重ならない影【Ⅴ】
眼前で、稲光が炸裂した。
それは攻撃というより、宣言だった。
――私は、会話より先に、世界を壊せる。
そう示してみせるための、露骨な意思表示。
網膜を刺す光。
細める間も、息を整える暇も惜しい。
あれを、真正面から受ければ――
アミナは、灰になる。
相殺は不可能。
避雷も、遮断も、間に合わない。
ならば、選択肢は一つしかない。
結果を変えるのではなく、時間を稼ぐ。
僕は回廊の石壁へ、左手を叩き付けた。
「【骸骨戦士】!」
詠唱はない。
今の僕に可能な、無詠唱の限界召喚――
時間も精度も、すべて削ぎ落とした、即席の呼び出し。
壁面に亀裂が走る。
石の内側から滲み出るように、魔術紋が浮かび上がり、
白骨の戦士が、這い出るように現れた。
次の瞬間。
柴色の雷光が、それを呑み込んだ。
骨は砕け、魔術紋は引き裂かれ、
骸骨戦士は存在を主張する暇すらなく、粉々に散る。
――だが。
確かに、勢いは殺した。
雷が空間を裂く、その一瞬の“遅れ”。
それだけで、十分だった。
僕はアミナの手を掴み、
力任せに引き寄せる。
床へと叩き伏せるように、
身体ごと押し倒し、覆い被さる。
雷光が、頭上を掠めて通り過ぎた。
回廊の空気が震え、
石壁が、耐えかねた獣のような悲鳴を上げる。
――それでも、まだ油断はできない。
なぜ僕は、攻撃を仕掛けてきた相手の安否など気にしているのだろう。
「イズヒト様! どうしてその女を庇うんですか!」
投げられた問いには構わず、言葉を被せる。
「カレン! 学園の防衛魔術が来るぞ!」
「な、何ですかそれ……!」
元はといえば、この学園は千年前の僕の居城だった。
骨格は当時のまま。
ゆえに敷地内で反逆の意志を示した者には、等価――いや、それ以上の制裁が自動的に下る。
本来、競技外で攻撃魔術を振るう者など存在しない。
それを想定しないほど、この学園は「王の統治」を信じ切っている。
……説明していなかったか。
しかも、今の破壊規模は小規模とは言い難い。
当然、それに見合う罰が選択される。
カレンの周囲に、無数の魔術紋が浮かび上がる。
赤く、冷たい包囲網。
それは対象を「生徒」ではなく、「排除すべき異物」として認識した色だった。
僕は、この判断に全面的に同意する。
――カレン。
短い時間だったが、スリリングな日々をありがとう。さようなら。
わざとらしく涙を浮かべようとした、その瞬間。
床に這いつくばったままのアミナが、腕を伸ばした。
「【牽引】」
瞬間、カレンの周囲を黒い星々が包み込んだ。
それらは重力井戸のように螺旋を描き、視界を塗り潰していく。
完全に覆い尽くされた、その刹那。
カレンの姿は、吸い込まれるように消失した。
重力系魔術【牽引】。
本来は対象物を引き寄せるだけの、初級魔術――のはずだ。
だが、これは。
学園防衛システムは、排除すべき対象を見失ったことで、
どこか名残惜しそうに赤い残光を揺らし、やがて霧散した。
出撃命令を受けて勇んだ兵が、
「誤報だった」と告げられた時の気分に、少しだけ似ている。
そして、消えたはずのカレンはというと――
「わあ!」
頭上から声が降ってきた。
比喩ではなく、文字通り。
「「ぐえっ!」」
アミナと同時に、
潰れた蛙めいた声を漏らす。
これは引き寄せというより、転移に近い挙動だ。
やはり王位クラスの魔術は、
基礎理論よりも、応用と悪意とセンスで出来ている。
――感心している場合ではない。
「アミナ、無事か?」
「川の向こうで、千年前の守護者たちが手を振っておいでです」
「そいつらは、ただのセールスだ。
無視して帰ってこい」
アミナが赤い瞳をくるくると泳がせている。
突然の宣戦布告。
僕に叩き付けられ、さらにカレンを瞬時に救い、その体重まで一身に受け止めたのだ。
無理もない。
やはり彼女の判断としては、
カレンを殺すことに“反対”――というより、“早計”と映ったのだろう。
防衛システムに便乗して、
心の中でエールなど送っていた自分が、少しだけ恥ずかしい。
思えばアミナは、あのソウマと同格の実力者だ。
僕が慌てずとも、状況を一つずつ切り分け、確実に処理できていたかもしれない。
――ふむ。
一人で背負う必要はなかったか。
ならば。
今は、僕にしか出来ない役目を果たそう。
カレンの額を、指で軽く弾く。
「あだっ」
「お前な。
いきなり攻撃するなんて、何を考えている」
少し間を置き、息を整えてから続ける。
「ソウマは、悪い手本だぞ」
「イズヒト様は、この方に脅されていたのではないのでしょうか?」
「なに?」
僕が、アミナに?
この女は、一体世界をどう見ているというのだ。
カレンは至って真面目な表情で続ける。
「イズヒト様は以前、仰っておられました。
学園に出向いたなら、話をする者もいたけれど、その程度だと――」
言葉を選ぶように、確信を含んで告げる。
「イズヒト様にご友人など、おられないはずなのです!」
面と向かって事実を突きつけられると、胸の奥が小さく痛む。
その痛みは、彼女の純粋な観察眼が、僕の孤独を正確に捕まえたからだ。
「だから、“友人”として紹介されたのは、イズヒト様からの救難信号かと思いまして……
それに、彼女の指輪はあの“王位”! 人格破綻者の象徴ですよ!」
言葉が重なるほど、現実の認識が増幅される。
僕は思わず、喉の奥から叫んだ。
「お前の方が、何千倍も破綻してるわあ!」
僕は小さく溜め息を落とし、床の石の冷たさを感じながら立ち上がる。
その背中には、戦場の残滓ではなく、日常への回帰がひそかに漂っていた。
「王位の第一印象が悪かったのは分かる。
だが、だからといって、人を一色で染める必要はない。
孤独な者が歩み寄ったからといって、僕が盗人と呼んだことがあったか?」
「いえ。決してそんなことは……」
言葉の先に、カレンは一瞬躊躇する。
真実を知った時、どこか安心し、どこか驚き、頭の中が整理されていく様子が見える。
「だろう?
実際、アミナはお前を防衛魔術から救ってくれた。間違いなく命を守ったんだ」
「アミ……ナ?」
カレンは、記憶の奥底からその名をゆっくりと引きずり出す。
言葉にするたび、彼女の胸の中で理解と信頼が、静かに芽吹いていくのがわかる。
赤い瞳を見て、ひとつの結論に辿り着いたのだろう。
表情が徐々に解け、瞳に柔らかな光が戻っていく。
「アミナさん!?
【秩序の番人】の!」
――瞬間、僕とアミナは互いの目を鋭く見据えた。
やはり、カレンは僕だけでなく、千年前の臣下たちの記憶さえも、有している。
だが、彼女の口から発せられた名前は――
悠久の再会に胸を震わせるわけではなく、
まるで、英霊や偉人に初めて出会った時の、純粋な好奇心が瞳に宿っていた。
しばし思い出すような間を置いた後、カレンは再び口を開く。
「久しぶりじゃないですか!
現世でもお会いできたなんて、嬉しいです」
「は……はい。
ご事情はイズヒト様より伺っております。
私も再び、お二方に仕えることを、心より嬉しく思います」
跪いたアミナは、微かに歯を食いしばる。
怒りか、諦念か、虚無に近い感情か――
その微妙な力のバランスは、カレンの無垢で無邪気な笑顔によって、より際立つ。
僕もまた、似たような気持ちを胸に抱いていた。
――アーイシャは、アミナ・ビント・ヌリーヤという名を愛していた。
だから“光”に愛称を持たせ、彼女を『ヌリ』と呼んだ。
だが決して、一度たりとも、
『アミナさん』などと呼んだことはない。
カレンとは――誰だ。




