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信仰の終わり


「私の現世で授かった名は、イクト・アミナでございます。

 イクティヤール家の長女として生まれ、

 魔術学園――『夜明けの鐘(アルバ・カンパニュラ)』に通う、ごく普通の生徒でした」


 アミナは、感情の起伏を極力削ぎ落とした声で語り始めた。

 それは報告であり、同時に自己定義でもある口調だった。


「魔術の理論理解は未だ浅く、頼れるのは感覚と修練のみ。

 それでも辿り着いたのが、学園ランクTier2――覇位ドミニオ


 彼女は一拍、呼吸を置く。


「しかし、ある時……

 天啓のように、記憶が流れ込んで参りました」


「天啓?」


 問い返すと、アミナは小さく肯いた。


「はい。

 私の知らないはずの魔術の数々。

 命を奪い合う戦場の光景。

 そして、“秩序の裁定者”としての使命」


 列挙されるそれらは、いずれも現世の彼女の経験ではない。

 それでも――


「一つとして身に覚えはございませんでした。

 ですが、不思議と理解できたのです。

 それらが“私自身の記憶”であると」


 アミナは胸元に、そっと指先を当てる。


「まるで――

 奥底で眠っていた、もう一つの人格が、

 初めて呼吸を始めたかのような感覚でございました」

 

「何か……

 目覚めのきっかけはなかったのか。

 千年前の遺物に触れたとか、

 現世の特異な魔術を行使したとか」


 矢継ぎ早に問う形になってしまった。

 自覚はあったが、抑えきれなかった。


 だが、アミナはゆるやかに首を振る。


「申し訳ございません。

 いつ、どのようにして過去の記憶を得たのか――

 その起点が、どうしても思い出せないのです」


 そして。


「ただ――」


 そこで言葉を切る。

 飲み込み、間を置く。

 流して聞かせぬために、意図して作られた沈黙だった。


 僕は小さく、肯いた。


「【魂への囁き(ムルムリオ・アニマ)】……

 精神伝達魔術で、確かに“声”を聞きました」


 急かさない。

 促さない。

 僕は、ただ沈黙を選ぶ。


 アミナは一度、小さく息を吐き――

 それから、言葉を継いだ。


「――やがて、王は目覚める。

 輪廻の彼方より、影を携え――」


 一拍。


「――備えよ。

 主を、導け」


「……!」


 喉が、ひくりと鳴った。


 これは、神託か。

 あるいは、何者かによる世界への干渉か――

 現時点では、どれとも判じ難い。


 ただ一つ、確かなことがある。


 僕の目覚めは、事前に予期されていた。


 転生の禁術、

 【|永劫回帰《アル=アウダ・アル=アバディーヤ》】は、他者に干渉しない。

 誰にも明かしていない。

 編み出して以降、僕にのみ組み込まれた――

 一種の、自己完結した魔術体系だ。


 だからこそ。


 その実態を知られぬまま、

 僕は“神の恩寵を受けた王”として畏怖され、崇められてきた。

 力ゆえではない。

 説明不能であるがゆえの、神秘の象徴として。


 ――その、からくりを。


 誰かが、覗き込んだとでもいうのか。


 胸の奥に、冷たいものが落ちる。


 一つだけ、どうしても引っかかる点があった。


「啓示か、陰謀かは、今はどうでもいい。

 だが――

 “輪廻の彼方より、影を携えて”とは、どういう意味だ」


 一拍。


「最愛の者や、従者ではないのか?」


 アミナは、即答しなかった。

 しかし、その沈黙は短い。


「イズヒト様が、死の世界より連れ帰られた御方――

 つまり」


 静かに。


「カレン様、かと」


 ……。


 やはり、そうなるか。


「――主を、導け、か」


 独り言のように呟く。


「君に告げを与えた者は、随分と性格が捻くれているらしい。

 “影”などという曖昧な言葉では、善とも悪とも判別がつかない」


 乾いた笑みが、喉の奥で引っかかる。


「いっそ、“悪魔”だとか、“売女”だとか、

 はっきり名状してくれれば良かったものを。

 そうすれば、その告げが――

 主を導き、カレンを抹殺せよ、という意味だと理解できた」


「はい」


 アミナは、即座に頷いた。


「ですので私は、

 カレン様の殺害は“早計”である、という進言を取らせて頂きました」


 淡々とした声。

 だが、その選択には、彼女なりの決断が含まれている。


「そうか――」


 小さく、息を吐く。


「では現状、事態はその告げの通りに運ばれている、というわけだな」


「仰る通りでございます。

 私、イクト・アミナは――

 主の覚醒に備え、導くだけの力を得ることに、心血を注いで参りました」


 その視線が一度、王位アブソリュオの指輪へと落ちる。

 ほんの一瞬。

 確かめるような間。


 やがて面を上げ、そこに宿ったのは、揺らぎのない決意だった。


「ですが、この記憶が、イズヒト様の恩恵ではないと判明した以上――

 私を側に置くことも、再考されるべきでしょう」


 淡々と、事実を述べる声。


「力を得るよう仕向けたのも、敵の策略。

 すべてが、イズヒト様に害を成すための布石である可能性もございます」


 アミナは断じるように言い切り、

 ゆっくりと、王位アブソリュオの指輪を外した。


 龍の紋章に嵌め込まれた赤い秘石。

 空の光を受け、その輝きが一瞬だけ、鋭く煌めく。


 ――そして。


 彼女はその指輪を、水路へと落とした。


 水面が、小さな音を立てる。

 低い飛沫が上がり、すぐに、何事もなかったかのように静まった。


 命じて、捨てさせたわけではない。

 これは追放でも、裏切りでもない。


 彼女自身が――

 自分は“疑われる側に立つ”と、名乗り出ただけだ。


 アミナにとっての王位アブソリュオとは、

 権威の象徴などではなく、

 信頼を預けるための器だったのだろう。


 僕は、ゆっくりと息を吐いた。

 失望の溜め息ではない。

 自嘲だ。


「子どもの頃、水に硬貨を落としたことがあっただろう?」


「……?

 はい」


 短く頷く。


「そうして、“戻らない”ことを学びます。

 それが、街の教えですから。

 水は返すが、同じ形では返さない――と」


「ああ。

 だが、それは“街の教え”だ」


 外壁に立ち、僕は短く息を吸う。

 水辺の冷たい空気が、一瞬、肺を満たした。


「――僕の教えじゃない」


 左手に、魔力を編む。

 薄暗い魔術紋が、静かに形を成す。


 今の力で足りるかどうかは考えない。

 未来が成功を選ぶなら、

 想像は、それに従えばいい。


「【牽引アトラクシオン】」


 差し出した左手。

 重力の魔術。


 光は、水底に沈む指輪を捉え、

 強く引き寄せられるようにして水面を弾いた。


 そして――

 帰るべき場所を知っていたかのように、

 指輪は、僕の手中に収まった。

 

「君の魔術だったなら、もっと雑作もなくできただろうな。

 重力系の魔術は――制御が難しい」


「……」


 アミナは答えない。

 僕はそのまま続けた。


「落ちたものは戻らないと、街は教える。

 だが、僕は君たちに、こう告げてきたはずだ。」


 一拍。


「落としたのなら、僕が掬い上げる。

 それだけの力が、僕にはある。


 だから――

 この力が、誤らぬように。

 僕の、側にいてほしい」


 「――!」


「もっとも、今の僕には、その力があるかも怪しいところだけどね」


 口角を引いて、苦笑する。


「君が居なければ、僕はとっくに、

 カレンに心を殺されているよ」


 慰めではない。

 事実だ。

 僕の側に立つ者が不在なら、

 僕は今日、祈りを踏み越え、神殿の床に頭を叩き付け続け、そのまま惨めに死んだだろう。


「気づけば、僕たちの立場が一段、ずれていた。

 僕が問い、君は選び、

 告げは――世界の外側から流し込まれている」


 僕は跪く。

 アミナの手を取り、王位アブソリュオの指輪をゆっくりと嵌める。


「一度、正そう」


「しかし、イズヒト様……!」


 赤い瞳が揺れる。

 厚意に甘えた結果、

 見えざる敵の思う壺になるのではないか――

 そんな逡巡が、はっきりと浮かんでいた。


 ならば、まず正すべきは、

 その疑念だ。


「アミナ。

 君は今、君自身を疑っている。

 その記憶さえも、

 敵の術によって生まれた幻影ではないかと」


「……はい」


「いつか、君が僕に刃を向ける可能性も、否定はしない」


 一度、言葉を置く。


「だが断言しよう。

 その思考、その選択、その立ち居振る舞い――

 すべてが、

 アミナ・ビント・ヌリーヤそのものだ」


 視線を逸らさず、告げる。


「僕自身が、そう判断した」


 敵の策略かどうかは、まだ分からない。

 だが今、目の前にいるのは、

 間違いなく――

 千年前、僕の背を預けた忠臣その人だった。


 だから今、選ぶべきは、

 恐れではない。

 立ち止まることでもない。


「今一度、

 “秩序の裁定者”としての思考を立ち上げてほしい」


 一拍。


「その判断は、

 他の誰のものでもない。

 ――君自身のものだ」


 そして、最後に。


「信仰の段階は、終わった」


 声は低く、しかし揺るがない。


「次の行動を、

 僕は――選びたい」


 瞬間、アミナの瞳に、鋭い光が宿った。

 告げを残した第三者。世界の矛盾。

 それらを一度、度外視し――世界の外側から、現在を見つめる眼。


 その眼光は、裁定者としてのアミナが、確かに帰還したことを静かに告げていた。


「イズヒト様。

 これより、イクト・アミナは、その在り方をもって忠義を示します。

 孤児であり、人を殺めて生きていた私を拾い、正して下さった恩義――

 一度として、忘れたことはございません。

 私が反旗を翻すことがあれば、ご容赦なく――」


「あの頃の君は、怖かったなあ」


 アミナは、わずかに照れたように目を伏せる。

 正直に言えば、当時の彼女には、カレンに匹敵する恐ろしさを感じていた。


 まだ幼かった彼女の背後に立ち、肩車でもしようと手を伸ばした結果、

 股間を蹴り上げられ、死にかけたことがある。

 ――悪いのは、たぶん僕の方だ。


 過去を覗き込む視線を振り払うように、アミナが言葉を継ぐ。


 指が、二本立てられた。


「今、イズヒト様に進言できることは二つ。

 カレン様を問い正し、彼女の現世での役目を聞き出すこと」


「“僕の側に居ること”――その一点張りだ。

 他の答えを期待するのは、難しそうだ」


「であれば――」


 一つ、指が畳まれる。

 残された選択が、差し出された。


「恐れながら、イズヒト様の記憶の真偽を、

 ここに確かめることを、私よりご提案申し上げます」


「ほう」


「“魂送使ルフラニール”を訪れるのは、如何でしょう」


 ……魂送使ルフラニール

 死者の記憶と魂を幻獣に乗せ、空へと送る街の、由緒正しい運び屋だ。


 馬の姿にも似た幻獣は、数百年を生き、寿命を迎え、再び生まれ変わるという。

 その記録は、代々、失われることなく受け継がれてきたとされている。


「それで、僕の記憶を訪ねればいいのか」


「いいえ」


 言下に否定される。


「前世において、既にイズヒト様の記憶へ細工が施されていれば、

 差し出されるものが真実である保証はありません。

 ゆえに、魂送使ルフラニールに問う記憶は――」


 一度、言葉を切る。


「アーイシャ・ラフティマ・レジット様。

 ――王妃の、最期の記憶です」


 ――!

 アーイシャの、最期。


 魂送使ルフラニールであれば、死者の魂と記憶を、確実に空へと運んでいる。

 千年の時を経ようとも、彷徨う魂がある限り、それを拾い上げ、還す存在だ。


 病に伏したのか。

 あるいは、戦場で命を落としたのか。


 そのどちらかが、そこで確定する。


「なんだか、他人の記録を覗き見るのは、気が引けるけれど……」


「申し訳ありません。

 では、次の策を――」


「ああ、いや、違うよ」


 僕は、言葉を急いで継ぐ。


「僕一人だったら、きっと、何も出来なかった。

 ――ありがとう。

 君の考えと行動は、いつも僕の想像を越えてくる」


「それは……

 お褒めの言葉と受け取って、宜しいでしょうか」


「もちろん」


 笑みを向けると、遅れて、アミナの口許がほどけた。

 それは、忠臣ではなく、一人の少女の表情だった。


 目的は定まった。

 アーイシャの記録を確認する。

 僕自身の記憶の真偽を、正す。


 今、この世界で何が起ころうとしているのか。

 それとも、既に渦中にあるのか。


 僕は、どこへ導かれようとしているのか。


 まずは、その断片を掴む。


 そして、『救済聖書ビブリオ・サルバシオン』を手にし、

 カレンの狂気に備える。


 僕は今――

 現世における、自らの在り方を。


 確かに、

 選んだ。

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