第30話 舞台袖
唯人は森の中を駆ける。
草を掻き分け木々を避け目的の場所へとひた走る。
「はぁっ、はぁっ」
息を切らし走り続けるがその速さは本来の彼の物とは程遠い。
だが真っ当な神経を持った者ならばその姿を笑う事はないであろう。
その姿は『必死』の一言に尽きる。
「ぜぇっ、ぜぇっ」
更に呼吸が荒くなり酸素を求めて顎が上がり、草に足をとられバランスを崩すがまだ走り続ける。
必死の形相で走る唯人の背後から彼を心配した従者の声がかかる。
「ご主人様、もしかしてわたし…重いですか?」
その声は唯人に負ぶさるリュートから発せられたものだ。
まだ完全な成人とは言えないものの、男一人に加えそれなりの重さを持った装備一式を背負い走っているのだから重くないはずはない。
唯人の体躯を考えればこれだけの重量を背負いながらも走る事ができているだけで賞賛ものだ。
故にもしこの光景を見たものがいたとしたならば唯人の苦しげな素振りやふらつきに納得するであろう。
――この直後の光景を見なければ。
リュート声を聴いた唯人は先程までの苦しそうな表情を一変させ真顔になり、ゴール直前のマラソンランナーのような荒い息使いも平常通りの落ち着いた状態に戻るとやや語気を強めリュートへと言葉を返す。
「この程度の重さなんて問題にならない。そんな事より今の俺はお前の主人じゃない。呼ぶなら『タダヒト』、だ。敬語も必要ない。いいな、『リュウト』?」
「はい、…タ、タダヒト」
先程までとても会話などできないような荒い呼吸をしていた唯人は走りを継続させながらもスラスラと言葉をその口から紡がせる。
そんな僅かな疲労も感じさせない様子に表情は変化したにもかかわらず足元は先程までと同様にふらふらとおぼつかないという異様な光景がそこにはあった。
つまり先程までの苦しげな様子は芝居であり演出である、ということだ。
「そろそろ余計な事は喋らないようにな。彼らの中には耳がいい奴がいる。どの程度かはわからないが注意しておくに越した事はない。何か確認する事があれば今のうちに言っておけ」
「で、では、タダヒト、オレの名前、なんかニュアンスが違うような気がしたんでs、だけど…」
そこでリュートが尋ねたのはこれからの事ではなく自身の呼び名についてであった。
そんなこと、と思うかもしれないがこれが彼女(?)にとっては最も重要な事であったのだ。
「ああ、そのことか。…まあ俺なりの区別ってところか?」
「区別?」
唯人の言う意味がわからず首をかしげるリュート。
その動作を背中で感じ取ったのか唯人が応える。
「そこまで深い意味はないんだが…まあ俺がそう呼んでいる間は『リュート』としての行動や発言を控えてくれってところか」
「わかりまし、ってそれじゃあ厳密に言えばオレの名前を呼んでないってことですよね!?」
先程我を通してまで主人に強要した呼び名を僅かとはいえ変えられていることに気付くリュート。
「あ、バレたか。さすがに全く区別しないといろいろ面倒だからな。まあ愛称とかあだ名みたいなもんだと思って我慢してくれ。それに――」
せっかくつけてもらった名前を呼んでもらえないのは悲しい。
愛称とかあだ名ならもっと可愛いものをちゃんと付けてもらいたい。というかそもそもそんな名前とニュアンスが違う程度の物をそう呼べるのか?
唯人の言葉を聞きそうした思いがリュートの中に渦巻くが、唯人が最後に発した言葉でリュートはすべてを受け入れる。
「――俺も同じようなもんだしな」
主人と同じ。
主従関係にあるものにとってこれ以上の幸福はそうあるものではない。
「そ、そういうことなら、仕方ないですね!」
思わずにやけそうになる頬を無理やり引き締め、言葉も仕方ないという体にしているが声には喜びの感情が漏れ出てしまっている。
「納得してもらえた様で何より。喋り方も大分慣れたようだしこの調子で頼むぞ」
「ああ、任せてくれ!」
さらに主人に褒められ気を良くしたリュートはリュウトとして力強く返事をする。
「よし。まだ余裕はあると思うがそろそろ始めるぞ。まあそっちは打ち合わせ通りでどうとでもなるから心配ないだろう」
唯人は背中でリュートが頷くのを感じ取ると前方へ意識を向ける。
その先は木々や草木に覆われ視線は通らず遠くまで見通すことはできない。
だが唯人は前方に人の気配を確かに感じていた。
それは魔力探知という裏付けだけでなく今まで生きてきた中での経験による物も多分に含まれる。
音も自らが掻き分ける音や木々の葉擦れ、獣や虫、鳥達の鳴き声などが溢れている。
においも森林地帯独特の青臭いにおいや獣、それらの排泄物や死骸の放つ臭いに加え自身や背負ったリュートの体臭といったもの意外はほとんど感じられない。
空気の流れもただの風か、何かによって起こされたのか、これほど距離が離れれば判別する事は難しい。
だが届いてさえいれば自覚できていなくともそれらを総合し、『いる』という確信となる。
これはあくまで唯人の持論であり何の根拠もないのだが唯人はこれを信じ、情報として重用していた。
その自らの感覚、更には魔力感知によって目標を確認した唯人は背中にいるリュート、というよりも自身に向けた言葉を口にする。
「では…」
背中ではリュートが緊張からか僅かに身を強張らせる。
だが、それも一瞬。次の瞬間リュートは全身の力を抜きその身を全て唯人へと預ける。
リュートがリュウトになったのを確認した唯人は自らもタダヒトとなるべく意識を集中する。
かつて反吐どころか血反吐を吐いても走り続けたこと。
今この身に走るような激痛を我慢できるようになる前、今からすれば大したことのない痛みに絶えられず転げまわっていた事。
今なら舗装された道同様に走り抜けられる程度の悪路に足をとられていたこと。
そんなあらゆる意味で思い出したくない事を思い出し、そんな時自分はどんな顔をしていたのか想像する。
そして自らの描いたシナリオの登場人物になりきると、作戦の開始を告げる声を上げる。
「さしずめ『記憶喪失の少年と新米冒険者』…ってところかな?」
ご意見ご感想お待ちしております。
6/11リュウトの一人称をボクからオレに変更。




