094●静かなる制圧
ラベリア軍の総指揮官、ヴァルター・グレイヴス将軍は、戦場の丘の上からその男を見つめていた。
彼は老練な軍人であり、数々の戦場を渡り歩いてきた。
勝利は目前だった。敵の軍は潰走し、追撃の命令を出すだけで、完全な勝利が手に入るはずだった。
だが・・・
「・・・あれか?!」
視界の中央に、異様な光景が広がっていた。
血に染まった男が、剣を地に突き立て、まるで生きているかのように立っている。
周囲には屍が積み重なり、風が彼のマントを揺らしていた。
「文官だと・・あれが文官?!」
副官が震える声で言った。
ヴァルターは、副官の恐怖する目の奥に、畏敬の念が宿っていることに気がついた。
「追撃は・・・中止だ。」
副官が驚いて顔を上げる。
「ですが・・・将軍。・・・王は逃げました・・・。今なら・・・。」
「お前も分かっているのだろう。あの男は死んでいる。だが、死してなお、我が軍を止めている。」
ヴァルターは静かに続ける。
「あの男は、死しても我が兵士たちの心を縛っている。動けんよ、歴戦の兵士と言えど。いや、歴戦だからこそ、だな。沈黙してなお、制圧するとはな・・・。」
ヴァルターは姿勢を正し、静かに頭を垂れた。
「ローレンス・フォンベルト・アンダーソン。見事だった。」
その日、ラベリア軍は追撃を止めた。
戦術的には誤りだったかもしれない。だが、十分に領土を切り取ったのだ。
ヴァルターは知っていた。これ以上の進軍は、今や無意味であり、何より不可能であることを。
たった一人の男に率いられた、百名に及ばぬ軍勢のために。
そして、彼の軍ではその後、ローレンスの名が密かに語られるようになる。
「死してなお、戦場を支配した男」
「睥睨する死者」
「剣を握る文官」と。
ヴァルターはその名を記録に残した。敵でありながら、敬意を込めて。




