第7話 実力
しばらくして、再び茂みが揺れた。
ガサガサッ――。
(また誰か来たのか?)
俺は反射的に刀へ手を伸ばし、茂みの奥を警戒する。
先ほどの男のように、俺を狙ってくる受験生かもしれない。
そう考え、いつでも刀を抜けるように身構えた。
だが、茂みから姿を現したのは、見慣れた銀髪の少女だった。
「ルーナじゃないか。びっくりさせんなよ」
俺は安堵のため息をつき、刀から手を離した。
「兄さん、ビビりすぎ。警戒しすぎて目が怖いよ」
ルーナは呆れたように言った。
「だって俺は魔法が使えないから」
「……またそれ?」
ルーナは一瞬、不満そうに眉を寄せた。
だが、すぐに何かを思いついたように笑みを浮かべる。
「そんな兄さんにいい魔法がある」
「なに?」
「それは強化魔法だよ」
「強化魔法? 聞いたことないけど」
俺は首をかしげた。
これまで魔法についてはそれなりに勉強してきたつもりだ。
だが、強化魔法という名前は初めて聞いた。
「だって兄さん、魔法が使えないじゃん」
「ひど〜」
「事実でしょ?」
「否定できないのが悲しい……」
俺が肩を落とすと、ルーナは小さく笑った。
「それで、効果は?」
「その名の通り身体能力を強化する魔法だよ。私の魔力量だと十倍くらい上がるかな」
「そんなに!? すごいな」
思わず声が大きくなった。
身体能力を十倍にする魔法。
そんなものが存在するなら、剣士にとっては夢のような魔法じゃないか。
(前世にこんな魔法があったら、もっと剣を極められたかもしれないな)
少しだけ興味が湧いてきた。
「じゃあ、かけるね」
ルーナは俺に向かって片手を伸ばした。
「はい、強化魔法」
「……え?」
思わず間の抜けた声が出た。
「こんな簡単なのか?」
「そうだよ。兄さん、何を期待してたの?」
「いや、もっとこう……魔法陣が出たり、光に包まれたりするのかと」
「そんな大げさなものじゃないよ」
「へぇ……」
俺は自分の手を握ったり開いたりしてみた。
続いて軽く跳ねてみる。
しかし、特に変化は感じられなかった。
(……本当に強化されてるのか?)
正直、少し拍子抜けだ。
だが、すぐにある考えが浮かんだ。
(まあ、いいか)
むしろ好都合だ。
これなら、多少派手なことをしても強化魔法のおかげにできる。
俺が本気を出したところで、ルーナは自分の魔法がすごいのだと思うだろう。
(これなら、少しくらい本気を出しても問題ないよな)
俺は刀の柄に手を掛けた。
ゆっくりと腰を落とし、居合いの構えを取る。
足の位置を整え、呼吸を落ち着かせる。
懐かしい感覚だった。
前世では、何千回、何万回と繰り返してきた構え。
剣聖と呼ばれるようになってからも、決して忘れることのなかった基本の型。
(久しぶりだな。この技を使うのは)
俺は静かに息を吸った。
そして――。
「――朧桜流、散り桜」
刀を抜いた。
その瞬間。
ゴォォォォォッ!!
凄まじい風が周囲を駆け抜けた。
木々が大きく揺れ、枝葉が激しく舞い上がる。
まるで森そのものが悲鳴を上げているかのようだった。
足元の落ち葉が巻き上がり、視界が一瞬で埋め尽くされる。
だが、それもほんの数秒のこと。
やがて風は収まり、森には再び静寂が戻った。
俺は刀を鞘に納める。
「……うん。悪くない」
久しぶりに使った技だったが、感覚は鈍っていなかった。
むしろ、以前より身体が軽く感じる。
(これも強化魔法のおかげかな)
そう考えながら、俺は歩き出した。
⸻
――ルーナ視点――
私は兄さんに嘘をついた。
強化魔法。
そんな魔法は、この世界には存在しない。
少なくとも、私が兄さんに説明したような魔法なんて聞いたこともなかった。
当然、先ほど兄さんに魔法をかけたふりをしただけで、実際には何もしていない。
(……ごめんね、兄さん)
心の中で小さく謝った。
兄さんを騙すことに、罪悪感がないわけではない。
でも、どうしても確かめたかった。
あの日、姉さんが作り出した岩を、兄さんは簡単に斬ってみせた。
あれは偶然なんかじゃない。
私はそう確信していた。
だけど、兄さんは自分の実力を隠そうとしている。
きっと、何か理由があるのだろう。
だから無理に問い詰めるつもりはなかった。
それでも――。
(兄さんの本当の実力を、一度でいいから見てみたい)
そんな気持ちを抑えられなかった。
そして、兄さんが刀に手を掛けた瞬間。
私は思わず息を呑んだ。
先ほどまでの、どこか気の抜けた雰囲気が消えたのだ。
背筋が伸び、呼吸が静かになる。
ただ刀を構えただけ。
それなのに、目の前にいるのが本当にいつもの兄さんなのか、分からなくなるほどだった。
(……これが、兄さん?)
不思議と目が離せなかった。
そして、兄さんが静かに口を開く。
「――朧桜流、散り桜」
次の瞬間。
ゴォォォォォッ!!
「きゃっ!?」
突然、凄まじい風が吹き荒れた。
「な、なに!?」
あまりの風圧に、私は思わず両腕で顔を覆った。
目を開けようとしても、風が強すぎて開けられない。
周囲の木々が激しく揺れ、何かが地面を滑るような音が響く。
(何が起こってるの!?)
魔力の気配は感じなかった。
少なくとも、私が知っている魔法とは明らかに違う。
それなのに、この威力。
(まさか……今の、全部兄さんが?)
やがて風が収まった。
恐る恐る目を開ける。
そこには、何事もなかったかのように刀を鞘に納める兄さんの姿があった。
「……うん。悪くない」
兄さんはそう呟くと、平然と歩き出した。
「……え?」
私はしばらく、その場から動けなかった。
(悪くないって……今のが?)
信じられない。
一体、何をしたのだろう。
刀を抜いたことは分かった。
でも、それだけだ。
何が起こったのか、まったく理解できなかった。
「ルーナ? 行くぞー」
少し離れたところから兄さんの声が聞こえた。
「あ、うん!」
私は慌てて兄さんの後を追った。
そして――。
目の前に広がる光景に、言葉を失った。
「……嘘」
そこには、数え切れないほどの受験生が倒れていた。
百人。
いや、それ以上かもしれない。
あまりにも人数が多く、正確な数なんて分からなかった。
幸い、大きな怪我をしているような人はいない。
ただ、みんな気を失っているようだった。
(これ……全部、兄さんがやったの?)
私は目を見開いた。
たった一度。
兄さんが刀を振るった、ただそれだけで。
これほど多くの受験生を倒したというのだろうか。
(そんなこと……普通、できるわけない)
私だって、魔法には自信がある。
魔法力診断では、五属性すべてに適性があり、魔力量も星五つだった。
周囲の大人たちからは、天才だと何度も褒められた。
でも――。
(私でも、こんなことはできない……)
目の前の光景が、どれほど異常なのか。
魔法を学んできた私だからこそ、よく分かった。
そのときだった。
「お前の魔法はすごいなー」
兄さんが感心したように言ってきた。
「……え?」
思わず兄さんの顔を見た。
「強化魔法だっけ? 十倍って本当にすごいんだな」
兄さんは心から感心しているようだった。
私は一瞬、返事に困った。
(……兄さん、本当に信じてるの?)
あれだけのことをしておいて、自分の実力だと思っていないなんて。
いや、違う。
きっと兄さんは、自分の実力を隠すために、私の魔法のおかげということにしているのだ。
そう考えると、妙に納得できた。
「……すごいでしょ?」
私はできるだけ自然に、誇らしげな笑みを浮かべた。
「うん。ルーナはやっぱり天才だな」
「……っ!」
その言葉に、胸が少し痛んだ。
兄さんに褒めてもらえるのは嬉しい。
でも、今のは私の力じゃない。
全部、兄さん自身の力なのだ。
(……ごめんね、兄さん)
もう一度、心の中で謝る。
それでも、嬉しさを抑えることができなかった。
(やっぱり……)
私は兄さんの背中を見つめた。
(やっぱり兄さんは、無能なんかじゃなかった!)
ずっと悔しかった。
兄さんのことを何も知らない人たちが、勝手に『無能王子』と呼ぶことが。
魔法が苦手というだけで、兄さんのすべてを否定することが。
兄さん自身が「無能なのは事実だし」と笑っていたときも、本当は嫌だった。
でも、今ならはっきりと言える。
兄さんは無能なんかじゃない。
それどころか――。
(もしかしたら、兄さんは私なんかよりずっと強いのかもしれない)
そう思うと、自然と頬が緩んだ。
悔しいなんて、少しも思わなかった。
むしろ、嬉しかった。
自分の大好きな兄が、誰にも負けないほどの才能を持っている。
そのことが、たまらなく誇らしかった。
(でも……どうして隠してるんだろう)
嬉しさの中に、小さな疑問が残る。
兄さんは昔から魔法にこだわっていた。
刀を使うことよりも、魔法を使えるようになることを望んでいた。
もしかしたら、そのことが関係しているのかもしれない。
(いつか、ちゃんと話してくれるといいな)
私はそう願いながら、兄さんの隣を歩いた。
そのとき――。
倒れていた受験生たちの身体が、次々と白い光に包まれ始めた。
「えっ!?」
光に包まれた受験生たちは、一人、また一人と姿を消していく。
「兄さん、これって?」
「多分、賢者の仕業だね」
兄さんは落ち着いた様子で答えた。
「倒れた人は邪魔にならないように移動させてるんじゃない?」
「……なるほど」
確かに、それなら納得できる。
現賢者ミネルヴァ=スピカ。
あれほど大勢の受験生を一瞬で森へ転移させた人物だ。
倒れた受験生だけを別の場所へ移動させることくらい、簡単なのだろう。
やがて、すべての受験生が姿を消した。
先ほどまで人で埋め尽くされていた場所には、静かな森だけが残っていた。
「それで、兄さん。これからどうするの?」
私は兄さんに尋ねた。
試験の詳しい内容はまだ分からない。
この森で何をすれば合格なのかも、説明されていなかった。
そんな状況で、兄さんは少し考えるように顎へ手を当てた。
そして、何でもないことのように言った。
「そうだね。まずは食料確保からやろうか」
「……食料?」
予想外の答えに、私は思わず聞き返した。
「うん。いつまでこの森にいるか分からないし、食べ物は必要でしょ?」
「それはそうだけど……」
(兄さん……さっきまであんなにすごいことをしてたのに)
今はもう、いつもの兄さんに戻っていた。
少し呑気で、魔法のことになると夢中になって、たまに何を考えているのか分からなくなる兄さん。
その姿を見ていると、なんだかおかしくなってきた。
「……ふふっ」
「ん? どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
私は笑いながら首を振った。
(やっぱり、兄さんは兄さんだね)
どれほどすごい力を隠していたとしても。
私にとっては、昔からずっと変わらない、大好きな兄さんなのだ。
「じゃあ、行こうか。ルーナ」
「うん!」
私は兄さんの隣に並んだ。
まだまだ知らないことがたくさんある。
兄さんが隠している本当の実力も。
なぜ、そこまで魔法にこだわるのかも。
でも、焦る必要はない。
これから同じ学園に通うのだから。
(いつか、兄さんが自分から教えてくれるといいな)
そう思いながら、私は兄さんと一緒に森の奥へと歩き出した。
――学園入学試験は、まだ始まったばかりだった。




