表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Life1の死霊使い!~前世の嫁を召喚したつもりが別人だった件~  作者: るろ
第一章 冷たき生に、死の花束を――
PR
22/48

ヌールン・ヤウードゥ・イラ・ッサマーイ


 太陽が沈みきる前、空はまだ昼の名残を引きずっている。

 乾いた石畳は夕焼けを吸い込み、

 赤土の街路はまるで火を内側に宿したかのように鈍く光る。


 白壁の家々は、昼の熱を名残惜しそうに吐き出し、ゆっくりと影を伸ばす。

 その影は、ただ暗くなるだけではない。

 縁には微かな青白い光が宿り、夜の魔術が到来する予兆を、街にひそやかに告げていた。


 遠くの尖塔から、祈りの鐘とも角笛ともつかない音が流れ出る。

 音は空気に溶け、目に見える波紋となって空を揺らす。

 その揺らぎに引かれるように、黄昏色の雲がゆっくりと渦を巻き、空の奥へと回転していく。


 太陽が地平に触れた瞬間、奇跡が起きる。

 沈みゆくはずの光が砂漠の彼方から逆流し、細い光の帯となって夜空へと吸い上げられるのだ。

 人々はそれを「天へ還る光レグレサ・アル・シエロ」と呼ぶ。誰もその光に指を向けはしない――神聖さの証として。


 夜が訪れる。空は藍から深い紫へと変わり、星々が浮かび上がる。

 この世界の星は静止しない。

 漂い、街の上空まで降りてきては、ランタンの火と混じり合い、淡く瞬く。


 水路を流れる水は月を映さない。

 その代わり、水底には過去の記憶が沈んでいて、歩く者の足元にそっと差し出される。

 記憶は、砂に埋もれた物語の残響――触れれば、微かに心を揺らす。


 夜風が吹く。香辛料と祈り、そしてわずかな魔力を含んだ風。

 触れた者は、今日一日の終わりを悟り、同時に、明日がまだ確かに存在していることを知る。


 こうして黄昏は夜へと溶けていく。

 世界が魔術に最も近づく、短く、しかし永遠にも思える時間の中で。


「イズヒト様!

 あの空を駆ける、流星のような蝶は何でしょうか?」


 ――蝶?

 子供のように目を輝かせ、指先を伸ばすカレンを見やる。


「ほう……」


 思わず感嘆の声が漏れた。


 しかし、あれは蝶などではない。

 小さな身体にヒトの顔があり、透明感を帯びた体躯に、ほのかな緑と金の光が差す。

 髪や纏う衣は、揺れる草や砂の色を帯び、夜風に薄い翼がはためくたび、街路へ光の粒を撒き散らす。


 僕は見上げたまま、言葉を差し出す。


「“エル・カバルの風の精”だよ。

 夜だけに輝く、貴重な光景さ」


「綺麗ですね……

 どんな子たちなのでしょう?」


「好奇心旺盛で、いたずら好きだ。

 でも悪意はない。死した魂を墓まで導いてくれる精霊で、街のガイドも務めてくれる、気の良いやつらだよ」


「やんちゃなのですね……」


「ああ。

 前に僕の家に現れたときは、ハエかと思って潰してしまったんだ。

 せっかくだから、その羽根を魔術の触媒としてむしり取ったけどね」


 瞬間、カレンが金切り声を上げた。

 指先で夜風を掻き分け、光の粒が彼女の顔を照らす。

 その声は、驚きと呆れが混ざり合った、まるで子供と大人が同時に叫ぶような響きだった。


「ぬぁんてことするんですか!?

 あんなに儚い生き物を、潰すだなんて!」


「人様の家に勝手に上がり込むなんて、強盗となんら変わらないよ。

 美しいからって許されるわけじゃない」


「イズヒト様は死神ですか、悪魔ですか!」


 ――まさか、死神と悪魔を足して割ったような女に、非難される日が来るとは。

 別に風の精を潰した時に、心が痛まなかった訳ではない。


 羽を拝借したのだって、せめてその不運な事故に、価値を見出そうとしたまでのことだ。

 それに――


「その触媒は、お前の召喚にも使わせてもらったものだぞ」


「なな……」


 それだけで、カレンの荒ぶる心が少し収まった。

 口をまごつかせ、必死に感情を抑え込もうとするその様子は、まるで風の精そのものが、軽やかに舞い戻ったかのようだ。


 ――結果的に現世に蘇ることができたのは、彼ら風の精たちの“屍”のおかげだ。

 それを悟ってしまうと、どこか胸の奥で、責任と感謝が同時にざわめいたのだろう。


 だからこそ、カレンは複雑な笑みを形作り、短く言葉を落とした。


「それは――仕方がないですね」


 カレンからすれば、死後の世界と現世を繋いだ運命的な妖精に違いない。

 奇跡の裏側に、物語として美しく配置された存在。


 だが、僕の視点では違う。

 あの時、不用意に小さな命を叩き潰した罰が、巡り巡って今、精算されている。

 そう思えてならなかった。


 アミナと僕が辿り着いた結論――

 カレンは、前世の妻アーイシャではない。


 学園を去る際、アミナは繰り返し用心するよう僕に告げ、

 ひとつの魔道具を懐へと忍ばせてくれた。

 掌に収まるほどの、小さな赤い石だ。


 緊急を要する事態に陥った場合、

 そこへ魔力を注ぎ込めば、彼女は即座に転移してくるという。


 願わくば――

 今すぐにでもその石を握りしめ、

 いっそ、このまま三人で暮らさないかと提案してしまいたい。


 そんな甘い考えが、胸の奥で一瞬だけ、灯っては消えた。


 しばらくの間、僕たちは言葉を失い、

 ただ呆然と、降り注ぐ光の鱗粉を見上げていた。


 それが奇跡の名残なのか、

 あるいは呪いの毒粉なのか――

 判断を下すには、あまりにも静かすぎた。


 *


「ただいまです!」


「……」


 家に戻ると、散らかった部屋の光景が、唐突に視界へ飛び込んでくる。

 補修跡の残る床。

 無造作に置かれた工具。

 魔術に焼かれ、未だ焦げ色を帯びた壁。


 どれも見慣れたはずの、自室の断片だ。

 変わらない日常を映すはずの景色。


 それなのに――

 魔術演舞デュエロ・マギアを終えた今の僕には、

 ひどく現実離れした、舞台装置の残骸のように思えた。


 これから、どう生きていくべきか。

 カレンという存在と、どう折り合いをつけるのか。


 自室の持つはずの安心感が、

 むしろ目を逸らしてきた現実を、容赦なく照らし出す。


 考えることを許さないのではない。

 考えずにいられない場所へ、帰ってきてしまったのだ。


 ――しかし、気負う必要はない。

 『救済聖書ビブリオ・サルバシオン』を手に入れるまでの間、表面上だけ、仲良くしていればいい。


 身寄りのない遠い親戚が、少しの間、厄介になる。

 そういう話だと思い込めばいい。


 ……そう、思っていた。


「イズヒトさーまっ」


 頬ずりでもしかねない声音と、異常な距離の詰め方。

 反射的に、言葉が口をついた。


「なんだ、気色悪い」


「酷い!

 ……あ、でも。そういうプレイがお好みなのかもしれないですし……いっか」


 ――?

 一体、何をどう自己完結させたのだ。


 罵倒を浴びせて快楽を覚える趣味はない。

 そう言い返そうとした、その瞬間。


 床に、衣擦れの音が落ちた。


 軽い音だった。

 だが、それは決定的だった。


 カレンが、服を脱いだ。


 そして、何の躊躇もなく、悍ましい言葉を紡ぐ。


「さ、イズヒト様も。

 いちゃいちゃ、しましょう?」


「お前は学園に脳味噌を忘れてきたのか。

 今すぐ取りに戻ってこい」


「……?

 イズヒト様こそ、お忘れではありませんか?」


 小首を傾げる仕草。

 そこに迷いはない。


 自分が狂っている可能性など、微塵も疑っていない瞳だった。

 ただ“正しさ”だけを、こちらに向けてくる。


魔術演舞デュエロ・マギアが始まる前。

 早くソウマをぶっ殺して、イチャイチャしましょう、と。

 私は、確かに申し上げましたよね?」


 ――こいつは、一体、何を言っている。


 確かに。

 そんな戯言が交わされた記憶は、うっすらと存在する。


 だが、それがどうしたというのだ。


 あの時。

 僕は――何と、返事をした?


 その記憶を指先でなぞるように、

 カレンは、ゆっくりと言葉を重ねてくる。


「イズヒト様。

 あの時、イズヒト様は『うん』と。

 確かに、返事をしてくださいました」


 独白めいた声音。

 恍惚とした表情。


「――嬉しかったなあ」


 得体の知れない何かが、

 胸の奥の琴線を、爪で弾いた。


 恐怖だ。


 理屈ではない。

 嫌悪とも違う。


 手のひらに滲んだ汗が、

 指先へと、ゆっくり流れていくのを感じていた。


「ふ、ふざけるな……!」


 喉が裏返る。

 怒声というより、追い詰められた獣の威嚇だった。


「あんなのは、ただの冗談だ!

 間に受ける馬鹿が、どこにいる!」


 突き飛ばすように叫んだ、その――


 瞬間だった。


「【――】」


 言葉にならない音。

 それでも確かに、“詠唱”だった。


 次の刹那。


 風切音が、耳を裂いた。


 鋭く。

 空気そのものを刃に変えたような――

 肉を断つ音。


 音に意識を奪われた、その直後。


 世界が、傾いた。


 くらり、と視界が揺れる。

 カレンの姿が消え、

 すすに汚れた灰色の天井だけが、ゆっくりと視界を満たす。


 ――ああ。


 既視感。


 カレンを召喚した時にも、確か、こんなことがあった。

 足元が崩れ、

 魔術の失敗作に絡め取られた、あの感覚。


 また、過去の残滓に足を取られたのだろう。


 そう、思った。


 ……だが。


 それは、あり得ない。


 あのガラクタたちは、数日前にすべて処分した。

 残骸も、記録も、完全に。


 ――違和感。


 身体に力が入らない。

 立ち上がろうとしても、

 命令が、下半身へ届かない。


 視線を動かす。


 その時。


 目の前に、

 “自分の脚”が落ちていることに気付いた。


 一呼吸。


 理解が追いつくまでに、

 それだけの時間が必要だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ