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私を忘れないで

社会人共依存百合です!メリバっぽいです。

2022/05/05

『私を忘れないで』




 葉子が花好きだと知ったのは、友達になってから一年以上経ってからのことだった。


 友達になってから、というか、口に出して「友達になろうね」と確認したわけではないが、彼女と事務的なこと以外も話すようになり一年以上が経過していたということだ。


「世知辛いよね、名前が“葉子”なのに花が好きとか……」

「世知辛い? はは」


 葉子のこういうちょっとズレた言い回しが好きだった。今まで周りにいなかったタイプだ。


「じゃあ私の名前とかうらやましいでしょ」

「うらやましい。ちょーうらやましい」


 桜子がそう言うと葉子は大仰なしぐさでガクッとうなだれる。彼女はいつも、桜子が欲しいと思っているリアクションをしてくれる。


 誰にでもこうなのだろうか。疲れたりしないだろうか。おせっかいだと思いつつも心配になる。


「ね、今度の日曜、でかけない?」


 昼休みの時間帯だ。公園の中にはどこぞのサラリーマンやらOLやらがベンチを埋め尽くしている。桜子の誘いに、葉子は眉を垂らした。


「嬉しいんだけど……日曜は、出勤しなくちゃいけなくて」

「ええ!? また!? この前も休日出勤してたじゃん!」


 二人は同じビルに入っている会社に勤めているOL同士だ。桜子が五階、葉子が六階。そういえば初めて出会ったときも彼女は休日出勤をしていたっけ。桜子が会社へ忘れ物を取りに来た時に、エレベーターの前でぼーっと突っ立っている葉子に声をかけたのだ。なんというか、その時の葉子は今にも死にそうで、一人でエレベーターに乗せたらそのまま屋上に行って飛び降りてしまいそうだったから。


 あれから一年。桜子の前では明るく笑うようになったが、会社での彼女の待遇は変わっていないようだった。


「ねえ、ほんとに大丈夫? いじめられてない?」

「はは、大丈夫だよ。いじめって、子どもじゃないんだから」

「でも……」


 あれから何度も会社は大丈夫なのか、つらくないかと聞いているが、彼女はいつも平気だと言うばかりである。桜子の前では“普通のOL”でいたいんだ、と言っていた。


「桜子、来週いっぱいだよね」


 一瞬なんのことかわからず、桜子はぽかんと葉子の横顔を見た。彼女は自分の手元にあるテイクアウトのコーヒーをじっと見降ろしている。


「あ、ああ……転勤ね。女はあんまりしないんだけど」

「桜子が優秀だからだよ。すごい。かっこいい」

「いやあ」

「さすが、名前に桜が入るわけだ」

「それは意味がわからんけど」


 辞令は半年ほど前に出ていたが、どうしても葉子に伝えることができず、結局一週間前となった昨日、告白した。葉子は一瞬表情を凍らせ、それから眉を垂らすと昇進のお祝いしなきゃね、と言った。


「私がいなくなってもちゃんとご飯食べるんだよ。最初にここで見つけたときは、何にも持たないでぼーっとしてるから、やばい子なのかと思っちゃったよ」

「はいはいわかりました」

「なにその返事……思春期の娘を持つ母の気持ちだわ……」


 エレベーターで声をかけた次の週の月曜日、この公園で再び葉子を見かけた。再び死にそうな彼女に慌てて声をかけて、それ以来一緒に昼食をとることにしている。


 私が転勤をしたら、彼女は一人ぼっちになってしまう。


 今日の昼休みにはもしかしたら葉子は会いに来ないかもしれない、と思ったが、彼女はいつものようにやってきた。そして桜子に、昇進祝いだと言って一つの紙袋をくれた。


 それは、桜のブリザーブドフラワーだった。そして言ったのだ、実は部屋に花を飾るのが好きだと。花屋さんにもよく行くが、趣味と呼べるほど詳しいわけでもないので黙っていたそうだ。


「にしても、もっと早く言えばいいのに。次からは一緒に出掛けた時、花屋さんとかのぞこうね」

「え~……だって桜子、あれはなに? とかこれは飾ったことある? とかすごい聞いてきそうだし……」

「……まあ、聞くね」

「自信ないもん、ほんと、趣味と言えるほどのもんでもないから」


 葉子は眉を垂らしたまま、口にコーヒーを流し込んだ。静かな時が流れる。もうすぐ昼休みは終わりだ。


「……また会ってくれるつもりなんだね」


 おそらく桜子のセリフが、また一緒に出掛けることがあるかのような口ぶりだったことを指しているのだろう。


「当たり前じゃん、何言ってんの」


 葉子の自信なさげな様子に、桜子はなんでかムキになって、慌ててそう言った。また彼女が死んでしまいそうな顔をしていた時、私は彼女のそばにいることが、できないかもしれない。


「私嬉しいよ、本当に。桜子が昇進して」

「……ありがとう」

「コンガに行っても元気でね」

「行かんわ!! 大阪だわ……今時、東京大阪間なんて大した距離じゃないよ。すぐ会えるよ、だから」

「……」

「再来週の週末、会いに来るよ」

「……ふふ、早いよ」


 葉子の横顔からぽろりと涙が落ちた。眉を垂らした表情。昇進は桜子の方こそ嬉しいはずなのに、どうしても離れがたくて、でもどう言うこともできず、桜子は歯をかみしめた。




 月曜日、桜子が東京に居る最後の週。葉子がランチタイムに現れることはなかった。






***





 大阪に住み始めて半月が経過した。


 桜子の会社は大阪が本社で、東京よりもずっと、なんというか、“バリバリ”と働いている。前はほとんど残業なんてなかったのに、こっちに来てから週に三日くらいは、家に着くのが十時過ぎになってしまう。


「(あ~~~、つかれた)」


 終電間際の電車に人は少ない。桜子のように残業してへとへとになっているサラリーマン、遊んできたのかショップバッグを抱えている女子大生風、塾帰りっぽい子ども。そんな空気に交じって、桜子はぼんやりと窓の外を眺める。


 今週も東京に行けなかった。


 大阪に来てからというもの本当にバタバタしてて、土曜は疲れて一日寝てしまうし、日曜は家事で忙しくて気付いたら夜だし、そしてまた忙しい一週間、という毎日だ。


 連日頭の片隅で「東京に行かなければ」と考えているので、桜子はなんだか疲れてきた。楽になりたい。今週こそは、東京に……。


 うとうと、としたタイミングで電車が停まり、気付いたら桜子の最寄り駅だった。慌てて降りて駅のホームを歩く。


 葉子のことを考えると胸が痛んだ。私がいなくて、寂しい思いをしていないだろうか……。


「桜子」


 改札を抜けたところで声を掛けられる。反射的に顔を上げると、そこには葉子が立っていた。


「葉子! なにしてんの」

「おかえり」

「あ、うん、ただいま」

「家の鍵はちゃんとかけてきたよ」

「当たり前でしょ」


 葉子は眉を垂らして笑うとペットボトルのミルクティーを差し出してきた。受け取って、家までの道を歩き出す。


「寂しかったから迎えに来ちゃった」

「あ~……せっかく大阪に来てくれたのに、放置しちゃってごめんね」


 そう、葉子は、先週の頭から大阪に来ている。桜子の部屋に居候状態だ。大阪に知り合いはいないだろうし、桜子が仕事に行っている間は寂しい思いをさせてしまっている。仕事が忙しいせいで、せっかく一緒に住んでいるのに、二人の時間があまりとれない。


「東京にいたころよりは、全然寂しくないよ」


 葉子はそう言うとけなげにほほ笑んだ。心臓がきゅんっと鳴った。


 葉子は東京に独りぼっちになってしまって、いや、桜子に出会う前に、戻ってしまって。寂しくなって、つらくなって、我慢できなくて大阪に来てしまった。桜子に会いたくて、来てしまったんだ。そう考える度に桜子は言いようのない独占欲が心を震わせるのを感じた。


 一呼吸おいて、ミルクティーを口に傾ける。


「早く向こうの部屋引き払わないとな」

「うん……ねえ、本当に引っ越してきていいの?」

「いいよ、別に……あ、葉子さえよければ、だけど」

「うううぅわったり前じゃん!!!!!」

「溜めたねぇ」


 葉子は溜まりに溜まった有休を使い切って辞めるらしい。あの気弱な葉子がよくもまあ……と感心したら、どうせもう最後だと思ったら平気だった、とけろりと言ってのけた。そういうところも好きだ。ちょっとズレてるっていうか。常識がない、とも言う。


「(普通、いきなり仕事辞めるって言って職場に行かなくなるとか、ありえないよなあ)」


 でも、しょうがない。葉子は弱いから。いじめられてて、どうしようもなく寂しくて、桜子に会いに来てしまったんだから。


「まあ、しばらくはゆっくりしなよ。うちでさ」


 信号で立ち止まる。ぽん、と肩に手を置く。葉子は眉を垂らして、うん、と頷いた。




***




 要領が悪い自覚はあった。昔からトロいところがあって、そのくせ思ったことをたまにぽんっと口に出してしまうところがあって、それが理由で嫌われる。そんなことの繰り返しだった。なんていうか、見下してもいい相手だと、思われがちなのだ。もう大人なので、露骨ないじめをされることはないけれど。


「行ってらっしゃい」

「お土産買ってくるね」

「わ~い」


 葉子が手放しに喜ぶと、桜子は嬉しそうに笑って、子供にするみたいに葉子の頭を撫でた。


 ぱたん、扉が閉まる。葉子は、今日は何をして過ごそうか、と考えながら朝食の食器を洗う。


 大阪に来て一か月以上経過している。有休を使い切るまであと数日といったところだろう。元職場の人たちはきっといじわるして必要な書類などを、こっちから言わないと作ってくれないだろうから、これから働く予定の事務所に先に相談しよう。


 転職はずっと考えていた。今の職場で、これから何十年も続けていく自信がなかった。そもそも人付き合いが得意ではないのに、普通のOLなんてできない。そう、自覚はあったのだ。


 ちょうど、持っている資格と業務内容が合致する企業が見つかり、転職活動を始めた矢先に、桜子の昇進が決まった。


「(仕事を始めたら、きっと桜子、私のこといやになるかもな……)」


 桜子が私をかまってくれるのは、私がどうしようもなく孤独で、ひとりじゃなにもできないくせにみんなから嫌われていて、かわいそうな生き物で、とにかく、ダメな女だから、なんだと思う。桜子ってそういうところがあるから。良い人な自分に酔ってるっていうか。


 転職活動は無事に終わり、元職場で必要な業務もすべて済ませてから大阪に来た。桜子は案の定、葉子がすべてをなげうって桜子の元へ来たと思い込んでいた。


 葉子はあえて、訂正しなかった。なんならまだ就職のことを言っていない。


「(しっかりしてない私が、好きなんでしょ)」


 食器を洗い終わり、ついでに冷蔵庫の中も確認する。こっちに来てから料理を勉強している風を装っているが、本当は昔から料理が得意だ。お弁当だって自分で作っていた。桜子に会うまでは。


 桜子に会うまではできていたことを、できないふりをしていて。いつの間にか、桜子の前で『ダメな女』を演じるようになってしまった。『ダメな女』の私を好きな桜子が、葉子は好きだった。


 リビングに戻って、財布とエコバッグを手にする。リビングテーブルに置かれた生花に水をやって、部屋を出る。


 実はもう転職先が決まってて、それはもうずっと前からそう決まってて、ずっと前から、葉子は実は、一人でも生きられる人間なんだ、と、桜子が知ったらどう思うだろう。それを告白するところを想像すると、葉子はゾクゾクして、ハラハラして、どうしようもない衝動に駆け出したくなる。


 嫌われたくないのに、桜子の中の葉子像を、めちゃくちゃにしたくてしょうがない。


「(まだいいや。まだ。仕事を始めるときに、告白しよう。部屋を出ていくことになったら、告白しよう)」


 マンションの玄関ホールを抜ける。そうだ、帰りに駅前の花屋さんにも寄ろう。


「(桜子が私のことを、好きだなんて言ったら、告白してやるんだ)」


 かわいそうな桜子。きっと彼女に、悪気があるわけじゃないのに。むしろかなりの善人だ、彼女は。


 だって、ただぼ~っと突っ立ってるだけの他人のことを、勝手に深読みして心配して声をかけてくるくらいなのだ。ただぼ~っと座ってるだけの他人の食事事情を気にかけて、それから毎日毎日声をかけてくるようなひとなのだ。ただ単に要領が悪くて休日出勤してる他人が、いじめられてるんじゃないかなんて心配して、自分の昇級のことを、告白できないくらいのひと、なんだ。あの子は。あのひとは。


 あのまま東京で二人、昼を過ごしていたら、きっと彼女は葉子無しでは生きられなくなっていただろう。そうだといいな。そうしよう。


 葉子は、午前中の澄んだ空気を吸い込んだ。






おわり

過去作、ここまでです!読んでくださった方、ありがとうございました!

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