」
カエデはがっくりと落ち込んで再びテーブルに突っ伏す。なるほど。彼女はどうやら本気で藍野サラにあこがれてしまっているようだ。それもユキが言ったからなんだけど。
「そもそも藍野さんとカエデじゃ服装とかジャンルが違うでしょ」
「……うん」
「無理に合わせなくていいんじゃない? 藍野さんに似合う服があんたにも似合うとは限らないわけだし」
「そうだけど……」
「どうせもうすぐ進学だし、大学行ったら好きな服着れるんだし。それから趣味の合う人を探せばいいんじゃないの?」
「……」
「あんたが付き合わなくても藍野さんは他の誰かと見に行くよ、服とか香水とか、化粧品とか」
結構ないじわるを言っている自覚はあった。ユキは自分がちょっとムキになってしまっているのに気付く。自分でもどうしたいのかわからない。だが、カエデにはなんというか、空回っていてほしかった。あこがれの女の子の前でテンパっていてほしいのだ。そしてうまくいかなくて、こうして私に泣きついてきてほしい。
カエデは真剣に聞いていたかと思うと、うん、と頷いた。
「そうだよね……住んでる世界が違う友達は、ユキだけで十分だわ」
「なにそれ」
「また機会があったら話しかけてみちゃう」
「がんばれ~」
「うわ、てきとう」
「はは」
会話をしながら、すーっと気持ちが落ち着いてくる。カエデに対するこの感情を、ユキは自分の中でうまく処理できないでいる。
かわいそうだと思うのに、でもやっぱり彼女には、私のせいで悪夢をみてほしいのだ。
「ていうか何読んでるの、それ」
「興味ないなら聞かないでいい。あっちに絵本あるよ?」
「もう!」
再び肩にしなだれかかってくるカエデをあしらいながら、ユキは脳裏で「ユキだけで十分」というカエデの言葉を反芻し、あさましい愉悦を味わっていた。
おわり




