↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/6

蝉と転脱

ある生徒が自殺をした学校で、先生と、幽霊の見える生徒が話をします。ホラーです。嫌な話です。

2022/04/25

『蝉と転脱』




「ねえ、ちょっと付き合ってよ」


頭の上から降り注いだ明るい声に、急に視界が開けたような気持ちになって、朝子は大急ぎで顔を上げた。


ずいぶん長いことうつむいていたみたいだ。顎を持ち上げた拍子に首の後ろがびりっと痺れた。


その明るい声の持ち主は、顔、表情も明るかった。ひまわりのような笑顔が朝子を見下ろしている。


「付き合うって、どこに?」

「いいからいいから」


ね、と肩をとんとん叩かれ、仕方なく立ち上がる。四限目は体育で、朝子は体操着のままこの校舎裏まで来て、食事もとらずにしゃがみこんでいた。


ミンミンとセミが鳴いている。うるさい。


「朝子さんさ、いっつもこの時間、ここにいるでしょ」

「……」

「昼食べないの?」

「……あんまりお腹、空いてないんだ」


口にしながら、そうだ、と思う。空腹を感じない。なんだか身体がずっしりと重いような気がする。おそらく夏バテだろう。


朝子は夏が嫌いだった。冬はたくさん着れば暖かくなるが、夏はどれほど服を脱いでも涼しくならない。


目の前を歩く少女は制服姿。というか、この子は誰だろう。他のクラスの子だろうか。朝子の学年は全部で六クラスもあるので、二年生になった今でも知らない子がいる。顔に見覚えが、なんとなくあるようなないような。


少女の着た制服は、白地にブルーのラインが入ったセーラー服で、ウエストを折っているのかスカート丈は膝上だ。


「……不良でしょ、あなた」

「はい?」

「スカート。短すぎるし……あ、リボンも指定のじゃない」

「えー、それだけで不良? これくらい普通だよ」


生活指導の先生はとても厳しい人で、毎朝校門の前に竹刀を持って立っているような鬼教師だ。生徒らからはひそかに般若ゴリラと呼ばれ恐れられている。彼の目を盗みこのような着崩し方をしているなんて、やっぱり不良だ、と朝子はため息が出た。


「あなた、私が誰だかわかってる?」

「わかってるよ。相浜朝子さんでしょ」

「……」

「生徒会書記の!」

「……朝の生活指導も担当してるよ」

「えっそうなの?」

「般若ゴリラ先生と一緒に立ってるじゃん」

「んー、あたし基本遅刻して来るからなー」

「……もういいわ」


どうやらこの子に朝子の常識は通用しないらしい。朝子はたしなめるのを諦めた。


ミンミン、ミンミン。元気なセミが鳴いている。朝子の肩までのおさげ髪の、毛先が揺れるだけで少し涼しいくらい、とても暑い日だ。


ダラダラと汗をかく朝子に対し、目の前の少女はとても涼し気だった。制服の襟もスカートの裾も、風を通して軽やかになびいている。朝子は体操服の胸の布を掴んでぱたぱたと仰ぎながら、その様子をうらめしく眺める。


校舎裏を抜けて、グラウンドの隅のあたりに出た。そこからフェンス沿いに歩いて行けば校門だ。


フェンスはところどころ破れていて、校庭の向こうの道路まで、しゃがめば抜けられるような穴もある。




不意に朝子の脳内に、ある記憶がよみがえった。


あれは高校一年生の春。新入生の朝子は下足箱から校門まで行く途中、このフェンスのあたりを歩いていた。フェンスとグラウンドの間に等間隔に植わっている桜の木を観に。


入学式のすぐあとのことだ。桜は少し葉が混ざって、さくらもちのような見た目になっていた。


『おいしそうだよね、この時期の桜って』




「……ッ」


ずきん、頭が痛んで意識が現在に戻ってくる。朝子が顔を上げると、先導していた少女が振り返って朝子の顔をじっと見つめていた。


「……なに?」

「なんでも」

「どこに向かってるの、これ」

「ここからだと、校舎がよく見えるね」

「……」

「ほら、あそこ、保健室」


桜の木は今は全部が緑の葉に覆われている。枝葉の影から暑い日差しが降り注いでいる。瞼に日光が刺さる。


その日光は、校舎にも降り注いでいた。一番下、花壇の並ぶ上に一定の間隔で大きな窓が並び、そのうちの一つが保健室だ。今はどこもカーテンが閉まっている。職員室の方まで閉まっているようだ。まぶしいからかな。


ずきん、ずきん。さっきから頭が痛い。熱中症だろうか。


朝子は保健室の常連客だった。といっても体が弱いわけではない。保健室の先生に会いに行くのだ。


入学式の日、私に「おいしそうだよね、この時期の桜って」と話しかけてきた先生。


それ以降廊下で見かける度に「食いしん坊さん」と話しかけてきた先生。(言っておくが私は食いしん坊ではない。先生が葉桜をさくらもちと言って、私はそうですね、と返しただけだ)


クラスで馴染めない私に「保健室に登校すればいいじゃん」と気軽に提案してくれた先生。


……誰にでも優しい先生。


「保健室の先生さあ、モテるんだよ。朝子さん知ってる?」

「……」

「保健室に来る生徒たち、大半が先生目当てだよ」

「……知ってるよ」

「こっそり飴とか、くれるんだ。保健室登校の子もいるんだから遊びに来るのもほどほどにね、って」

「知ってる、ってば」


結果的に朝子は保健室登校にはならなかった。馴染めないながら友達もできて、夏休みが明けるころには少しずつ教室に行くのが楽しくなっていた。


それでもたまに、保健室に遊びに行く。先生は笑顔で迎えてくれて、部屋の奥の、カーテンで仕切られた向こうにいるらしい保健室登校の子らに聞こえないように、こっそり耳打ちするのだ。「放課後においでよ」。そして飴をくれる。フルーツのだったり、ミルクのだったり。私はそれを握りしめて、ドキドキしながら教室に帰る。クラスの子たちは知らない。私が先生に手を握られたこと。放課後の保健室で抱き締められたこと。かわいいね、と髪を撫でられたこと。誰も知らないのだ。


「あなたももらったことがあるの、飴」

「うん、一回だけね。友達に付き合って見に行った時に」

「先生を? まるで動物園ね」

「あはは」


でも、この子は「放課後においでよ」って誘われなかったんだろう。その友達とやらも、飴をもらっただけだ。私は誘われた。先生に「放課後においでよ」と誘われた。私は誘われた。


私だけだと、思ってたのに。


保健室の窓はいつの間にか開いていて、カーテンが室内側に吹き込んでいる。朝子の後ろ頭に風が当たる。おさげ髪がなびく。


「朝子さん」


少女のセーラー服の襟も風に揺れている。スカートの裾がなびき、やわらかそうな太ももが白く光っている。


「先生のことなんてもうどうでもいいじゃん」

「……は?」

「あんな女のこと忘れなよ。もう楽になりなよ」

「何言ってるの?」


少女は急に切羽詰まった表情になり、朝子の腕を掴んできた。


体育が終わって、少しでも日陰を歩いて行こうと桜の木の下を歩いていた。保健室の窓が開いていて、カーテンが揺れて。


……先生が、知らない生徒と……。


ぐるぐる思考しながらも記憶がどんどんよみがえってくる。ショックを受けた私は、どうしたんだっけ。とにかく暑くて、それなのに脳は冷えていて、ううん、内臓も、氷が差し込まれたみたいに冷えていて、とても教室には戻れそうになかったから校舎裏に行って、ちゃんと考えよう、何かの見間違いかも? でも先生は、私にしたように、そう、私にしたように生徒を、知らない生徒を抱き寄せて腰に手をまわして……校舎裏でうずくまっても答えは出なかった。それから夕方になって、私は体操服のままで、どうしたんだっけ。……どうしたんだっけ?


「私、どうしたんだっけ?」


言葉に出ていた。目の前の少女はつらそうに眉間を寄せている。真っ赤にうるんだ瞳からぽろりと涙が落ちる。


「飛び降りたんでしょ、屋上から」

「……ああ、そっか」

「そうだよ。死んじゃったでしょ」

「うん、そうだった」

「もう~……」

「忘れてた」

「忘れないでよ。次の日警察とかきて、大変だったみたいだよ」

「そうだよね。ん、大変だった、“みたいだよ”?」

「あたしそれ見てないもん」


そういえば大体遅刻してくるって言ってたっけ。思わず苦笑する。見てないもん、って、遅刻してることを堂々と言っちゃってる。


「だめじゃないの、朝はちゃんと登校しなさい」

「うん、うん」

「なんでそんなに泣くのよ、あなたが」

「うん……」

「思い出したらすっきりした」

「それはよかった」

「でも、もう少し、居ようかな」

「校舎裏に?」

「うん」

「……そっか」


本心から、すっきりしていた。私は保健室の先生に横恋慕して、裏切られて自殺した少女の幽霊。そういうことだ。


「死んだら先生のこと呪ったりできるかも、って思ったけど」

「無理そう?」

「無理ね。何もできそうにない」

「残念だな……」

「なんで残念なのよ」

「本当にまだ居る?」

「居る居る」

「会いに行ってもいい? 朝。待ってて、行くから」


ぼろぼろと涙を流す不良の少女に、朝子は思わず苦笑した。


「なんでよ。約束なんかしないでよ、私と」


来なかったとき、つらいし。期待ももうしたくない。死んじゃったのだ、私は。浅はかな少女だった。我がことながら、情けなくすら思う。


少女は、そんなこと言わないで、と余計に泣いた。ところでこの子は誰なんだろう。友達? また私は大切なことを忘れているのだろうか。どうしても思い出せない。


「泣かないで、ね」


そっと抱き寄せて、ぽんぽん、頭を撫でる。


いつの間にか日が暮れて、セミの鳴き声も聞こえなくなっていた。




***




「これでいいんですか?」

「うん、ありがとう」


京子のお礼に、美伎はいえ、と短く返して泣きはらした顔でうなづいた。


この高校の保健室に勤め始めて、十数年。京子にとって理想の花園とも言える女子高勤務を、うまいこと続けていたつもりだった。自分では。


窓が大きく開かれた保健室。吹き込む風でカーテンが室内にぶわりと手を広げている。


出入口付近に立つ美伎に、缶コーヒーを差し出した。美伎は会釈をしてそれを受け取り、そばにあるパイプ椅子に腰かける。


「ごめんね、こんなこと頼んで」

「はは。お役に立ててよかったです」


美伎は短いスカートから惜しげもなく白い足を伸ばしている。折り曲げた膝小僧がぴかぴかまぶしい。京子はそれをちらりと見やってから、デスクに置いたマグカップのコーヒーを飲み干した。


美伎に最初に話しかけられたのは、四月の、まだ桜の花が木に残っている季節だった。


クラスの友人らしき少女と連れ立って保健室にやってきた美伎。先生の顔を見に来たという。いつもするように二人に飴を渡したところで、京子の顔をじっと見つめていた美伎が声を出したのである。


相浜朝子を知っているか、と。


その時の『ドキリ』という心臓の痛みを、京子は夏になった今でも鮮明に思い出すことができる。


「それで、その、朝子は……」

「“朝子”?」

「……コホン。相浜さんは、なんて?」


校舎裏にいる朝子の霊に、気付いていたのは京子だけだった。


朝駐車場に車を停めて、職員用の通用口に向かう途中、いやでも目に入る。気にしないようにしようと思ってもどうしても毎朝、毎晩確認してしまう。ああ、居る。朝子はまだあそこに居る。


「ん~、うらんでるって感じじゃなかったですぉね」

「ええ……嘘ぉ」

「忘れてたみたいです、なんで自分がそこにいるのか」


絶対に私のことを恨んでいるんだ、あの屈んだ顔を上げたら、恨みがましい目で私を睨んでくるんだ。そう思っていた。


京子以外に彼女を見ることができる人物が現れたのは、朝子が自殺をしてから十一年経ってのことだった。


突然現れて知るはずのない朝子の名前を出した美伎を、最初、京子は恐れた。京子のせいで朝子が自殺したのだと責められると思ったからだ。それをどこかに公表しようと、脅されるのだと思った。ほとんど毎日校舎裏で朝子の姿を見ていたので、事件から十一年経っても京子はそんなことに怯えていた。


でも違った。美伎は朝子と話をしてみると言った。それから何度も話しかけては定期的に「今日もだめでした」と報告に来てくれた。美伎が話しかけても朝子はその場にうずくまったまま身じろぎ一つしなかったという。


そして三か月が過ぎた、七月の今日。


「命日だから、ですかね」


京子もちょうどそのことを考えていた。朝子が死んで十一年。今日は朝子の命日だ。


「……ともかくよかったよ、話してくれて」

「はい」

「それで? 成仏したの? 朝子は」

「どうですかね~。私基本見えるだけなんで」

「ふーん……ま、でも自分がなんで死んだのかわかったらおとなしく成仏するんじゃないかな、あの子は」


そういう子だ、朝子は。京子は朝子のことを考える。十一年前、まだ二十代前半だった私に簡単に恋に落ちた朝子。理知的な瞳が印象的だった。愚かで、浅はかで、かわいかった朝子。


「じゃあ私、これで」


いつの間に缶コーヒーを飲み切ったのか、それを京子のデスクにコツンと置いた美伎は学生バッグを肩にかけた。京子の顎のあたりに頭頂部がくる。髪は教師につっこまれない程度に染められている。なんとなく、朝子とは真逆の子だな、と思った。おそらくこういう若者は京子の手には負えないだろう。


そうとわかっていても、いや、そういう子だからこそ、京子は興味を惹かれてしまう。華奢な肩に手を伸ばす。そっと抱き寄せる。


「……何してんの、おばさん」


美伎は動揺一つせず目線だけでこちらを見て、真顔でそう言った。苦笑する。


「そんな邪険にしないでよ。お礼にご飯でもどう? 佐藤さ……美伎、帰宅部でしょ」


名前呼びを強調する。大抵の女子高生というのは、保健室の先生という存在に特別扱いされるのを喜ぶものだ。それに私はただのおばさんではない。それなりにカッコイイ年の取り方をした見た目であると自負している。肩に置いた手を腰に回す。


「“相浜さん”のユーレイに何か聞いた? 被害にあったと思ってるだろうし、誇張して話してるよきっと。私はなにも……」

「でも、知らなかったな」


京子の言葉をさえぎって、美伎はカバンのポケットから何かを取り出す。


「うん?」

「お姉ちゃんが自殺したの、先生のせいだったんだ」


ひたり、首の後ろが冷たくなる。今この子は、なんと言った?


美伎は手に持った生徒手帳を開いて私に見せつけた。それは美伎の生徒手帳ではなかった。相浜朝子。そう書いてある。なんで朝子の生徒手帳を、この子が……。


「両親離婚して苗字変わったの。お姉ちゃんと約束してたんだ。あたしが小学生になったら、お姉ちゃんは高校三年生で、一年間だけ朝一緒におうちを出られるねって。あたし、お姉ちゃんと一緒に登校したかった~……大好きだったの、優しくて、頭が良くて。お前みたいな……」


そこで、もう言う価値もない、というように表情を消した美伎。すう、と息を吸い、ゆっくりと吐き出す。京子は彼女から目が離せない。腰に置いた手が震える。


「お姉ちゃん、まだ居るよ。説得する。先生を呪うように。呪い殺すように。これから毎日。待っててね、先生」


そう言うと、相浜美伎はにこっと笑った。目をゆがめ、口角を無理やり持ち上げるだけの笑み。


初夏の夕方の、湿度の高い空気が保健室内に流れ込む。どこかからミンミン、ミンミンとうるさいセミの鳴き声が聞こえる気がした。




おわり

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。