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死霊が隣に在る日常【Ⅲ】


 金髪の少女は一歩、こちらへ踏み出した。


「あの、ソウマ君を倒したんですから!」


 その声には、

 純粋な興味と、隠しきれない興奮が、

 そのまま滲み出ていた。


 ……いや。

 滲むどころではない。


 あまりにも大きな声量だった。


 思わず耳を塞ぎそうになる。


「……君は、拡声器と角笛のあいだに生まれた娘か」


「何を言ってるんです?」


 少女はきょとんと目を瞬かせた。


「すまない」


 一歩、後ろへ。


「至近距離で叫ばないでくれ」


 わずかに距離を取る。


 耳のためでもあるが――

 もうひとつ理由がある。


 カレンの手が出る防衛線を、

 保つためだ。


 息をひとつ吐く。


「……魔術演舞デュエロ・マギアか。

 あの日が、もうずいぶん遠い日のことのように思えるな」


 ぽつりと呟く。


 ほんの数日前の出来事のはずなのに。


 時間の感覚が、

 どこか歪んでしまっている。


 あの日――

 手違いでカレンが現れてから。


 僕の世界は、

 急流に放り込まれたように動き出した。


 書物を漁り。

 死者の召喚を繰り返し。


 答えを探して、

 無意味な問いを積み上げる日々。


 そして、今。

 気が付けば――


 僕の日常の正しい輪郭が、

 自分でももう、思い出せなくなっている。


 金髪の少女は、

 僕の顔をまじまじと眺めてから、ふいに視線を遠くへ逃がした。


「……ふっ。

 魔術演舞デュエロ・マギアか」


 腹立たしい澄まし顔だった。


「あの日が、もうずいぶん遠い日のことのように思えるな……」


 一拍。


「ゾンビ君。

 キザというか、痛いっすね」


「カレン」


 即座に名を呼ぶ。


「なんでしょう、イズヒト様」


「――殺せ」


「わっかりましたあ!」


 迷いのない返事だった。


 晴れやかな笑みで、

 まるで散歩の誘いにでも応じるかのように敬礼する。


 その様子が冗談ではないと悟ったのだろう。


 金髪の少女は、

 絞り出すような金切り声を上げた。


「わあああ!

 うそ、うそです!

 ちょっとからかっただけじゃないですか!」


 地面に膝をつき、

 そのまま命乞いでも始めそうな勢いで叫ぶ。


「即死魔術だけはどうか!

 どうか、それだけは勘弁してください!」


 僕がどんな魔術を使うか。


 すでに知っているらしい。


 それだけ、

 ソウマとの決闘は学園内で話題になったのだろう。


「命令する方もおかしいですけど!

 なんでお連れ様は二つ返事で了承するんですかああ……!」


「狂っているからだ」


 簡潔。


 説明は、それだけで十分だった。


「私からすれば、お二人ともネジが外れてますよ!」


 同類にしないで欲しい。

 僕は極めて正常な一市民だ。


 ……いや。


 今日一日、カレンと街を歩き回り、

 小銭と一緒に一般常識まで市場に落としてきてしまったのかもしれない。


 少し、疲れているのだ。


 溜め息まじりに問う。


「……それで?」


 一拍。


「僕になにか用?」


「いえいえ、特には」


 金髪の少女は、あっけらかんと答える。


「たまたまゾンビ君を見かけたので、

 これは声を掛けねばと」


 その呼び名に、

 思わず眉が吊り上がった。


「さっきから、その“ゾンビ君”というのは何だ」


 一拍。


「ゾンビを連れていることから付いた通称か?」


「イズヒト様」


 カレンの、静かな抗議。


「私は屍ではありません。

 幽霊です」


 無視する。


 魂が腐っているという点では、

 大差ないだろう。


 視線を少女へ戻す。


「僕はイズヒトだ。

 変な名で呼ばないでくれ」


「おお、そうでしたか」


 少女はぽんと手を打つ。


「学園ではみんながイズヒト君をそう呼ぶので、

 てっきり本名なのかと」


 ――そんな訳があるか。


 親が死体収集家であっても、

 そこまで投げやりな命名はしない。


「一体、どこからそうなったんだ」


「それはもちろん」


 少女は、満面の笑みで言った。


「普段の佇まいに決まっているじゃないですか!」


 屈託のない笑顔だった。


 ……何だ。


 何が言いたい。


 顔か。


 顔が腐った屍のようだと、

 そう言いたいのか。


 それとも、

 腐臭でも漂っていると言うつもりか。


 ――もう学園には、

 二度と行かない。


 静かな決意を胸にした、その時だった。


 少女は、ふいに腰を折った。


 背を丸め、

 全身から力を抜く。


 視線は遥か彼方を彷徨い、

 口はだらりと開く。


 ついでに舌まで垂れた。


 ……なんて醜い姿だ。


 少女が公衆の面前で晒して良い姿ではない。


 まるで――ゾンビ。


 そして。


「アーイシャ……

 アーイシャァ……」


「――!」


「……必ず、生き返らせるから……」


 これは。

 ――僕の真似だ。


 少女は目の前をふらふらと歩いて見せたあと、

 ぱっと顔を輝かせた。


 そして、眩しい笑顔で宣言する。


「普段の、イズヒト君です!

 すごく気色悪いですよね!」


 冷たい声が割り込んだ。


「――イズヒト様。

 殺しましょう」


「ひいいい!」


 震え上がる少女の前に立ち、

 僕はカレンを制する。


 眉間を揉み、

 自省するように息を吐いた。


「傍から見れば、そんな姿だったか……」


 口元に、乾いた笑みが浮かぶ。


「それは確かに、“ゾンビ君”だね」


 死者を連れているからではない。


 この呼び名は――

 少し前までの、僕の在り方そのものだ。


 呼びかけられても、

 まともに声を返さない。


 あらゆる時間を、

 過去の後悔に費やし続けた者の姿。


 気付かぬうちに僕自身が、


 屍と見紛うような顔をして、

 この街を歩いていたのだろう。


「……気を付けないとな」


「でも、イズヒト君!」


 差し出されたのは、


 同情でも、

 慰めでもなかった。


「イズヒト君は、随分変わりましたよ」


 一拍。


「もう、誰も“ゾンビ君”とは呼べませんね!」


「――!」


 変わった。


 その言葉が、胸の奥へ静かに沈む。


 以前とどう違うのか、

 それをわざわざ問い返そうとは思わない。


 けれど、自分でも分かる。


 カレンに魔力を奪われ、

 死霊術を研究する必要がなくなった今――


 結果として僕は、

 現世に目を向けざるを得なくなった。


 そうせざるを得なくなったのだ。


「……そうか」


 小さく息を吐く。


「これを機に、そのイジメじみた名称も消えてくれるといいな」


 誰にともなく呟いてから、

 改めて少女を見た。


「君、名前は?」


 尋ねると、


 少女ははっと目を見開いた。


 それから、慌てて取り繕うように言う。


「すみません!

 まだ名乗ってませんでしたね!」


 少女はにこりと笑い、胸を張った。


「私はナーラです!」


 火の光のように、

 軽やかな響きの名だった。


「『ラ・マノ・デ・ハムサ』の看板娘といえば、

 みんな頷くのですが――」


 そこで肩をすくめる。


「どうやら、ご存知ないようですね」


「ご存知ないですね」


 カフェテリアとカフェテラスの違いすら分からない僕が、

 街の店の名など――


 ……いや。


 どこかで聞いた覚えがある。


 カレンと出会ったばかりの頃。

 彼女の機嫌を損ねた際、保身のために誘った店だ。


 結局、ソウマとのいざこざで、

 行かずじまいになってしまったが。


「お店の知名度が足りないということは、

 まだ伸びしろがあるということ!」


 どこか、自分自身を励ますような声だった。


「こんなことでは挫けませんよ!」


 そう言い切ってから、


「……てな感じで、

 私は今日、食材の調達に来たのですよ」


「そうか」


 身につけたアクセサリばかりに気を取られていたが、

 ナーラの腰には小さな革袋が提げられていた。


 紐で閉じられているが、

 かすかに香辛料の香りが漂っている。


 ならば――


 空を見上げる。


「気を付けた方がいいよ。

 もうじき、雨が降る」


 ナーラもつられて空を見上げた。


 陽は傾き始めているが、

 空には雲ひとつない。


「まったまたあ」


 肩をすくめる。


「イズヒト君、冗談やめてくださいよ〜。

 空読みだって“洗濯日和”って言ってる天気ですよ?」


 小馬鹿にした顔。


 放っておこうとも思ったが、

 この街の香辛料に罪はない。


 濡れれば、固まる。

 カビる。

 腐る。

 発芽する。


「……」


 カレンへ視線を投げる。


 返ってくるのは、

 静かな肯定の相槌だった。


 間違いない。


 僕たちの判断基準は、

 遥か昔から積み重ねられてきた知恵だ。


「乾いた土の匂いがする」


 正確には、

 神殿の外壁の匂いだ。


「鳥も低く旋回している」


 そして、


「水路の上を、冷たい風が滑る」


 今のように。


 空読みが示すのは、

 一日の大まかな天気だけだ。


 だから――


「え」


 ぽつり、と。


 冷たい雫が、頬に落ちた。


 その瞬間、ナーラは悲鳴を上げた。


「ぎゃあああ!

 本当に雨が降ってきたああ!

 なんでもっと早く教えてくれないんですかああ!」


「この場で可能な最速の情報は提供しただろう!

 僕の正気を疑ったのは君の方だ!」


「とにかく、とにかく雨宿りを!

 お店に走りますよ!」


「なんで僕たちまで――」


 言いかけた、その時だった。


 小さな革袋がひとつ。


 僕とカレン、それぞれに向かって投げられる。


 ――反射で、受け取ってしまった。


「乗りかかった船です!」


 乗った覚えはない。

 正確には、強制乗船だ。


「急ぎましょう!」


 ナーラは革袋を預けたまま、

 振り返ることなく市場を駆けていく。


 どうやら、

 僕たちが追いかけてくることを疑っていないらしい。


 不用心なのか。

 それとも、ただの純粋か。


 立ち尽くしている訳にもいかず、


 僕とカレンは、ナーラの背を追った。


 香辛料と、

 濡れはじめた土の匂いの中を――。


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