重ならない影【Ⅱ】
「アミナ……その言葉――
カレンはアーイシャではない、と、何を以て断じるのだ?」
問いかけは、刃物が静かに胸を裂くように響いた。
認めれば、カレンは――
本当に、最愛の人の面影だけを身にまとった、異形の存在になってしまう。
アミナは言葉を慎重に選ぶ。
その所作は、まるで壊れやすい器を扱うかのようで、僕の心をこれ以上傷つけまいとする配慮すら感じられた。
「イズヒト様、現世で王の転生を感じ取れたのは――
イズヒト様が死霊術を行われたその日、固有の魔術と魔力を感知できたからです」
魔力とは、使用者の意志と自然の力とを紡ぎ合わせた、不可視の指紋のようなもの。
熟達者の目には、誰が放った魔力か、その起源さえ特定できる。
変わり果てた僕であっても、カイス王としての印を見出せたのは、その力の痕跡ゆえだ。
アミナは静かに、しかし確信に満ちた声音で言葉を紡ぐ。
「私は、幼少より永き時を王宮に仕えました。
王がアーイシャ様を伴侶に迎えられて程なく、私は戦場で命を散らしました。
ですが、王妃の魔力は――今でも鮮明に覚えております」
額を伝う汗が、いやな熱を伴って背中まで流れる。
胸の奥が、冷たく、重く、締め付けられるようだ。
「イズヒト様。どうか――強い心を持ってお聞きください」
一瞬、世界の音が消えるような間。
その静寂に、言葉の重さだけが響く。
「召喚霊カレンが、魔術演舞で放った魔力――
あれは、紛れもなく、赤の他人のものです」
言葉は、釘のように胸に刺さった。
否応なく、僕の内面を抉る。
呼吸はわずかに止まり、思考のひとつひとつが、氷の層の下で凍りつく。
――カレンは、僕の最愛の人ではない。
その事実が、淡々と、しかし残酷に突きつけられた。
目眩が、ふわりと僕を包む。
「イズヒト様……!」
よろめいた肩を、アミナが静かに支える。
久しく感じていなかった、生者の温もり。
その温度が、胸の奥の凍った感覚に、小さなひび割れを入れる。
僕は、震える喉を意識しながら、ゆっくりと問う。
「赤の他人――ということは、確実に、過去に生きた誰か、ということだな?」
「……おそらくは」
答えは簡潔だ。だが、簡潔であることが、逆に重い。
「アーイシャの魔力を元に生まれた――独立した存在である可能性は、否定できるか?」
「感じられるのは、人工物の気配ではありません
死者の――魂です」
アミナの声は静かだが、揺るぎなかった。
「そうか」
――当然だろう。
僕の問いは、質問ではない。
確認だ。
過去の僕が行ったのは、死者を現世に召喚する――死霊術。
土人形や合成獣を生み出す、錬金術のような代物ではない。
魂を、意志を――
確かに、誰かをこの世に引き戻したのだ。
「飼育予定のなかったペットを、どうにかしたい――
無責任な飼い主になった気分だよ」
「そう例えられますと、イズヒト様を糾弾するしかなくなってしまいます」
――飼い主は責任を持ちましょう。
かつて、興味本位で百足の魔蟲に餌を与えた際、アミナに言われた言葉。
その後、王宮で百足の魔蟲を正式に飼うことになったのだ。
「……じゃあ、粘着ストーカー女を排除したい――これでいいか?」
「尽力致しましょう」
――全く。
相変わらず、秩序の番人は肩書きや名目といった言葉を、何よりも重んじるらしい。
ひとまず、現世において王位の階級を持つ彼女が力を貸してくれるなら――
カレンというヒロインの貌を被ったモンスターを抹殺するという目的も、現実味を帯びてくる。
「アミナがいれば、『救済聖書』が無くても、カレンを殺すことは出来そうだ」
「……なんですか、それは?」
「ああ。
死者すら殺せる魔術書らしい。
今日、ソウマとその情報を賭けて決闘していたんだよ」
アミナは、わずかに眉をひそめた。
――そんなものは存在しない。
あるいは、ソウマに虚偽を吹き込まれている。
もしそう断じられたなら、今すぐ引き返して、あの男を殴りに行く覚悟は出来ている。
「あの男が……そのような話を」
「嘘じゃ、ないよね?
あいつ、めちゃくちゃ強かったからさ。
出来れば、文句を言いに行く用事は増やしたくないんだけど」
「魔術書の存在の有無は、私には分かりません。
ですが、仮に『在る』とした場合――
カレン様を即座に殺すのは、早計かと存じます」
指先が、ぴくりと跳ねた。
これまでの話で、カレンがアーイシャではないことは明らかになった。
――つまり、王妃の名を騙る不届き者である。
アミナの職務、“秩序の番人”として裁くべき対象ではないのか。
すぐにでも首を跳ね、その愚かさを刻み込む。
それだけの事態ではないのか。
喉元まで、叱責の言葉が迫り上がる。
だが、飲み込む。
彼女が誠実な臣下であることを、僕が一番理解している。
感情に流されず、裁量で判断する――アミナの在り方を。
だからこそ、告げるべき言葉は、一つだけ。
「……聞こう」
「寛大な御心に感謝を――」
胸に手を当て、一礼する。
アミナは静かに、しかし確信を伴う声で言葉を紡ぎ続けた。
「カレン様は、イズヒト様が召喚なされた死霊です。
それも、アーイシャ様の魔力の断片を捧げて呼び出された――」
「ああ」
言葉に、思わず小さく頷く。
「死者は、召喚者の願いに応じて現れます。
あるいは、その魂に強い願いを抱く者か――。
カレン様が、アーイシャ様の意思を歪めてでも現れた怨霊なのか、
あるいは、千年前のアーイシャ様が現世のイズヒト様に用意した刺客なのか――
現状では、断定できません」
口調は淡々としている。
現状を整理し、事実を積み重ねるように。
だが、赤い瞳は裁定者のように、鋭く僕を射貫く。
「いずれにせよ、カレン様は計り知れぬ想いを抱え、現世に蘇った少女です」
一拍、間が落ちる。
「彼女には、この世で果たすべき、明確な目的があります」




