002●音速は超えない 聖者の剣「不可思議」は抜かない
私のせいじゃないわ。少し親しげに話しただけで、恋人になったつもりだなんて、ジョンも困った人ね。まさか、ラベンダー伯爵との仲を疑って、決闘を申し出るなんて。伯には、お茶会への招待状を出しただけよ。私には、伯爵位以上が相応しい。武功で成り上がった男爵では不釣り合いだわ。
それにしても、かわいそうなロイ。こんなことになるなんて、私はなんて罪深い女なのでしょう。ああ、でも、胸が躍る。今、話題のあのラベンダー伯爵がジョンと私を賭けて戦うだなんて。お茶会には出られなくても、決闘には来ないわけにはいかないもの。
科学とか言っていた魔法をつかうのかしら。周りにはたくさんの人たちが見守っているわ。
見届け人は、宮廷から指名があった、武術指南所のカイト子爵ね。ジョンの師匠じゃないの?これはこれで、おもしろい人選になったわ。楽しみだこと!いけない、私、もっと困った表情をしなくては。あら、始まりそうね。
弟子であるジョンが決闘か。
相手はあのラベンダー伯。いかに魔法を操るとはいえ、決闘は近距離で剣を使って、あるいは格闘でと定められている。やや思慮に欠けているとはいえ、ジョンの素早い体捌きと膂力、剣術の腕は確かなものだ。
中間距離で動かない相手に使った、あの魔法を放つことができるのか?いやいや、魔法の杖の使用は認められていないからな。
剣対剣、体術で、伯に勝ち目はあるまい。見届け役としては、落命する前に勝負あり、と言わねばなるまいて。
さあ、こい、ラベンダーめ。自分の剣を選ばなくてよかったのか?私は使い慣れた我が得物を使わしてもらうぞ。
何が「この剣は抜かないのです」だ。見届け人の師匠が用意した剣を取るとは、まあ、敗北した場合の言い訳にはなるか。徹底的に、叩きのめしてやる。いくぞ!
始まった!間合いを詰めたジョンが手を出した。
鋭い突き、フェイントだな。
ラベンダーは動かぬ?動けないのか?
連続した突きだ、いいぞ、攻撃箇所を分散した巧みで鋭い攻撃だ・・・なぜ、あたらぬ?!ラベンダーは、ほとんど動いておらん!
そうだ、薙ぎ払え!空を切るのか?やつは幻なのか?
いや、足元から土埃が。動いているのか!見えんぞ、このワシに見えん!
やはり音速は超えないようにしておられるのか。衝撃波はやっかいだからな。しかし、亜音速であっても、この近距離では人間にはマイロードの動きは感知できないだろう。お預かりした「聖者の剣・不可思議」。これをお使いになれば、瞬殺だろうに。この世界線の住人の能力を、見てみたいとおっしゃったが。さて、どう決着をつけるおつもりなのか。
この!それ!どうだ!反撃しないのか!?馬鹿にしているのか!?これでどうだ!ええい、私は幻を相手にしているのか?
ジョンは動きを止めたわ。呼吸を整え、ロイを見ている。
ロイがゆっくりと言ったの。「引き分けということで、いかがでしょう?」
なんだと!引き分けだと!恥知らずめ。決闘において、両者無傷で引き分けなど、ない!私を侮辱するのか!
男爵が剣をすてたぞ。素手でマイロードに組み付くつもりか。
もう躱せぬぞ。組み討ちになれば、体重差でこっちのものだ。
距離が近い戦いほど、体格、筋力が勝っているものが有利だ。ジョンが右手でラベンダーの首後の襟と、左手で右袖をとった!得意の投げにいけ!・・・どうした、なぜ動かない?いや、ジョンの身体が前のめりに沈んでいく?ラベンダーの袖をとった左手が・・・。がっちりと相手の右内腕で固定されている!?上から抑え込み、極めているのか?
この体勢では、男爵は動けないな。左手首を極め、あとは腹部に蹴りを好きなだけいれることができる。マイロードの誘導で剣を捨てさせた。大きな流血は避けられそうだが、さてさて、どうなされるのか。
二人は全く動かないわ。つまんない。もうどれくらいたったのかしら。ああ、退屈・・・。
いかん、ジョンが膝をついたままで汗を大量に流している。体勢を変えようとしているのだろうが、動けんぞ。ラベンダーは持久戦に持ち込むのか?ジョンの疲弊を待つつもりか?こんな決闘があるのか?いや、ジョンの呼吸が荒い。何とかせねば。
マイロードが相手の動きを完全に封じている、しかも、何日でもあのままでいらっしゃるおつもりか。確かに人間には、少しずつ厳しくなっていくが。男爵は納得しないようだな。これは長期戦かもしれぬ。おや、カイト子爵が2人に近づいて行く。はっきりと聞こえる。「参ったと言え。それで終わりにしよう。」
「参った」って、えっ?どうしてロイがいうの?ほら、まわりもざわついているわ。カイトも驚いた表情!ロイがジョンから離れたわ。ジョンは立てない。その場で膝をついたまま動かないわ。「私の負けです。あなたの勝ちですよ、男爵。今後、一切、あのご婦人には近づきませんから」ですって!
マイロードに剣をお返しした。微かに笑っておられるように感じる。カイト子爵が近づいてきた。
「ラベンダー伯、剣をお使いになりませんでしたな。」
「ええ、相手が剣を手放したのですから。」
「ご自身の剣も使われるおつもりはなかったのは、なぜでしょうか?」
「この剣は、抜かないのです。私が我を失った場合を除いて。」
聖者の剣・「不可思議」は抜かない。抜いたお姿を拝見したいものだが。しかし、理想的な終わり方だ。誰も血を流さず、しかもやっかいな女性との交流は、今後ない、と衆目のあるところで宣言された形だ。彼女のほうも近づきにくくなるだろう。




