9話 お星様
暫く目を閉じていると、馬車が一段と大きく揺れて止まった。そのうち扉が開いて、御者がこちらへ手を差し出す。
御者……いい思い出はないけれど。この人は大丈夫なはず。公爵様もいるし。
一応警戒はしたけれど、やっぱり手を貸してくれただけだった。御者さんごめんなさい。
「ここがシルベリアの街ですか……!」
整った石畳に、柔らかい色合いの家屋。遠くに噴水も見える。
「……そんなに驚くのか? カシエレ王国の街も大きいと聞いたが」
「あ……あまり行ったことがないので」
公爵様が探るような視線を送っていることを知らず、私は立ち並ぶお店のショーウィンドウをじっと見つめていた。
可愛らしいお洋服に帽子、ピカピカの靴。どれも、私には縁のないような物ばかりだった。
「行くぞ」
「は、はい!」
私達は街の中心部——先ほど噴水が見えた方向に歩き始めた。公爵様は背が高いから、歩幅が大きくてついていくのが大変。
それでも、街の賑やかな雰囲気と並んでいるお店が、私にとってはどれも貴重な体験で。
私はいつの間にか頬が緩んでいることに気づいて、慌てて表情を引き締めようとする。
ふと、前を向くと——公爵様が振り返っており、こちら見ているのだった。
「……何故笑っている?」
「あっ、ごめんなさい……」
私が咄嗟に謝ると、公爵様は鼻を鳴らして前を向いた。
「別に怒っていない」
それを聞いた私は、安心してつい本音を出してしまった。
「その……楽しくて……」
公爵様は小さい呟きをしっかり拾っていた。一瞬だけ驚いたようにこちらを見て、また前を向く。
「……そうか」
私は一人だけ浮かれているのが恥ずかしくなった。熱い頬を隠すように俯きながら歩く。
途中で顔を上げると、キラキラした派手なドレスが目に入った。何となく妹のエレンを思い出してしまう。
あの子、私がいなくても元気にしてるのかな。
『お姉様は本当に面白い玩具ね。エレン、お姉様がいてよかった!』
なんてことを言われながら、その辺の物で叩かれたりしたっけ。
まだ帝国に来て日が浅いけれど、それでも今の生活は私にとって——
……考えるのを止めたくて横を向くと、出店に並べられている瓶が目に入る。
「……お星様?」
またポロッと言葉が出てしまって、慌てて口を手で押さえた。でも、店員さんにはバッチリ聞こえていたらしい。
「おや。これは金平糖というものでして、甘くて可愛らしい砂糖ですよ」
「コン、ペイ、トウ……」
青を基調としたものや、黄色を基調としたもの……色も沢山あって見ていて飽きない。
「他にもバラの花の砂糖漬けや、東の国から仕入れた猫の瞳のような飴玉など……沢山ありますよ」
「わぁ……!」
情熱的に赤い花弁が、甘い砂糖に包まれたバラの砂糖漬け。猫の瞳みたいに透き通ったキャンディは、コロコロしていてまん丸で……とっても可愛らしい。
「買われますか?」
「あっ、でも……」
見るだけで買うつもりは無かったから、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。
「お連れ様は?」
(いるけど……!!)
困り果てて瞳を揺らしていると、すぐ後ろから低い声がした。
「俺のことか?」
「こ、公爵様!? では、そちらの方は……?」
店員さんはゆっくりと私を見る。
「俺の妻だ。全く、勝手にいなくなるなんてな」
呆れたようにため息を吐く公爵様に、すかさず売り込みをする店員さん。抜け目ない。
「公爵様、夫人はこちらがお気に召したようです」
「……金平糖か?」
金平糖を一瞥した公爵様が、懐から財布を出す。
欲しいと言ったものを買わないと面倒くさいとか、そう思ってるんでしょう。
『お父様、これ買って!』
私には何も買ってくれなかったお父様も、エレンには甘かった。彼女はいつも欲しいものを買ってもらっていた。
(過去にふけっている場合ではないわ)
「あの! お星様みたいで綺麗だなと思っただけで……!」
そんな私の言葉に、公爵様は眉を寄せた。
「……いらないのか?」
「はい! あっ、えっとその、違います!」
私のしどろもどろした様子を見て、店員さんは笑いながら小瓶を取った。
「夫人、少しだけ試食しますか?」
「えっ!!」
(試食、させてくれるの?)
申し訳ないから我慢したのに……そんな事言われたら、ちょっと食べてみたくなっちゃう。
私は差し出された金平糖を一つ摘んで、ゆっくり口の中に入れてみた。
甘くて優しいお砂糖の味が広がって、喉から出る音は言葉にならなかった。
「お、美味しいです……!!」
私の感動を目の前で見ていた店員さんは、
「そりゃよかった。公爵夫人、特別に値下げするからどうです?」
と言った。
「で、でも……」
公爵様を恐る恐る見上げると……彼は真顔のままこう言った。
「俺は構わない、これくらいで破産したりしない」
そんな自信満々に言わなくても。
(でも、今はちょっと頼もしいかもしれない)
お飾りの妻の欲しいものを買ってくれるなんて、この人は意外と優しいのかもしれない。
店員さんと公爵様が話していると、後ろから子供の声がした。
振り返ってそちらを見ると、
「綺麗だね!」
「お姫様みたいだよ!」
なんて言っているのが聞こえてくる。私は一通り周りを見たけれど、散歩中のご老人しかいなかった。
きっと、空想の中のお姫様なんだろうな。子供の想像力は素晴らしいものだから。
すると、馬車が一台向こうからやって来るのが見えた。子供の一人が道路に出ているけれど、気付く様子がない。
——このままでは轢かれてしまう。
「あっ、危ない!!」
私の体は勝手に動いていて、考える暇もなく子供たちの方へ走っていた。
(間に合って……!!)
目の前の子供を歩道の方へ優しく突き飛ばす。子供は安全なところまで飛んでいった。
(ごめん、でもこれで助かっ……あれ?)
じゃあ、私は今どこに……
馬のいななきと蹄を引きずる音が聞こえて、私は勢いよく振り返った。
目の前には——前脚を高く上げた馬が二頭。
しかし、座り込んでしまった私の足は動かなかった。
この世の全てが、とても遅く見えた。




