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炎、名を変えて


 選べ、とカレンは告げた。


 王として国を守るか。

 不死の怪物として、滅びた大地に独り立ち続けるか。


 二択。


 だがそれは、単なる脅しではない。

 問いだ。

 ハーリドという存在の、根幹を剥ぎ出すための。


 なぜ彼は王座に在るのか。


 そこが問われている。


 ここは、かつて彼が踏み躙った敵国だ。

 民への愛も、

 営みへの情も、

 本来は一片たりとも持ち得ぬ土地。


 それでも守ると言うのなら。

 それは愛ではない。


 意図だ。


 理念か。

 野望か。

 あるいは、千年を超えてなお消えぬ執着か。


 この交渉は知略ではない。

 駆け引きですらない。


 ただ、互いが差し出せるものの重さを測る――

 静かな、値踏み。


 ハーリドは、僅かに口角を上げた。


 落ちたのは、静かな笑み。

 嘲りではない。


 膝を折らずとも、

 そこにあるのは――敗北の承認だ。


「取引の中で価値を測るか」


 低く、愉しむように。


「貴様は王というより、優れた商人だな」


「私は最初から、王の器ではありません」


 即答。


「民が幾万いようと、

 私はただ一人を生かすために世界を切り捨てる」


 揺らがない。

 天秤は、最初から壊れている。


「王が守るのは、民とは限らん」


 静かな断定。


「守るのは秩序かもしれぬ。

 あるいは、退屈しない世界かもしれぬ」


 淡々と並べる。

 そこに情はない。


 だが、虚無もない。


「私が守るのは――信仰だ」


 一拍。


「信仰は、人をなくしては成り立たぬ」


 だから。


 短い息を吐く。

 諦念ではない。


 すべての条件を並べ終えた者の呼気。


「この国を滅ぼされては困る」


 視線を上げる。


「要求を呑もう。

 私は、ここで手を引く」


 魔力も。

 殺気も。


 敵意と呼べるものは、すでに消えている。

 この男が――これほど容易く。


 勝敗が決したのではない。


 カレンは怪物として王と並び、

 ハーリドは王のまま怪物を認めた。


 均衡。


「面白い」


 低く、押し殺した声。


「千年ぶりだな。この高揚は」


 内側で脈打つ昂りを、噛み潰すように呟く。


「カイス王の力は、まだ生きておったか」


 僕は声を落とす。


「……『欺界聖書ビブリオ・エンガーノ』と言ったな」


 世界を正しく欺く書。


「その力で人々を騙し、

 移ろう世界の在り方を固定する。

 それが――現世でお前が為そうとしていることか」


 信仰は変わる。

 時とともに。


 原初の意味は削れ、脚色され、輪郭を失う。


 風化ではない。

 変質だ。


 だがハーリドは、“信仰を不滅とする者”と名乗った。


 祈りに縋るのではなく、

 祈りを捧げさせる側として。


「ああ。そうだ」


 迷いも、躊躇いもない。


「信仰が装いになれば、やがて流行に堕ちる。

 流行は古きを削り、砂にする」


 一拍。


「祈りだけではない。

 いずれは魔術さえも――失われる時代が来る」


 魔術の起源も、遡れば信仰の中にある。


 ならば。

 彼の言葉は、荒唐無稽ではない。


「止めたくば、立ちはだかれ」


 現世の王としての宣誓。


「私は世界を欺く。

 国を生かし、民を操り、信仰を守る」


「君が作る国は、ただ死を否定するだけだ」


 息を吸う。


「そこには誰も、生きてはいない」


「構わん」


 即答。

 揺らぎがない。


「イズヒト。

 これは私と貴方の――在り方の押し付け合いだ」


「……何だと」


「“不死”と“転生”」


 死を否定する者。

 死を越えてなお生まれ変わる者。


 両者が宿す、相反する魔術体系。


「不滅を真とするか。

 変質するからこそ、生きるとするか」


 細められた視線が、鋭く光る。


「ぶつけ合おうではないか。

 互いの思想を」


「君も気付いているはずだ。

 ここにいるカレン――」


 一瞬、彼女を見る。


「彼女は、僕本来の力を持つ」


 誇示ではない。


 事実だ。


「力なら、こちらに分がある。

 それに――君が頼る『欺界聖書ビブリオ・エンガーノ』」


 わずかに間を置く。


「発動には、鍵が必要なのだろう?」


「鍵なら、見つけた」


 ――息が詰まる。


 千年、探し続けたはずのもの。

 どこに、手掛かりがあった。


 無意識に、拳を握る。


 ナディルか。

 アミナか。

 それとも、僕との対話か。


「イズヒト」


 静かな声。


「貴方はいま、魔力を従者に預けているようだが――その者」


 一拍。


「心臓が止まっておる」


 視線が、カレンを射抜く。


「死霊召喚の術だな。

 死の世界から呼び戻した者」


 断定。


「ならば――私にも勝機はある」


 単純ではない。


 術者である僕を討つだけでは足りぬ。


 僕の知らぬ綻びか。

 対死霊術に特化した一手か。


 読めない。


 だが。


 宣誓は、返さねばならない。


 アーイシャを殺し、

 国を奪い、

 信仰の名で支配しようとする者へ。


 すべての歴史を継ぐ者として。


 転生者、ハトバ・イズヒトとして。


「ハーリド」


 名を呼ぶ。


「君は強い」


 一拍。


「だが、この国の王には不相応だ」


 空気が張り詰める。


「僕が玉座から引き摺り下ろす。

 計画は、必ず止める」


 そして。


「千年の精算を――果たす」


 ハーリドは視線を逸らさない。


 真っ直ぐに、射貫く。


 あの日、王城で。

 たった一人、僕の前に立った時のように。


 やがて、ハーリドは小さく頷いた。


「良いだろう。

 私の切り札――『欺界聖書ビブリオ・エンガーノ』は、学園の書庫に眠っている」


 事実だけを積み上げる声音。


「だが厳重な封印が施されている。

 力でこじ開けることは不可能だ」


 一拍。


「おそらく、かつての貴方の従者が施した結界だろう」


 魔術学園。

 かつては、僕の居城のひとつ。


 死の間際、城を好きに使えと告げた相手はカーディル――

 僕の右腕。


 ならば。

 禁忌の書を封じたのも、彼だ。


 ハーリドでさえ、破れぬ形で。


 だが。


「禁書庫は、近く開かれる」


 淡々と。


「祭典の勝者に、な」


 ――思い出す。


 王位アブソリュオのソウマが語っていた。

 小規模な魔術演舞デュエロ・マギアの祭典。


 勝者には、禁書庫の魔術書に触れる権利が与えられる、と。

 『救済聖書ビブリオ・サルバシオン』を追う中で得た情報だ。


「……今の学園の管理者は、誰だ」


「知らぬ」


 即答。


「私の手の届かぬ場所で、息を潜めているようだ」


 感情はない。


「おそらく、祭典の勝者にのみ門を開ける術式を組み込んだのだろう。

 だから私は、王としての権を使い、

 この世界で選んだ者を選出させる」


 わずかに肩を竦める。


「私は、もはや学生という立場になれそうにないのでな」


 自嘲の笑み。


「イズヒト。

 貴方が勝ち上がればいい」


 視線が、射抜く。


「禁書庫を開け。

 私の計画と魔術書を葬る――それが、私への対抗手段だ」

 

 手の内を明かした。


 真正面から。


 自信か。

 王の矜持か。

 それとも――思想戦を愉しむ余裕か。


 問う必要はない。


「戦争は、祭典の形を取るんだな」


「ああ」


 静かな肯定。


「私たちの|千日の炎《アル=ナール・アル=ミル》は、まだ終わっていない」


 一拍。


「続けよう。

 |千年の炎《ナール・アル=アルフ・サナ》へと――名を変えて」


 炎。


 千日から、千年へ。


「僕の国を好きにはさせない。

 魔術書は、破壊する」


 その言葉を受け、ハーリドは満足げに笑む。


 片手を、ゆるやかに掲げる。


 星が、彼を包む。


 薄暗い光が捻じれ、空間が歪む。


 現実が、わずかに軋む。


 やがて。


 光の歪みに溶けるように、ハーリドは消えた。


 残るのは、沈黙。


 火が揺れる。


 影が踊る。


 乾いた爆ぜる音だけが、祭壇に響く。


 大きく、息を吐く。


 僕は――挑まなければならない。


 『救済聖書ビブリオ・サルバシオン』。


 『欺界聖書ビブリオ・エンガーノ』。


 名が違うだけの同一の書か。


 あるいは、対を成す異端か。


 分からない。


 だが、辿り着く先は同じだ。


 僕は再び、魔術演舞デュエロ・マギアの舞台に立つ。


 学園へ。


 その足を――運ぶ。

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