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名は雨にほどけて

 

 いま、「はい」と――

 確かに、そう言ったのか。


 はぐらかしでも、冗談でもない。

 あの時の少女であると、自ら認めたのか。


 ならば――なぜ。


「どうしてずっと隠していた……!」


 違う。


 違う、そこじゃない。


「どうして、これまでアーイシャを……

 僕の嫁を、名乗っていた……!」


 声は荒げない。

 荒げれば、取りこぼす。


 この女の内側にあるものを――

 今度こそ、見誤る。


「最初から、カリンだと名乗っていれば。

 僕は……ここまで、お前を敵として見なかった」


 遅れて、像が結ばれる。


 幻獣ライヒが見せた過去の記憶。

 そこにいた少女の面影が――

 いま、目の前のカレンと、重なり始めていた。


 城に迎え入れたあの日からしばらくは、

 折を見て様子を確かめに行くこともあった。


 だが――開戦後は。


 失われていくものの数。

 積み上がる復興。

 尽きることのない食糧の問題。


 心を割く余地など、どこにもなかった。


 クァリーンが、その後どうなったのか。

 考えたことすら――なかった。


 僕の記憶の中で、彼女は。

 あの小さな姿のまま、止まっている。


 だが。


 歳月は、等しく人を変える。


 琥珀の瞳。

 長く伸びた、茶の髪。


 教育を任せたカーディル。

 他の従者たちが叩き込んだ、振る舞い。


 ――それらすべてが。


 いまさらになって、ひとつに結びつく。


 目の前の女と。

 

「僕の手違いで、死後の世界から呼んでしまったのなら。

 共に手を取ることも、

 共に歩むことも――考えた」


 声が掠れる。


「すべて僕の過ちが招いた結果なら。

 お前に……いや、君に。

 謝罪だって、したさ……!」


「いいえ。

 イズヒト様」


 声は静かだった。

 柔らかく――それでいて、感情だけを丁寧に切り分けるような響き。


「私が現世に召喚されたのは、

 決して手違いではありません」


 一拍。


「イズヒト様の力が及ばなかったわけでも、

 予期せぬ事故でもございません」


 そして、告げる。


「すべて私の――想定通りでございます」


「……は」


 間の抜けた声が、喉から落ちた。


「想定、だと……?」


 言葉が、乾く。


「僕がアーイシャに想いを焦がし。

 後悔と苦しみの中で生き続けて――」


 口にするだけで、胸の奥が焼ける。


「この世界の全てを投げ捨てて。

 ようやく辿り着いた死霊術すら――

 すべて、お前の計画の一部だと?」


「はい」


 微笑む。


「イズヒト様のお言葉、

 すべて事実と相違ございません」


 ――怒号が、喉元までせり上がる。


 だが、吐き出さない。


 この女は、僕が怒鳴った程度で態度を変えるような存在ではない。

 それはもう、嫌というほど理解している。


「……そうか」


 短く落とす。


 ここまでを共に過ごして。

 この女の性質は、もう十分すぎるほど分かっている。


 ならば、回り道はしない。


「その計画は。

 生前のアーイシャが、お前に託したものか?」


「私の召喚に、

 アーイシャ様は一切関わっておりません」


「では、核心に触れる」


 即座に言葉を重ねる。


 探っても、意味はない。


 深く、息を吐く。


「僕は――

 病に伏したアーイシャから魔力を受け取った。

 その力を使って、死霊術を行った」


 記憶が歪んでいるわけではない。


 ハーリドによって、アーイシャが殺された歴史が確定したとき。

 僕は――自分自身すら疑った。


 最初から、 病で死んだアーイシャなど

 存在しなかったのではないかと。


 だが。


 事実として、

 僕は、アーイシャの魔力で死霊術を執り行った。


 そして、その結果として――

 いま目の前に、カレンがいる。


 ならば。


 あの歴史は。


 確かに、同時に存在していた。


「――他の誰でもない。

 数十年、寄り添った彼女の魔力だ。

 手にした時、確かにそれを感じた」


 一拍。


「なぜ、召喚されたのが《《カリン》》。

 お前なんだ」


「お答えできません」


 即答だった。


 用意されていた言葉を、

 ただ差し出しただけのような声音。


 だが――引き下がれない。


「答えろ」


「いやです」


「目的はなんだ」


 もう、何度目の問いか。


 出会った当初。

 得体の知れない死霊へ。


 凌辱される寸前。

 カレンへ。


 どの場面を切り取っても、

 返ってくる答えは同じだった。


 それでも僕は、

 問い続けなければならない。


 今度は、千年の時を越え、相対したクァリーンに。


 カレンは、小さく微笑んだ。


「私が現世でもう一度、生きる理由があるとすれば――」


 一拍。


 「あなたの、

 側に居ることです」


 琥珀の瞳は、微動だにしない。

 そして、少女の笑み。


「もう、分かってるでしょ?」


「納得できるわけないだろう。

 お前の存在意義も、そこまで執心される理由も分からない」


「多くを語る必要はございません。

 クァリーンは、千年前よりあなたをお慕いしておりました。

 ――ただ、それだけでございます」


 信じてくれとは言わない。


 ただ、事実だけを置く声音。

 

「イズヒト様」


 呼び声が、耳元を撫でる。


 まるで、愛を囁くように。


「私は、ずっとイズヒト様の味方です。

 これからも。

 例え世界が敵になろうとも――

 必ず、お側におります」


「……もう、何なんだお前は」


 溜め息が零れる。


 悲嘆でも、

 怒りでもない。


 ――ただの諦め。


「この世界に、

 除霊グッズを普及させるために現れた宣伝大使か」


「ふふ。

 そうかもしれませんね」


 軽口を交わす。


 それしか、できない。


 カレンは決して口を割らない。


 だが。

 真実に触れれば、誤魔化しもしない。


 僕がアーイシャへ向けた愛も。

 執着も。

 死者を呼び戻すという結末さえも。


 最初から――

 この女が導いていた可能性すらある。


 それでも。


 この女が正体を隠していたのは、

 悪意ではない。


 ――そう分かってしまう。


 多くの民を前にし、

 見定めてきた者の直感が、そう告げていた。


 だから。


 今は――


 降参だ。


「……はあ」


「イズヒト様」


「……何?」


 頬杖をつく。

 心労を、隠す気にもならない。


「どうです?

 改めて――大人になった私の姿は」


「地獄に落としたくて仕方がないよ」


「ひどい!」


 どの口で言うのか。


 僕を騙し続けていたのは、

 お前の方だろうに。


 カレンは、むっと頬を膨らませ――

 それから、わずかに目を細める。


 どこか、試すように。


「じゃあ――私を地獄に送り返せるよう、

 頑張って生きてください」


「そうするよ」


 一拍。


「これから、やることは山ほどある」


 そう告げると、

 カレンは満足したように、小さく微笑んだ。


「再会と言えば!」


 不意に、手をぱんと叩く。


 周囲の視線も気にせず、

 カレンは声を張り上げた。


「アーミーナーさーん!」


 名を呼ぶ。


「いるんでしょーう!」


 制止するより、早く。


 ――軽やかな着地音。


 視線を上げる。


 そこに立っていたのは、

 今日一日、影のように付き従っていた少女。


 アミナだった。


 赤い瞳が、

 静かにカレンを捉える。


 言葉は、ない。


 ただ、見ている。


 そして。


「……クァリーン」


 一拍。


「あなただったのですね」


「はい」


 カレンは、やわらかく微笑む。


「よく、遊んで下さいましたよね」


 ――それだけで、十分だった。


 城に迎え入れてからの、わずかな時間。


 その中で交わされた日々が、

 言葉の裏に、そのまま沈んでいる。


 アミナは、何も言わない。


 ただ、ほんの僅かに――

 瞳の奥が、揺れた。


 かつて。


 戦の中で途切れた時間が、

 いま、ようやく繋がったかのように。


 だからだろう。


 あの日。

 現世で初めて再会したとき。


 カレンは、王妃を騙る存在であることも忘れ、躊躇いもなく――


「アミナさん」と。


 そう、呼んだのだ。


 カレンは、僕とアミナを見た。


 その瞳に、二人の姿を映しながら――

 わずかに、声を震わせる。


「こうしてまた、三人で再会できるなんて――」


 鼻を啜る音。


「……奇跡じゃないですか?」


 一拍。


 時間が、言葉の奥に沈む。


「……千年ですよ?」


 そして、もう一度。


「奇跡ですよね!」


 堰き止めていたものが崩れるように、

 カレンの頬を涙が伝った。


 叫ぶようで、笑うようで。

 そのどちらにもなりきれない、輪郭の曖昧な泣き声。


 次の瞬間。


 僕とアミナの腕を、両脇から強引に抱き寄せる。


「「……」」


 アミナと、視線が重なる。


 ――困惑。


 正直なところ、

 僕もアミナも、カレンほど感極まってはいなかった。


 再会は、確かに事実だ。


 だが――


 僕たちがクァリーンと過ごした時間は、あまりにも短い。


 千年という隔たりは、

 感傷よりも先に、現実として横たわっていた。


 ぐい、と手を引かれる。


「おい、まだ雨は止んでないぞ!」


「クァリーン、落ち着いて下さい……!」


 制止も聞かず、カレンは屋外へと飛び出した。


 まるで――

 降りしきる雨そのものを、抱きしめに行くように。


 雨音の中で、笑い声が弾ける。


 踊るように。

 泣き叫ぶように。


 ただ、無邪気に。


 振り落とされないよう、僕たちは足を合わせる。


 思わず、名を呼んだ。


「カリン!

 何なんだ急に――」


「私は、カリンではありません!」


 一拍。


 雨が、強まる。


「カレンです!」


 その声は、曇天を裂いて――

 湿った空気の中に、まっすぐ響いた。


 冷たい雨が、視界を滲ませる。


 それが、雨のせいなのか――

 もう、分からなかった。


 

 第二章 記憶の頁をめくって―― 完

―――――――――――――――――――————————————————





ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

第二章、無事に書き終えることができました。


本作は、やや重たい読み口で、いわゆる定型から外れた、

WEB小説へのささやかな反逆のような作品です。


それでも、この最前線まで辿り着いてくださった皆さんは、

きっと心から物語を愛している方なのだろうと、

嬉しく思っています。


「読んだよ」という反応をいただけなければ、

この物語はとっくに畳んでいたはずです。

本当に、ありがとう。


作者は仕事の都合で、楽器の前にいる時間が長く、

更新が不安定になることもあるかもしれません。

それでも、応援がある限り、この物語は完結まで書きます。


始めたものを終わらせられないことだけは、

どうしても認めたくない性分です。


結末は、もう決まっています。

あとは、そこに辿り着くだけです。


もしよければ、

「ここまで読んだ」と、どこかに残していってください。

それだけで、次の一行が書けます。


第三章も、どうぞよろしく。


るろ



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