第62話 開戦
~?~
これ以上道化師の素顔を見たら『自分』は死ぬ。
『自分』はそう確信していた。
それは実際の死か精神的な死かはわからない。
しかし確実に死へのカウントダウンが進んでいるのがわかった。
そうすると後悔の念が鎌首をあげる。
道化師に顔を見せろなどと言わなければよかったか。
偵察にとどめて撤退すべきだったか。
やはり族長方を待てばよかったか。
そもそもヤツを封じることになった際に独断ででもヤツを始末しておけばよかったのか。
(…これではまるで走馬灯だな)
などと考えているとどうしても過去の記憶が頭をよぎる。
そしてその中心にあるのはやはりヤツだ。
あのような呪われた身でありながら能力は全てにおいて『自分』を上回っていた。
『自分』の方が上だと突っかかったことも一度や二度ではない。
そしてその度にヤツの方が上だと理解させられた。
理不尽に罵ったこともある。
実力行使に出たことさえあった。
それでもヤツにかなうことはなかったしそのうえでハイエルフ様がヤツを庇うのも業腹だった。
ハイエルフ様の下から放たれこの森に封じられることになると知った時は多少の溜飲が下がった。
だがそうなってはもはやヤツと雌雄を決する機会はない。
それはヤツより『自分』が下だということが確定するということでもあった。
その時から数百年。
『自分』は己を律し、研鑽を重ね、族長方に次ぐ次世代筆頭と呼ばれる程になった。
ヤツへの扱いを考えれば封が破られれば我らに反旗を翻すは必定。
それに対抗する力はどうしても必要だ。
そう考え己を高め、同世代とその必要性を共有し、部下も育成してきた。
そうだ。
その力を今発揮せずにどうする。
身体が動かないなら魔力を動かせ!
地に立つ2本の足、その魔力を動かせ!
右の足から魔力を抜き、左の足へ集中!
思惑通り力の差ができ身体が右へ傾く。
戦闘になるやもとロックを外しておいた背部に水平に装備していた剣が右へと滑り落ちる。
柄頭の部分から地面に落ちた剣に自ら倒れこむ。
当たる場所は運任せだったが上手いこと上腕部をかすめる様に肉を裂かせながら地面に倒れこむことに成功した。
「ぐっ!っ!はぁっ!はぁっ!!」
痛みにより体の硬直から解き放たれた『自分』は封じられていた呼吸ができる様になり必死に空気を取り込む。
そんな『自分』の様子に道化師も仮面をずらすのをやめこちらをうかがう。
「いかがなさいましたか?やはりお目汚しでしたでしょうか?」
そのようなことをのたまう道化師に苛立つが、呼吸もままならない状態では頷首するしかすべがない。
「ではここまでにいたしましょう。ところでお怪我をなさったご様子。治療の心得もございますが――」
そう言って仮面をもとに戻した道化師はこちらに治療を施そうかと提案してくるが、当然拒否の一手だ。
「っ、いや、結構」
そう絞り出し多少は自由になった体を起こすと地に落ちた剣を拾い、自身の血を振り払うと鞘へと収める。
「貴様のことは、もういい。要件を済ます」
そう言って道化師から視線をヤツへと移す。
「お前を里へと連れ帰る。拒否するなら始末する。おとなしく従うのが貴様のためだ」
ヤツへとそう告げるがヤツは身じろぎすらせずこちらを見つめたままだ。
口元は何かを言いたそうにわずかに動く兆しを見せているように見えるがその口から何かが発せられる前に道化師が水を差す。
「おやおやおやおや、それは少し困りましたね」
道化師は相変わらず大仰な動きをしながらそのようなことをのたまう。
「貴様のことはもういいと言った。これは我らエルフの問題。口をはさむなら――」
そう言って道化師の背後に展開している舞台にハンドサインで指示を出す。
すると一筋の矢が飛来し道化師の右肩へと突き立った。
「「!!!」」
「――っ!…こういうことになる」
道化師に矢が突き立つとさすがに龍族の少女、そしてヤツにも動揺の色が浮かんだ。
だが肝心の道化師は矢が突き立っても悲鳴を上げることはおろか身じろぎ一つ起こすこともない。
矢が飛んできた方を振り返ることもせず弓形の眼窩から静かにこちらを見つめるだけだ。
逆にあっさりと矢が突き立ったことにこちらが驚いて動揺を見せてしまったほどだ。
「これは失敗失敗。矢がすり抜ける手品をご披露するはずがうっかりしっかり矢が刺さってしまうとは…己の未熟さを文字通り『痛感』するばかりでございます」
『自分』が動揺し、次の言葉を紡げずにいると道化師がまた奇妙なことを言い始める。
「っ!貴様はもう何もするな!これ以上動けば――」
「しかしながら純粋な手品師と違い道化師は失敗してからが真骨頂。ここから見ごとに矢をすり抜けさせて御覧に入れましょう」
『自分』の生死の言葉も聞かず道化師は言葉を続け、矢の突き立った右肩、その反対側である前面の部分を左手でさするようなしぐさを見せる。
遠距離からの射撃、そして肩甲骨を貫くような形になったためか鏃は貫通しておらず前面に傷はないはずだが、道化師はしきりにその部分をさすると――
――己の指先をその身に突き立てた。
「「「!!!」」」
これには『自分』のみならず龍族の少女やヤツも驚いた様相を見せておりヤツはともかく龍族の少女にとっても普通ではない光景の様だ。
それはそうだ。矢傷を負った時に治療のために貫通させることもあるがあのように指を突っ込むなどありえない。
しかも道化師は服を脱ぐこともなくローブの上から指を突き立てている。
治療だとしたらやっていることが何もかもおかしいのだ。
「おっ、ありましたありました」
そうこうしているうちに道化師は鏃を掴んだ様子を見せ、引き摺り出すように矢を引き抜き始める。
ずるずると引き出される矢には道化師の血がべったりとまとわりつき、道化師の言うような手品などではないとはっきりと示している。
そして道化師は矢羽根の付いたままの矢をずるりと抜き取ると矢を掲げ、
「種も仕掛けもございません。矢が体をすり抜ける手品でございました」
そういって恭しく頭を下げた。
『自分』が、おそらく背後の部下や他の部隊の者もヤツにのまれ言葉を失っていると、
「それでは手品にお借りしたこちらの矢はお返しいたしましょう」
道化師はそう言って目をくれることもなく背後に向かってその矢を弾く様にして放つ。
「!!」
「グアァッ」
道化師によって放たれた矢は道化師に矢を放った者に突き立ったのが見えた。
その矢を放ったものもその後位置を悟られぬようしっかりと移動していたにもかかわらず、その矢は道化師と同じ右肩へと突き立っていた。
「さて、話を戻しますが彼女を連れていく、というのは少し困るのです」
道化師が背後の様子に意を介さないままそう言うと、龍族の少女とヤツが道化師に近づき戦闘態勢をとる。
「戦いは苦手なのですが――」
道化師がそう言っている間にも矢を受けた部隊が先程の反撃を戦闘開始と判断したのか矢や魔法を放ちながら駆けてくる。
しかしその攻撃は今度は本当に道化師の身体をすり抜ける様にして外れ、効果を発揮することはなかった。
『――仕方ありませんね。気は進みませんが…』
攻撃を受けた道化師は面倒くさそうにそう言うとヤツの方を見る。
その視線を受けヤツはここへきて初めて口を開く。
「…ん゛んっ、あ~、リューさん、タダさん、懲らしめてやりなさい!」
久しぶりに聞いたその声、それは何とも締まりのない開戦の合図であった。




