10話 馬車
走馬灯とはきっとこれのことなんだろうな。
エレンの顔、お父様の顔、お父様の愛人の顔。
傷ついた痛み、誰にも必要とされない苦しみ。
思い出すのは嫌な記憶ばかりで、目の前がぼんやりと滲んでいく。
けれど、思いのほか私は冷静だった。次は最高に幸せな人生を歩めるかな、なんて考えているくらいには。
馬がこちらに突進してきて——
「……おい、おい!!」
「う……え、公爵様……?」
私は馬車に轢かれた筈じゃ……それに、こんなに公爵様が近くにいる。
腕が公爵様に掴まれていて、私は引き寄せられたのだと遅れて理解した。
首を回して子供の安否を確認すると、ちゃんと安全な方にいて肩の力が抜けた。
「ごめんなさい……勝手な事してごめんなさい……」
私は公爵様の大きな手に体を強張らせて、かすれた小さな声で謝った。
「……いや、いい」
公爵様は少しの間を空けてそう言った。彼の視線は——先ほどからずっと、私の腕にあった。
何を考えているのか分からないけれど、子供が心配なのでとりあえず離れてほしい。
「公爵様、子供が……」
「……そうだな」
私が子供の方を見ながらそう言うと、公爵様はすぐに手を離してくれた。ぺこりと頭を下げてから、私は子供の元へ走った。
「大丈夫? 突き飛ばしてごめんなさい……」
「大丈夫だよ。お姫様のお姉ちゃん、ありがとう」
子供の体を確認すると、足から血が出ていることに気づいた。
「でも、足を擦りむいてる……」
すると、母親らしき人物がこちらへ急いで駆け寄ってくるのが遠くに見える。子供の元へたどり着くと、ぎゅっと力強く抱きしめていた。
「大丈夫!? 何が……」
「あの、お母様ですか……? 実は——」
私が事の経緯を簡潔に話すと、彼女は私に沢山謝ってから深く頭を下げる。
「本当にありがとうございました!」
「頭を上げて下さい。お子さんが無事でよかったです……!」
彼女は頭を上げると、子供の頭に手を置いた。
撫でられた子供が嬉しそうに笑いながら、私に向かって言う。
「お姉ちゃん、お姫様だよね? だってこんなに優しくて綺麗だもん!」
「お、お姫様?」
あぁ、先程言っていたのは私の事だったんだ。
「……私はお姫様じゃないの、ごめんね」
そう言って、母親と子供から一歩離れた。
(たとえお姫様じゃなくても、幸せになれるなら何でもいい)
少しの間目を閉じて、考えに浸って。
やがて思考も落ち着いたので、私は公爵様がいた方をチラリと見た。けれど、彼はいなかった。
(もしかして見捨てられてたりしないよね……?)
なんて不安を抱えながら、母親と子供を見送ってからその場で待った。
しばらくして、公爵様が小走りでこちらへ戻ってきた。
「手を出せ、怪我をしているだろう」
「あっ、本当だ……」
私の手からは血が出ていた。擦り傷と地面の石による切り傷がぱっくりと開いている。
公爵様は薬を塗って包帯を巻いてくれた。薬屋に行っていたからいなかったみたい。
……誰かに包帯を巻いてもらうのは初めてだった。
「ありがとう、ございます」
私は少しもどかしいような気持ちになって、胸元で手を握りしめた。
「……服、汚れてしまったな」
「えっ!?」
ドレスを見ると、確かに砂埃と血の汚れが……
「付いてきてくれ。」
公爵様は私に手を差し出した。私が迷っている間も、引っ込めたりしなかった。
おずおずと手を出してから、優しく引かれるようにそのまま歩き始めた。
(手、繋いでる……)
「あの、どこへ……?」
「服を買いに行く」
そっか、私の服が汚れちゃってるから……隣を歩くのには少し不相応だから。
(服って高そうだし、負担にならないかな)
なんて考えながら、公爵様の背中をじっと見つめていた。
先程よりも歩く速度が落ちている気がする。彼なりに気を遣ってくれてるのだろうか。
街の人々がこちらを見て、何やらこそこそ話しているのが聞こえる。内容までは聞き取れない。
恥ずかしくて俯きながら歩いていると、いつの間にか店に着いていた。
ショーウィンドウには装飾の細かいドレス。確実に敷居の高い店だった。
入るのを躊躇ったけれど……公爵様がすんなり入っていくのを見て、背中に隠れるようについていった。
「いらっしゃいませ……あら、公爵様」
「久しぶりだな」
お店に入ると、綺麗な女の人が出迎えてくれた。
(久しぶり……?)
「俺の妻に今すぐ服を見繕ってほしい」
公爵様が横にずれたので、私は丸見えになってしまう。
「まぁ、お嫁さんなんですね! お名前は?」
「る……ルチェットです……」
店員さんは何故か、とても嬉しそうにしている。
「わぁ! 私はディアナです!」
すると、腰にぶら下げていた袋からメジャーを取り出して、彼女は私にじりじり近づいてくる。
「採寸しますね、失礼します」
「う、はい……」
私の腕にメジャーが巻かれるのを見て、公爵様は顔をそらした。
「……俺は少し外に出ている」
「は〜い!」
公爵様はこちらを見ずにそのまま行ってしまった。ドアベルの音だけが残る。
私はディアナさんと二人きりで採寸を進めていく。
「ほ、細い……病的な細さ……大丈夫ですか!?」
「あ、大丈夫です! 大丈夫ですよ!」
下手くそな笑みを浮かべて大丈夫だと言った。彼女は考える素振りをした後にパッと笑って、
「……そう、無理に聞かないでおきますね」
と言ってくれた。
「ありがとうございます……」
過去はあまり口に出したくないので助かった。
沈黙を破るようにして、ディアナさんは笑顔で口を開いた。
「実は私、公爵様の弟妻なんです」
「えっ、公爵様って弟さんがいらしたんですか!? 奥さんなんですか!?」
驚きのあまり大声を出してしまい、慌てて口元を押さえた。
「ふふ、私の娘はルチェットさんの姪になりますかね」
「姪っ子ちゃん……!!」
衝撃だった。公爵様が久しぶりと言っていたのは弟嫁さんだからなんだ。
(姪っ子ちゃん、きっとディアナさんに似て綺麗なんだろうなぁ。)
「娘さんは何歳なんですか?」
「六歳になります、今度遊びに行きますね!」
「はい…!」
(きっとまだ少し幼くて可愛いんだろうなぁ)
なんて一人ニコニコしながら想像していると、採寸が終わったようで……完成品のドレスをたくさん持ってきてくれた。
「何色が好みですか?」
色とりどりのドレスはどれも上品で、とっても素敵で……選べない。
「う〜ん」
「ふふ、選べませんか? では、これはいかがでしょう」




