短編「忘れ物って何だったんだろう?」
冬の長期休みを、ルシィは学院寮で過ごすことにした。
今まで長期休みの際はエレンナのもとで世話になっていたが、聞けば年越しは故郷で過ごすのだという。ルシィも一緒にと誘われたが、さすがに年越しまで邪魔をするのは気が引けたし、なにより自分の奇怪な体質とリスクを考えると国を渡るのは不安がある。
以前のルシィであれば、国を跨いで記憶を無くしたならそれはそれで良いかと考えていただろう。なんともリスクの高い放浪癖だ。
だが今は『忘れたくない』という思いが強く、同時に『忘れてしまった場合の不安』もある。――なにせ魔法を使うや記憶の有無に関係なく元猫のドラゴンが迎えにくるのだ――
そう話せば、エレンナが苦笑を浮かべつつ抱きしめてくれた。優しく、それでいて強い包容。「休みがあけたら、冬休みの思い出話をしましょうね」と告げてくる彼女の声はどこか嬉しそうで気恥ずかしくなってくる。
そういうわけで、年を越すまで残すところあと数時間という夕暮れに、ルシィは食堂で買い込んだ食べ物を手に寮の自室へと歩いていた。
帰省せずに寮に残る生徒はそこそこ居り、縮小営業とはいえ食堂が今日も開いていたのは助かった。おかげでたっぷりと食べ物を買い込み、これで年明け数日は自室に籠もることが出来るだろう。
「どこぞのみぃみぃうるさいお嬢様も居ないし、一日布団の中で過ごせる」
思わずそんなことを呟いてしまう。
もちろん『どこぞのみぃみぃうるさいお嬢様』とはオルテンシアのことだ。――他にみぃみぃうるさいお嬢様が居てたまるか――
彼女は冬の長期休みに入るや大量の荷物を迎えのメイドに持たせ、
「どうしてもって言うならローズドット家に泊めてあげないこともないのよ! 寂しいって手紙を寄越したら、迎えを寄越してあげないこともないんだからね!」
と喚いて馬車に乗り込んでいった。
ちなみにそれとほぼ同時に、名残惜しそうにルシィの頭を撫でるクラウディオが、
「王子の職務を全てサボってでもルシィと過ごしたいんだ。だけど年が空ける時には王家のパーティーがあって、そのうえ脱走防止にコンラドの監視をつけられた……」
と、恨めしげに呟いていた。
それを聞いたルシィはクラウディオに頭を撫でられながらも、コンラドが監視とは適任だと頷いてしまった。なにせ二人の仲は身分の違いを微塵も気にかけず、そして気にかけないがゆえに遠慮もないのだ。
少なくとも国内には王族であるクラウディオの首根っこを掴んで引きずれる者はコンラドしかおらず、これ以上の監視役は他には居ない。思わずルシィが「名采配」と呟いてしまったほどである。
それを聞いたコンラドの勝ち誇った表情と言ったらない。
日頃の仕返しだと言わんばかりで、嘆くクラウディオを引きずりながら「年越しはずっと一緒だぞ」と告げる彼の声は随分と意地悪で楽しげだった。
そんな騒々しさの中で彼等を見送ったのだ。思い出せば表情が綻んでしまう。
その後一人また一人と寮を出て行くのを見送り、リルも学院長が手配してくれた暖かな施設で冬を越すためにと出発するのを見送った。
そうしていよいよあと少しで年が明ける。
「そういえば、一人で過ごすのってここに来てから初めてかな……」
そんなことを呟きつつ寮への道を歩く。
記憶を無くしてこの学園に来て、それからはずっと寮で過ごしてきた。長期休みはエレンナの店を手伝い、市街地の店でよくコンラドとお茶をした。ローズドット家に攫われるように雇わることもあり、痺れを切らしたクラウディオがお忍びで花屋に来たりもした。
なんとも賑やかな日々ではないか。
だからこそ、今のこの静けさが非日常に思えてくる。日頃は生徒達が行き来し賑わっていた道もシンと静まりかえり、周囲を見回しても誰の姿もない。
どこに行けばいいのか分からなくなりそうだ……。
自分が歩いている道が正しいのか不安にさえ思えてきて、元来た道をつい振り返ってしまう。だがそこにも人の姿はない。
「嫌だな。久々に一人になったから不安なのかな。今まで何度も一人になったはずなのに。早く部屋に戻ろう」
そう呟いて足早に道を進む。
部屋に戻ってゆっくりしよう、暖かい紅茶を飲んで年を越すのだ。そうすればきっとこの静けさにあてられてざわつく気持ちも落ち着くはず。
一日寝て過ごして……その後はなにをしよう。あまり思い浮かばない。
どうにも調子が狂うと軽く頭を掻きながら寮の入り口を通り、足早に自室へと向かい扉を開け……、
「遅かったじゃないルシィ。ちゃんとケーキを買ってきたんでしょうね?」
と、扉の前で仁王立ちするオルテンシアの姿に、ゆっくりと扉を閉めた。
ひとまず己を落ち着かせるために深く息を吐いてみる。
今居たのは誰だ? あの豪華な金髪、全身から溢れる令嬢オーラ、そして扉の向こうから聞こえてくる「みぃぃぃい!!」というこの訴え……。
間違いない、オルテンシアである。
認めざるを得ないかとルシィが溜息を吐き、ゆっくりと扉を開いた。――その際に彼女から発せられた「み゛っ!」という音には、叱咤と「さっさとホットコーヒーを用意しなさい!」という意味が込められている――
「オルテンシア様、ローズドット家に戻られたんじゃないんですか」
「忘れ物をしたから戻ってきたのよ。それで、せっかくだから学院長の聖鐘を聞こうと思って」
そう話すオルテンシアに、彼女用にホットコーヒーを用意しながらルシィが頷いた。――ホットコーヒーとは名ばかりのホットミルクなのは今更な話である――
そうだ、聖鐘だ。長期休みに入る間にクラウディオが教えてくれた話を思い出す。
年が明けて直後、学院長が魔法で周囲に鐘の音を鳴らすという。数は108回、その回数には何やら意味が込められており、寮に残っている生徒達を癒しそして繁栄と幸福を願って鳴らされるのだという。
中にはそれを聞くために寮に残る者や、国内の者がわざわざ聞くために年明けに併せて学院周辺に集まるのだという。
なんとも新年らしい話ではないか。オルテンシアも、忘れ物を取りに戻るついでにそれを聞こうと考えたらしい。
「迎えは明日の朝に来るのよ。仕方ないからこの部屋でルシィを相手に年越しを迎えてあげるわ。床に這い蹲って感謝なさい、ついでに床を拭きなさい」
「こぼしたなら素直に言ってください」
「みっ!」
黙りなさい! とオルテンシアに叱咤され、ルシィが肩を竦める。年越し直前といえど相変わらずみぃみぃうるさいお嬢様だ。
どうやら、今回の長期休みも彼女のお世話で終わるらしい。
寝てすごそうと思ったのになぁ……と小さくぼやくも、オルテンシアに聞かれていたらしく「だらしない!」という言葉を込めた「みっ!」で叱咤されてしまった。
みぃみぃ喚かれつつもオルテンシアの世話をし、二人テーブルにつきながら年越しの瞬間を待つ。
暖かい紅茶を飲んでケーキとクッキーを食べ、一年を振り返ったり授業のことを話したり、あとは……恋人のことを話したり。
「コンラドがね『年越しはオルテンシ嬢と過ごしたいと思っていたけれど、王から勅命を受けたんです』って……。そのときのコンラド、嬉しそうで凛々しくて素敵だったのよ」
「その勅命がクラウディオさんの監視かぁ。さっきから伝書の猫が大量に来て、列作っちゃってる」
きっとパーティーの合間を縫って送っているのだろう、クラウディオらしい品の良い猫がちょこんと座って列を作っている。
早く鼻先を突っついて主からのメッセージを聞いてくれと言いたいのだろう、チラと横目で見れば一匹と目が合い、ゆっくりと瞳を細められた。
その愛らしさにあてられ、つい手を伸ばしてしまう。ツンと鼻先を突っつけば猫が一瞬にしてぽわと煙に変わり、クラウディオからのメッセージを伝えてくれる。
『ハムがおいしい』
『ソテーがおいしい』
『やっぱりハムがおいしい』
『ケーキがある。ルシィが好きそうなケーキだ』
「クラウディオさん、相当退屈みたいですね。さっきからこんなメッセージばっかり」
「あらコンラドからも伝書の猫が来てるわよ。こらじゃれないの、鼻を突っつかせてちょうだい。みっ、みっ」
コンラドの伝書の猫は低い魔力を元に作られているため、使いとしてはいささか難有りである。今もゴロンと机の上にひっくり返り、伝言を聞こうと手を伸ばしてもじゃれついたり逃げて遊んだりと大人しくメッセージを見せてくれない。
だがそれもまた猫の愛らしさだと二人で愛でながら、オルテンシアがリボンの紐を揺らして気をひいているうちにルシィが伝書の猫の鼻を撫でた。
『連投すまない。現行犯逮捕した』
「あ、クラウディオさん捕まったみたいですね」
「さすがコンラド、仕事が出来るのね。みふぅ」
うっとりとオルテンシアがコンラドを想って吐息を漏らす。対してルシィは今頃コンラドに連行されながら文句を言うクラウディオの姿を想像し、小さく笑みをこぼした。
自分と結ばれるために王位継承権を捨ててくれた彼は、その後少し我が儘になったと彼の父親である王が楽しげに話してくれた。
王族として出席するパーティーの最中にこっそりと伝書の猫を送ったり、以前であれば王族の義務だと割り切って参加していた会に少しつまらなさそうに出席したり……そんな年頃らしい素振りを見せるらしい。
――それを周囲は「恋をして年相応になった」と言っていたが、コンラドだけが「ルシィがクラウディオの化けの皮を剥がしただけだ」とクツクツと笑っていた――
「さすがに年を越したらクラウディオ様も挨拶があるから猫を送ってこれないでしょ。私達はのんびりと紅茶とケーキを楽しみましょう」
「そうですね。オルテンシア様、紅茶のおかわりいりますか?」
「良い心がけね」
高飛車な態度でカップをこちらに寄せてくるオルテンシアに、ルシィが肩をすくめつつティーポットに手を伸ばした。
香り立つようにゆっくりと注ぎ角砂糖を二つポチャンと落としてやれば、得意気な表情で「私の世話係が板についてきたじゃない」となんとも有り難くないお褒めの言葉が返ってきた。
王宮も王宮で忙しそうだが、こちらもなかなかだ……。そんなことを考えてしまう。もちろん、口に出せばみぃみぃと怒られるのは目に見えて明らかなので言わないでおく。
そうして紅茶とクッキーを楽しんでいると、壁に掛けていた時計の長針と短針が12の表示の上で重なり合った。日付と、そして年が変わったのだ。
数秒前から秒読みをしていたルシィとオルテンシアが顔を見合わせ、ルシィが頭を下げた。
「オルテンシア様、今年もよろしくお願いいたします」
「よろしくってよ」
「そこは一応それなりの挨拶を返してくださいよ」
「よろしくしてあげないこともなくってよ」
「はいはい」
相変わらずなオルテンシアの挨拶にルシィが溜息を吐けば、それとほぼ同時に響くような鐘の音が響いた。
学院長の聖鐘とやらだ。低く響くその音は心地良く、部屋中に満ちていくように感じられる。
「みっ」
「これが聖鐘なんですね。綺麗な音……あ、また一つ」
「みっ。この鐘の音には生徒や国を想う学院長の気持ちが魔法に込められているのよ。みっ」
「聞いてると心が落ち着いてきますね。こう、胸に優しくとけ込んでいくと言うか……」
「みっ。人柄が音になっているように思えてくるわね。この穏やかで……みっ」
「……えぇ、本当」
そう思います、と言い掛けてルシィが言葉を止めた。
その間にも聖鐘が一つ鳴り、オルテンシアが「みっ」と小さく声を上げた。
……共鳴してる?
「オルテンシア様、もしかして……」
「なにかしらルシィ。ほら、また鳴るわよ。みっ」
「やっぱり共鳴してる。オルテンシア様、今年の抱負を長々と語ってみてください」
「あら突然ね。まぁ良いわ、私の崇高な抱負を聞いて貴女もみっ参考になさい。まぁ一般庶民の貴女には私を参考にするなんてみっ無謀にもほどがあるけど、庶民なりに志は高くもっておかなきゃみっ」
「凄い。話の最中にも共鳴してる」
本人は気付いていないようだが鐘が鳴るたびに「みっ」と声をあげるオルテンシアに、ルシィが「これをあと100回近く聞くのか……」瞳を細めた。
そうして聖鐘の音を――ルシィは鐘の音とオルテンシアの「みっ」という共鳴を――聞き終え、そろそろ寝ようとどちらともなく立ち上がる。
就寝の挨拶をしたにも関わらず当然のように部屋に入ってくるオルテンシアにルシィは何も言えず、ベッドの三分の二と枕を奪われながらも眠りについた。
そんな夜が明けて、朝。
「みぷぅ……みぷぅ……」というオルテンシアの寝言にルシィがふっと目を覚まし、うとうとと起き出してコーヒーを淹れる。
まずは自分が飲むホットコーヒー、こちらにはミルクと砂糖を適度に入れる。次に用意するのはオルテンシアが飲むホットコーヒー……のコーヒー抜き牛乳増し砂糖多め。こちらは適度を超えたぬるさに冷ましておく。
それらを用意し終えて、はたと我に返った。今日は一日寝て過ごす予定だったと思い出したのだ。だというのに、目の前には二人分のコーヒー……。
ここまで世話係が染みついてしまったのかと己を憐れんでしまう。
「今年もみぃみぃ喧しく騒がれるのか……」
「失礼ね、このオルテンシア・ローズドットの有難い言葉なんだから、喧しいわけないでしょ。近くで聞けて光栄に思いなさい!」
「おはようございますオルテンシア様。クッキー食べます?」
「みぃ」
簡素な「みぃ」の言葉には、朝の挨拶とチョコチップクッキー催促の両方が詰め込まれている。
そんな相変わらずさを聞き流しつつ、ルシィが調理場へと向かった。
そうしてサクサクと二人でクッキーを食べ、オルテンシアが「さて」と話を切り出した。
「そろそろ家の迎えが来る頃だわ」
「戻るんですか?」
「あら、休みの間も私に仕えたいの? それなら屋敷に連れて帰ってあげるわ。まぁ庶民の貴女に客室なんて勿体ないし、屋敷の玄関で寝袋でも用意して寝泊まりするのが妥当だけど、ルームメイトのよしみで私の隣の部屋を宛がってあげる」
「むしろ人様のお屋敷の玄関に寝袋で住み着いてみたいんですが」
「相変わらず生意気ね!」
普段通り高飛車に叱ってくるオルテンシアをルシィが御座なりに流せば、怒りを含んだ「み」が返ってくる。
次いで彼女は金の髪を豪快に揺らして、ふいとそっぽを向いてしまった。その表情は明らかにご機嫌斜めで、さながら耳を倒して不満を訴える猫のようだ。
「せっかくこの私が情けを掛けて、どうしてもって言うなら連れて帰ってあげようと思ったのに!」
「……連れて帰ってください」
「私に仕えたいなら、その性格を直さないと……み!?」
聞こえた言葉が信じられないのか、オルテンシアが間の抜けた「み」の声をあげて大きな瞳を丸くさせた。次いで慌てたようにルシィへと視線を向けてくる。
それに対してルシィは気恥ずかしさと居心地の悪さを覚えつつ、それでもジッと彼女の瞳を見つめた。
「一人で過ごす方法を忘れてしまったみたいです。連れて帰ってください……どうしても」
「みっ、みみみ!! 仕方ないわね、さっさと用意なさい!」
途端に瞳を輝かせ、それでも高飛車な態度を取り繕ってオルテンシアが命じてくる。
そんな彼女にルシィは小さく笑みを零し、「かしこまりました」と返すと共にローズドット家へと向かう準備に取り掛かった。
「ところでオルテンシア様、何を取りに戻ってきたんですか?」
部屋を出る際にルシィが尋ねたのは、元々忘れ物を取りに戻ってきたはずのオルテンシアが何も持っていないからだ。
些細なものであれば、それどころか些細なものでなくとも使いを出すはずのオルテンシアが、わざわざ自ら戻ってきたのだ。よっぽど大事なものなのだろう。だがそれが見当たらない。
重いものや大きなものなら持たされるだろうと、むしろ小さかろうと軽かろうと「この私の荷物を持てることを光栄に思いなさい!」と押し付けてくるに違いないと思っていたが、部屋を出るオルテンシアにその様子はない。その両手にも何もない。
だからこそいったい忘れ物とは何だったのか、ちゃんと持ったのかと尋ねれば、オルテンシアがジッとルシィを見つめ……、
「もう持ったわ」
と素っ気なく返した。
ルシィの頭上に疑問符が浮かぶ。どう見てもオルテンシアは何も持っておらず、こちらに持たせてくる気配もないのだ。
それどころかこの話題はお終いだと言いたげに「さっさと鍵を閉めなさい!」と急かしてくる。
これにはルシィも疑問を抱きつつも促されるままに扉に鍵をかけた。
静かな学院の寮の廊下に、カチャンと施錠の音が響く。
「迎えを待たせてるんだから、早くなさい」
「オルテンシア様も戸締まり手伝ってくれれば、もっと早く出発出来たんですけどね」
「あら、私は貴女に変わってクラウディオ様に伝書の猫を向かわせてたのよ。感謝してほしいくらいだわ」
「クラウディオさんに?」
「えぇ、ルシィがローズドット家にいるって教えてあげたのよ。学院や市街地よりもローズドット家の方がクラウディオ様も来やすいでしょう。ルシィを餌にして屋敷にお招きするのよ」
「私を餌にして招いたクラウディオさんすらも餌にしてコンラドに会いたいくせに」
「みぃー!」
黙りなさい!と叱咤して歩き出すオルテンシアに、ルシィが肩をすくめてお座なりな謝罪を返す。
そうして「早く来なさい!」という「みっ!」の声に急かされ、彼女の後を追った。
…end…




