超々短編まとめ
超々短いお話のまとめです!全編ちょっと暗くて嫌な話となっております。
2022/04/28
『超々短編まとめ』
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『どうせつまんねぇ男と』
香代子さんが何かから逃げるように寿退社を発表したのは、都内の某有名ホテル内にあるレストランで私の二十九歳の誕生日をお祝いしてくれた、その一か月後のことだった。
できちゃった婚だって。あぁ、今は授かり婚というんだっけか。おめでた婚、というのも聞いたことがあるな。
言われてみれば覚えはあった。その、私の誕生日の日、なんとなく周期的に香代子さん生理なんじゃないかな、と思ったけど普通にエッチしたし。今まで付き合ってた男たちのことは散々悪口言ってたけど、今の人のことはあまり話したがらなかったし。
へぇ。はぁ、そういうこと。朝礼で、みんなの前で課長に紹介されて、ぶわっと拍手の波が押し寄せて、私は圧に負けて手をぺちぺちと叩いた。
香代子さんは今年で四十二歳になる。
「(子どもは諦めたって言ってたじゃん。自分の稼ぎで生きたいって言ってたじゃん。年下の女が好きって言ってたじゃん。……恋愛に、本気になれないって言ってたじゃん)」
そうは言っても同じ部署の先輩だ、引継ぎだって、私一人じゃないけれど、いろいろ請け負った。香代子さんはケロッとしたもので、じゃああとよろしく、と言ってあっさりと退職した。
それから私は車を買った。運転にも慣れて、週末、石川県七尾市にある七尾湾を目指し一人ドライブに出かけようという気分になったのは、香代子さんが会社を辞めてから半年後のことだった。
東京から高速を使って五時間。目的の道の駅に到着した時には午後三時を回っていた。さすがに食堂は空いていて、名物の浜焼きはホタテが売り切れてしまっていること以外は存分に堪能できた。
まだ夏の終わりの九月頭だが今日は少し肌寒くて、テラス席には誰もいなかった。ペットボトルを掴んだまま腰を下ろす。自動販売機で買った、どこのブランドのかわからないメロンソーダは、かき氷のシロップを薄めたような味がした。
「わぁ、本当にいる」
足音にハッとして顔を上げたら、斜め後ろに香代子さんが立っていた。あ、髪が伸びている、と思った。化粧も薄くなっていた。香水の匂いもしなかった。
「あ~……ていうか地元なんですよ、あたし」
「知ってるけどそれは……」
「よくここってわかりましたね」
「突然あんなメッセージよこして」
「飲みますか? これ」
「……いらない」
香代子さんは諦めたようにため息を吐いて、私の隣に座った。
とおくでかもめが鳴いていた。目の前に広がる七尾湾は、地元民の私からしたらせせこましくてやっかましくてあけすけでみじめで、こんなところに帰ってくる香代子さんはばかだと思った。
―――同窓会あるんで週末そっち帰ります。
「コーヒー買ってくる」
肩を抱いてふる、と身体を震わせた香代子さんは、そう言うと店の中に入っていった。
香代子さんは入社当初から、地元が一緒ってことで私のことを可愛がってくれていた。中学も高校も別のところだったけれど。それで、地元の人と結婚した。他の人に話しているのを盗み聞きしたところによると、同窓会で再会してそのままゴールイン、だそうで。
テラスに戻ってきた香代子さんはホットコーヒーの紙コップを大事そうに両手で支えている。
「カフェインいいんですか、妊婦って」
「……それ、天然?」
「?」
「だめになっちゃったよ。今また妊活中」
「……ぁ」
「体外受精ってお金かかるんだよね。仕事辞めなきゃよかったな」
私の無神経な発言に、反撃するようにそう放つ香代子さんに、なんとなく安心した。それで、もう充分だ、と思った。
「香代子さん、あたし。今年の誕生日ひとりぼっちですよ」
香代子さんは笑って、三十歳おめでとう、と言った。私は、まだ二十九です、と返した。
おわり
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『保健室の亡霊』
あずき色のプリーツスカートから、棒のような白い足が伸びている。
かすむ視界がその、膝こぞうとスカートのすその隙間にくぎ付けになり、じょじょにピントが合いだした時、目の前にぬうっと少女の顔が現れた。
「ゆかりちゃん、いつまで寝てるの」
「……おぉ」
「おぉじゃないよ、もう五限終わったよ?」
呆れ顔の少女に促されてしぶしぶ起き上がった。今日は確か昼ごはんを、グラウンドの見える花壇の端っこに座って食べて、そのまま保健室に直行してベッドを一つ占領してしまったのだ。胃の中に砕かれたサンドイッチの感触がまだ残っているような気がして、その不快感をあくびで誤魔化した。
シャツの襟を正す。くちゃくちゃに乱れたおさげ髪を、ほどいて結び直す。
夏服に衣替えが行われたばかりだ。少女も半袖の軽やかな白いシャツを身に着けていた。スカートと同じあずき色のリボンが胸の上に咲いている。
「A組、六限体育じゃなかった?」
だから、着替えの手間があるのでこの子は来なくて、水曜の午後はゴロゴロとサボれるわけだけれど。週の真ん中は憂鬱だが、その点だけは最高だった。
少女は不満げに唇を尖らせて、ベッドの余白にボスンと腰を落とした。
「いいでしょ、たまには。ゆかりちゃんみたいにいつもサボってるわけじゃないもん」
「……まぁ、いいけど」
肩で切り揃えられた焦げ茶色の髪が、こてんとこちらに倒れ込んでくる。軽い身体だ。吹いたら飛びそう。
少女の手はがりがりに痩せていて、その骨っぽい指先が腕に絡まってくると、なんというか、死のにおいがするような気がして、ぞうっと鳥肌が立った。
「あ~、このまま死んじゃいたい」
「……やめてよ、面倒くさい」
「あはは、面倒って!」
「いつだって死ねるんだから、今はやめて」
「……ん、了解」
初夏の風が、黄色みがかった保健室のカーテンをふわりと持ち上げた。あ、窓開けっ放しだったか。慌てて少女の手首を掴もうとした、けれど。
「あ!」
間に合わなかった。彼女の軽い身体はふわりと宙を舞って、そのまま無機質な線路に放り出された。一瞬だけざわついた周囲の音が耳に入って、すぐにキーンという耳鳴りに変わる。足が鉛になってしまったかのようで、手の平に残る、少女の骨ばった皮膚の感触、彼女は迫り来る電車を見ていた。それから不意に顔を上げた。
目が合った、と、確かに鮮烈な印象があったのに、彼女はいったいどんな表情をしていたんだっけ。風が吹いた。わたしの、あずき色のスカートが膨れ上がって広がった。
「ゆかりちゃ~ん」
ガラッと大きな音が鳴り、反射で肩を跳ねさせた。わたしはベッドに寝ていた。急いで起き上がる。白衣も、髪も寝乱れている。
学校指定の白シャツを着てはいないし、髪だって、社会人になってから短く切ってしまったし、あずき色のリボンもプリーツスカートも、もう似合わない。
「……ゆかりちゃん、はやめてよ」
「あ、またサボってる。いけないんだ~」
「なに、怪我?」
「そうそう。まりぽ~、先生居たよ~」
保健室にドタバタと入ってきた体操着の少女は、ひょこっと廊下に戻るともう一人の体操着を連れて室内に舞い戻る。
赤く濡れた少女の膝こぞうを治療しながら、でも、わたしはもう大人になったので、さっきまでそこに亡霊が居たよ、などと子どもっぽく言ったりはしなかった。
おわり
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『詩織ちゃんのピアス』
「うそ! ピアスあいてる!」
あたしの絶叫に、詩織ちゃんは照れ臭そうに笑ってそっと耳元を隠した。急いでその手首を掴んで引き剥がす。
白い耳たぶにぽつんと小さなピンクの石が光っていた。穴はまだそれを受け入れがたいようで、肉がそのピアスにぎゅうっと寄っているように見えた。
「い、いつ?」
「昨日……ママと病院に行って」
「ママと!」
確か詩織ちゃんのママって、ピアノの先生をしていて、趣味は編み物で、キャスキッドソンが好きで、いつもフレアのロングスカートを履いてて……とてもピアスを開けるのを、許してくれるようなオトナじゃなさそうなのに。
わなわなしているあたしにちょっと慌てた詩織ちゃんは、とりあえず行こう? と甘えた声を出して、待ち合わせにしていた喫茶店の戸を開けた。
ここは東京って言っても多摩区の外れで、ほとんど山梨みたいな場所だ。あたしも詩織ちゃんもこの町で生まれ育って、幼稚園も小学校も中学校も一緒だった。高校は、あたしがバカだから別々になっちゃったんだけど。
詩織ちゃんは頭が良いのに、あたしと同じ小学校がいい、中学校がいい、と言って、お受験戦争から逃げてきた。パパも政治家とかやっちゃってる家で、だから、それだけあたしに本気ってこと!
一方あたしは庶民も庶民、ママは近所のスーパーのパートでパパは平凡なサラリーマン。それでも家が近所だったし、お互い一人っ子だったので仲良くなった。
来慣れた喫茶店の、いつもの席に腰かける。窓際で、あたしの後ろにはいつもシュロチクの鉢植えが鎮座する。
「どうやって説得したの?」
「うちのママ、昔からウサギを飼ってるでしょ。その子にそっくりのピアスを探して、これをどうしても着けたいからピアスあけさせてって」
「うわ~策士!」
「えへへ……」
褒めたわけではないのだけれど、詩織ちゃんは嬉しそうに笑った。詩織ちゃんのママは、詩織ちゃんがママのウサギに興味を持つとすごく喜ぶ。詩織ちゃんはウサギにはあまり興味がない。
メニューをパラパラと捲る。初夏、喫茶店のメニューはアイスとかゼリーとかで溢れているけれど、あたしはここに来るといつもホットチョコレートとシュークリームを頼む。詩織ちゃんも同じ。マスターに注文を告げて、メニューを窓際に立てかけた。
「あたし、ずっとピアスあけたかった。飛鳥ちゃん、高校入ってすぐあけてたから」
「あぁ……友達みんなあけてたからさ~」
「ずっとうらやましかったんだよ」
「ご、ごめん」
「……飛鳥ちゃんの、高校のお友達も、全然紹介してくれないし」
げぇ、そういう話になっちゃうのか。面倒な流れだ。詩織ちゃんは自分の高校のお友達にもあまり興味がない。あたしの高校のお友達と、とても仲良くしたがっている。あたしは詩織ちゃんに、あたしの高校のお友達を、あまり紹介したくない。
詩織ちゃんは、詩織ちゃんって。あたしの真似をして自分のことを“あたし”って言うし、なんかそういうところが昔から……。
「期末終わったらみんなで集まるから、そこにおいでよ」
「絶対だよ。絶対誘ってね」
「うん」
カウンター越しにマスターが、準備できたよ、と声をかけてくれて、おぼんに乗った二つずつの甘いカップとシュークリームを見詰めながら、あたしはまたちょっとだけげぇと思った。
おわり
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『そういうところが好き』
「やっぱりあたしも吹奏楽部に入ればよかった。そうしたら真紀と、下校も一緒にできたのに」
さやかがそう、わざと大きな声で言っているのが聞こえた。わたしもわざと、それを無視した。
真紀はきっと困ったように笑っているだろう。それについては胸が痛む。でもわたしにはどうしようもない……さやかが勝手に、わたしのことを敵対視しているだけだ。
「料理部楽しそうじゃん。さやちゃんのお菓子いつも楽しみなんだよ?」
「ん~」
「今日は何作るの?」
「わかんない。また持ってっていい?」
「うん。今日はパート練だけだから、視聴覚室だよ」
「りょーかい」
二人の会話を耳に入れつつ、スマホで天気予報を見ていた。今週末、真紀と二人でアウトレットに買い物に行くことになっている。基本的に外を歩くことになるから、晴れたらいいな。
チャイムが鳴った。あと五分で授業開始だ。さやかが名残惜しそうに教室を出て行った。彼女は隣のクラスである。朝、真紀と一緒に登校してきて、こっちの教室に一緒に来て、わたしに見せつけるようにべたべたと会話をしていくのが日課だった。ちなみにお昼休みにも来る。その時わたしは学食に行ってしまうので関係ないけど。
「志穂ちゃん」
「うん?」
「今日ホルン、どこでパート練やるの?」
「……準備室」
「わかった」
真紀はそれだけ確認して、小さく笑って自分の席に戻った。わたしはカバンにスマホをしまいながら、きっとさやかが作ったおかしをわたしのところにおすそ分けしに来るんだな、と思った。
真紀とは二年になってから同じクラスになった。同じ吹奏楽部だけれど、パートが違うのであまり話す機会がなかった。四月、新しいクラスに入ってすぐに真紀が近づいてきて「志穂ちゃんと同じクラスになれて嬉しい」と言ったのを、今でも何度も思い返す。そんなこと、志穂は、今までの人生で誰にも言われたことがなかった。
真紀はさやかとは、中学時代からの友達だそうだ。二人が仲良しなことは知っていた。志穂は一年の時は、さやかの方と同じクラスだった。いつもお昼になると真紀がこっちのクラスに来て二人でお弁当を食べていた。
パート練の途中、休憩時間になったらすぐに真紀が準備室にやってきた。廊下でお菓子のおすそ分けをもらった。その場でちまちまと齧る。甘いクッキーだった。
「真紀先輩って、なんで志穂先輩と仲いいんだろうね」
準備室の扉の向こうで、後輩たちがうわさ話をしているのが聞こえた。何も気にならなかった。わたしは真紀からクッキーを貰える存在なのだ。それだけで十分だ。
真紀は中学の頃からクラリネットが上手くて、ソロコンテストに出場したりもしていた。この高校の吹奏楽部内で間違いなく一番の有名人だ。対してわたしはなんとなく中学から続けているからという理由でここにいる。目立って下手ではないが上手くもない。
でも。“真紀先輩”はわたしと同じクラスになれて嬉しいって、言ったんだよ。みんなは知らないだろうけど。
クッキーを食べ終えて、準備室に戻った。下校時間まで練習した。
「志穂ちゃん、帰ろ」
楽器のメンテナンスを終えてミーティングルームの隅でぼんやりしていたら、同じパートの子たちとの談笑を終えた真紀が近寄ってきた。うん、と言って立ち上がる。
「ねぇ、学食っておいしい?」
「え、別に普通……なんで?」
「志穂ちゃんいつも学食でしょ。いいなぁと思って」
「……どっちかというとお弁当の方がいいなぁと思うけど」
「そうかな~。学食ってなんかカッコよくない?」
「そうかな~」
「あはは」
夕日が校舎を包み込んでいた。下足箱を抜けてオレンジ色のグラウンドを歩く。夏が近づいていた。
……さやかにもらったクッキーを、わたしに分けて寄越したり。お弁当より学食が羨ましいと言ってみたり。真紀ってもしかして、真紀も、さやかのことを鬱陶しいと思っているのではないか?
最近そういう風に考えてしまうことが増えた。これまではさやかのことなんてなんとも思っていなかったけれど、真紀がそう思ってるのかもしれないと考えると、わたしも彼女に協力? じゃないけど、だってさやかって真紀にべったりなんだもん、そりゃあ真紀がそう思っても仕方ない。わたしも同じ気持ちだよって、言ってみようかな。そうしたら真紀はもっとわたしと……。
「あ、志穂ちゃんあのさ、今度アウトレット行くでしょ? さやちゃんも誘っていい?」
校門を抜けるあたりで、真紀が唐突にそう言った。え、と一瞬固まって、どうして? と聞く。
「さやちゃんも夏服欲しいって言ってたからさ~。土曜は吹部も料理部も半日で終わりだし、午後学校から直で一緒に行けるよ。さやちゃんのお菓子おいしいでしょ、その時はちゃんと志穂ちゃんの分も作ってもらお。学生食堂って、あの場所でお弁当食べてもいいのかな? 来週から三人で食べようよ。あのね、私」
二人に仲良くしてほしいって思ってるんだ。
志穂は、なんとも答えることができずに、でもなんとか絞り出して、いいね、と答えた。周囲に感じていた真紀との関係の優越感を、本人の手でこなごな砕かれたような感じがして、胸苦しくて恥ずかしくてたまらず、一人になった帰りのバスの中で少しだけ泣いた。
おわり
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『こわい先輩は知っている』
日が暮れるのが憂鬱だった。家に帰らなきゃいけないから。
高校一年生の、みじめな少女である私は、ここ最近入り浸っている図書室の窓際の席で、グラウンドを整備しているソフト部の子たちの姿を眺めながら、暮れゆく空にげんなりと気分を沈めていた。
今日もママは、あの男をアパートに呼んでいるんだろうか。パパと離婚して半年。あの男が来るようになって、半年。ママの浮気が原因で離婚したのは明らかなのに、パパは慰謝料を請求しなかった。……私のことも、求めなかった。
「(一人になりたかったんだろうな……もう、絶対に、ずっと)」
私は顔も性格もパパ似なので、パパの考えていることがよぉくわかった。つまり、もう、ママの何もかもが嫌になったんだと思う。ママが住んでいる部屋も、ママが使っている家具も、ママが産んだ、私のことも。
最初のころはこのことを考えると涙が出たものだが、最近ではもうすっかり慣れて、鼻の奥がツンともしなかった。
なんとなく選んだ本は外国の有名な作家が書いた本で、翻訳家のクセなのかもともとそういう話なのか、話の本筋に関係ない、レストランの料理の感想とか一回しか出てこない脇役の家周辺の風景とか、そういうシーンの描写がしつこくて、なんとなく読む気が失せて、なんとなく閉じた。
もうほとんど夕日が沈みかけている。後ろのカウンターの中で司書のおねえさんが帰る準備をしている。
「どおん」
不意に背後から両肩を叩かれ、私はヒャッと悲鳴を上げた。窓ガラスに顔を覗き込んでくる人物の姿が映っている。実際の視界にもその顔はある。
「最近よくここ、座ってるね」
「……は、はぁ」
「それ、面白かった?」
その人は人の好さそうなニコニコ顔で隣に座ってきた。ネクタイが緑だから先輩だろう。黒髪のボブ、毛先に金色のメッシュが入っていて、その髪を掛けた耳にはたくさんピアスが着いている。口の端にもピアスがある。カラーコンタクトを入れているのか、瞳は不自然に赤い。
「面白く……ないです」
「あはは。ずっと閉じてたもんね」
「……あの、え?」
「B組の子でしょ、一年の」
「……」
なんで私のクラスを知っているんだろう。ちょっと怖くなって唇を横に結ぶと、先輩は、頬杖をついて顔をますます覗き込んできた。小さな細い顎だ、赤い瞳はとても大きい。白磁のような肌に夕日が当たっている。可愛い顔。うらやましい。
「いつからハブられてんの?」
「……っ」
「昼休み、西棟のトイレ。ランチはいつもコンビニで買ってるみたいだね」
「なんっ……ですか、なんなんですか」
「なんでハブられてんの?」
確かにここ一週間ほど、いつも仲良かった友人らに急にハブられはじめた。なんでかはわからないけど、けど……。ぐう、と喉の奥が鳴る。
「……私が、ぶ……ブスだから、だと思います」
身長は百五十センチしかないのに体重は六十キロ近くある。一重瞼の目は肉に埋もれてますます小さくなる。頬骨が出ている。鼻が、唇が、顎が。言い出したら切りがないけど、とにかく私の顔はかわいくない。
「いつも仲良くしてる子たち、最近合コンとか行き始めたみたいで……他校の男子と。私、邪魔なんだと思います」
「ふぅん、かわいそうに」
先輩は話をする私の顔をじっと見てはいるものの、興味なさそうにそう言った。
夕日が沈む。窓ガラスに映る二人の顔がくっきりと輪郭を帯びる。ガラスの中の先輩もかわいい顔をしている、いいなぁ、いいなぁ。かわいい顔を見ていたら、顔を上げた先輩とガラスの中で目が合った。あ、と勝手に声が出た。
「放課後も、家に帰ってもママが彼氏連れ込んでて……そいつ子持ちなんですけど、赤ちゃんなんですけど、すごい泣くんです、うるさくて……ママはそいつに夢中で私に赤ちゃんの面倒を頼むんです、でも私そんなのよくわからない、抱っこしても何しても泣くんです、そうするとママが怒鳴るんです、静かにさせろって、それをあの男、ニヤニヤ見てて、それが嫌で、あー……帰りたく、なくて。だから最近は、ここに、います、本、つまんないけど……」
言い出したら止まらなくなって、着地点がわからなくて、最後は本に罪を擦り付けた。べらべらしゃべってすみません。先輩はそっと目を伏せた私の顎を掴んで持ち上げた。ひえ、と悲鳴が出た。
「知ってる、そんなの。知ってるよ」
「……?」
「ずっと狙ってたの。あたしさぁ、人が死ぬとこが見たいんだよね!」
にぱ、と大きな口を開けて笑った先輩。舌にもピアスがあった。いちごジャムのような口臭がする。
「それで? そんなに不幸なら、そろそろ死ぬんじゃない? どう? あたしの前で死ぬ? どうかな?」
かわいい顔がまくし立てる。大きな赤い目の中に私の半泣きの顔が映り込む。いや、と言いたいのに声が出ない。
「こら、またあなたそうやって。図書室では静かにしなさい」
片付けを終えた司書のおねえさんが、ずい、と二人の間に割って入った。先輩はけらけら笑っておねえさんの手を振り払い、そこからもう私なんて見てなくて、ふらっと図書室を出て行った。
「あの子いっつもああやって人をからかうのよね。大丈夫? もう下校時間だからね」
やれやれ、とため息をついたおねえさんは、私にそっと笑いかけてカウンターに戻った。私は、高いところでドクドク鳴ってなかなか降りてこない心臓を持て余して、久しぶりに鼻の奥をツンとさせて、ちょっと泣いた。
おわり
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『片想われ』
彼女のSNSを見つけたのは偶然だった。
大学の友達……というか、知り合い。お互い顔を知ってるだけ。話したことはない。ただ学部が一緒で、必修授業を同じ講義室で受けてるくらいの関係。
「(……え、あたし?)」
なんとなくSNSのホーム画面を流し見していて、ある画像が目に留まった。タイムラインには友達の友達の友達とかの距離感の子のアカウントも表示されるようになっていて、その投稿写真のうちの1枚に見覚えのあるTシャツが写っていた。
里穂のTシャツだ。好きなバンドのライブTシャツ。白と黒の色違いで買って、その黒い方。結構マイナーなバンドだから、同じTシャツを着ている人がいたら絶対気付くので、この人物は里穂だということになる。
その写真を投稿しているアカウントを確認する。アカウント名はmai_aida。あいだまい。相田麻衣。同級生にそんな名前の子がいたような……と、いくつか所属しているライングループを確認して、見つけた。フレンドにはなっていないが、必修授業用のグループに同じ名前がある。アイコンの写真も同一人物のようだ。
「(しゃべったこと……あったっけ? ないよな?)」
自問自答しながらそのアカウントが投稿している写真を確認する。すべてではないが、ちょくちょく里穂が写っている写真がある。写っている、というより、これは……。
「(盗撮……だよね?)」
例のTシャツの写真は、講義中デスクの下からこっそり里穂の背中を撮ったもののようだ。昼の学食で友人らと談笑している写真もある。突っ立って学内掲示板を眺めている里穂、校門を出る里穂、駅前のコンビニで雑誌を物色する里穂。顔がはっきり見えるものはないが、これは確実に里穂だ。
「……ッ」
ある一枚を見て、里穂はぎょっとした。一人暮らししているアパートの、玄関の写真があった。どこの何というアパートなのかまではわからないが、住んでいる人が見たら一発でわかるだろうな、という画角だ。手前にはテイクアウトのコーヒーが写っている。里穂が好きなお店のマークが見える。
「(え、はっ!? い、家まで来たってこと……!?)」
里穂は相田麻衣という人物に、ストーキングされているということだろうか。実感がわかない。でも、このアカウントは……。
慌てて顔を上げて、教室内をきょろきょろと見回した。授業開始まであと五分といったところだ。2コマ連続で同じ講義室で必修科目がある。その、休憩中。
里穂が顔を上げたタイミングで、前の扉から女子グループが入ってきた。仲良し三人組。そのうちの一人が、相田麻衣である。
目があった。麻衣は友人らと談笑しながら静かに目をそらした。そうだ、いつもこんな感じだ。麻衣にだけでなく、誰とも、顔見知りくらいの人間にはこのくらいの対応だ。
「(勘違いか……? う~んでも……)」
もう一度先ほどのアカウントを確認する。やっぱりこれは里穂だろう。それにアパートの写真も……。
「椎名さん」
「おわっ!?」
不意に声をかけられ、里穂は大げさなくらいガバッと激しく顔を上げた。斜め後ろくらいに麻衣が立っていた。とっさにスマホの画面を隠せなかった。
麻衣は里穂のスマホ画面をちらりと一瞥すると、顔色一つ変えずに里穂の顔を見た。
目が合うだけでぞくっときた。意識したことはなかったけれど、彼女は前からこんな雰囲気だっただろうか。
「授業終わり、時間ある?」
「え……」
「お昼一緒に食べない? えと、二人で」
「……い、いつもの友達は?」
「サークルだって。私は入ってないの」
「あ、そう……」
里穂が例のアカウントを見ていると知ってもこの対応。どういうことなのかわからず困惑する。とりあえずうなづいたら、麻衣は眉を垂らして微笑み、他二人のもとに帰っていった。
麻衣は、長い黒髪が印象的な女の子だ。いわゆる姫カットが黒目がちな瞳によく似合う。服装はいつもモノトーン、ワンピースかフレアスカート、ビーズの刺繍のミニバッグをよく持っている。カジュアル系のファッションが好きな里穂とは真逆といっていい。
授業終わりの昼休み。学内の食堂はざわざわと騒がしい。大きな窓ガラスに沿って並べられた、二人用のテーブルとイスのうちの一つに、里穂と麻衣は向かい合って座っている。
「……気づいちゃった、よね」
講義室を出たときから緊迫した空気が漂っている。無言で座って、何か言わなきゃと思っていたら、麻衣がそうぽつりとつぶやいた。
「……え~っと……あのアカウントって、相田さんの?」
「うん……」
「どういう、その……あたしのこと好きなの?」
ストーカーに遭ったことなんてない。モテるようなタイプではないし……ましてや女の子に、なんて。どう声をかけたらいいのかわからず、バカみたいなことを言った。麻衣は眉を垂らして笑う。この表情は癖なのだろうか。
「好き……えっと、あこがれてて」
「あ、あこがれ?」
「かっこいいもん、椎名さん」
かっこいい……。里穂は高校時代のことを思い出していた。バスケ部に所属していて、背が高く手足も長い里穂は後輩たちからよくカッコイイカッコイイとはやし立てられていた。悪い気はしなかった、ポジティブな意味だったから。でもあのころは髪も短く切ってて本当に男みたいだったから……今は、部活を引退してからずっと伸ばしている髪が肩くらいまであるし、いつも適当に結んでるからぼさぼさだ。服装だってボーイッシュというよりラクチンカジュアルって感じ、おしゃれではない、決して。
「か、かっこいいかな……」
「かっこいいよ! でもグループ違うし話題ないし、だから……」
がく、と肩を落とす麻衣。正直悪い気はしない、彼女の言う“カッコイイ”もポジティブな意味だろう。しかし。
「だからってストーカーはダメでしょ……盗撮も」
「……はい」
「ていうか隠す気ないでしょ? あのアカウント名」
「うん……」
「そんな遠回しにしないで、普通に話しかけてよ。あの~……話題なくてもいいじゃん」
「そ、そう……?」
「そうだよ。友達なろーよ。だからあのアカウント、消してくれない?」
ね、となだめる。あんまりキツイ言い方をしたら逆上してきそうでちょっと怖い。家まで知られているわけだし。
麻衣は里穂の言葉にほっとした顔をしてまた眉を垂らし、コクコクと頷いた。里穂の方こそほっとした。
「話してみたら印象変わると思うよ。あたしそんな、カッコイイとかいうタイプじゃないよ」
「そんなことないよ! 椎名さんはかっこいいよ……!」
「あはは。あーなんかほっとした。昼食べようか」
「! うん! あ、あの、お詫びにおごらせて、今日は」
「マジ? 高いの頼んじゃおうかな~」
「どうぞどうぞ!! いくらでも!!」
「冗談だって」
麻衣がスマホを取り出して、大学のHPにある学食メニューを開く。
「(ん……?)」
ふと違和感を覚え、かたまる里穂。しかし麻衣は気にせずメニューページをタップしていく。
「一番高いのはこれじゃない? Aランチ、とんかつセット。デザートも好きなの頼んで!!」
「……」
「? 椎名さん?」
「あ、あーうん、じゃあそれで……デザートは食べてから考えるよ」
「了解。注文してくるね」
麻衣は微笑みながらスマホを握りしめ、ビーズの刺繍バッグを持って注文カウンターの方に歩いて行った。
麻衣のスマホの、壁紙。脳内でもう一度その壁紙を構築する。室内の写真のようだった。ベッド、カーテン、テーブル。すべてのものに見覚えがあった。つい朝にも見たからだ。
里穂の部屋の写真だった。麻衣のスマホの壁紙は、里穂の部屋の写真だったのだ。
「(入った……ってこと?)」
不意に里穂は納得する。例のアカウント名を自分だとすぐわかるようなものにしていた意味。だってあんなの序の口だったからだ。もっとすごいことをしちゃってるから、SNSにアピールするくらいのことは、露骨にやってしまえるのだ。バレたって問題
里穂は全身に水を浴びせられたように冷や汗をかいていた。もしかしてあたし、今、まずいことになってない? とんでもない人間を相手にしているんでは、なかろうか。
テーブルに置いたスマホが突然ブブブブ、と震え、里穂はビクッと肩をはねさせた。見覚えのない番号からだ。嫌な予感がする。怖い。震える手で通話をつなげる。
「……もし、もし」
『あ、椎名さん? Aセット売り切れみたい……頼んだことないから知らなかったんだけど、とんかつの時は人気ですぐなくなっちゃうんだって。Bセットでもいいかな? お魚のフライみたいだよ』
「……」
『椎名さん? あの、ご、ごめんね、あれだったら外に出て、駅前の定食屋さんとか……』
「だ、大丈夫! Bセットでお願い……」
『ん、わかった! 本当にごめんね、待っててね』
ぷ、つーつーつー。通話が途切れる。
なんで相田さんはあたしの電話番号を知っているんだろう。
手足の先が冷えるのを感じながら、里穂は、どくどく速まる心音をただ聞いていることしかできなかった。
おわり




