第9話 桜華亭からの誘い
この地域は米どころではない。奉納品は酒の方が多いだろう。生活用品はまだ川か行商人頼りのところがある。米がないのに米を納めないだろうと思ったが寺になると少しとは言え、普通の家庭ではたくさんだ。悪くさせるくらいなら処理を手伝ってやろうという算段だった。
「さすがに一升だろう」
どうせあっても一升程度なものだ。大袈裟に俵だというが、いくら寺とはいえ……。
「ここにある分は四俵だ」
「この辺りに米農家はいないだろう」
「物好きが米を供えた方が嫁を探すのに熱心になるだろうと世話を焼くのさ。男一人に四俵は荷が重い」
嫌な予感が背中を這い出した。
「二俵分けてやる」
「大人二人分だ。それを運べてか」
「おふくろと親父に」
「病み上がりの老人に米を運べとは言えない」
「荷車なら貸してやる」
さっさと出ていけ、表まで一緒に運んでやる。言われて椎名の母屋から本堂の横に押し出された。椎名が疲労困憊だから、強く出ることは出来ない。
元はと言えば、うちの出した品物が巡り巡って障ったのが原因だ。
「これで仕事は終わった。親父もおふくろも今日は泊めてやれない」
椎名は本堂の前に米二俵を放り出し、両親に帰ってくれと言い切った。
「夕食はどうするの」
さっきあんなに落差を経験したのに椎名の飯を用意する気になったらしい。気分が上がっているんだろう。
「今はとにかく寝たい」
椎名は言葉には出さないが懇願の姿勢だ。頼むから帰ってくれと言っている。そんな椎名の事情を知ってか知らずかおかみさんのスイッチは入ってしまっている。
「食事は作ってあげるわよ」
おかみさんは裏の母屋に入ろうとした。親父さんも「母さんのことは俺に任せて、お前は休め」と後ろに続こうとした。
「総悟の並びがうちだ。米をやって寄越した。お願いだ。総悟の家で休んで帰ってくれ。俺はもう寝る」
いい加減にしてくれと強い口調で言いきった椎名に親父さんとおかみさんはつれないと愚痴をこぼし、米俵を目に入れずにお互い支え合って、本堂を出て行った。
「総悟さん、鉦」
「軽いか」
「とても軽いです」
「当然だ。龍はもういないからね」
「だって鉦は」
「一夜でいなくなったよ。封印なんて考えられなかった」
「ではこれは」
「鉦はね、汚れたら磨くだろう」
「たくさん磨きました」
「至らなかったが、本当はその時の汚れを川に流すわけにいかなかったんだ」
汚れは人への障りをもたらすこともある。本当は流すわけにはいかなかった。残った障りは対処され鉦は旅立った。
「坂を下りて高谷にお礼を言っておくれ」
「分かりました。いらっしゃったらお伝えをします」
「頼んだよ」
下り坂を歩いて行く千を見送った。米俵か、台車に乗せはしてくれたが、下ろす時はどうしたらいいのか。そして、これの開け方はどういうものか。
俵のほどき方はおかみさんが知っているらしいので、任せた。これでも農家の出なのと張り切ったので、台所まで俵を転がした。俵の運搬は腰の弱い親父さんは役に立たない。店の番をしてもらうことにした。
昼間、暑さが厳しいので千には可哀そうなことをした駄賃をやってアイスクリームでも食べて来いと言ってやれば良かった。これもそうだ。あとはこっちにと言われて、おかみさんに台所は任せた。
番台に戻ると親父さんが上りかまちに腰かけていた。
「これ、郵便屋が書留」
真っ白の封筒に蝋で留めてある。こんな紋章見たことがない。住所も書かれていない怪しい封書だった。郵便に頼むくらいだから危ない物ではないと信じたい。
紙ナイフで開ける必要がありそうだ。確か番台の中に紙ナイフがあったはず。ガサゴソやっていると親父さんがまじまじと見つめて来た。
「総悟くん、えらいところから来た手紙だね。桜華亭だよ。ほら山崎の豪華な建物の」
山の手にある豪邸は知っていた。そう言えば、先代の帳簿にあった。それが先か。
「総悟くん、また立派な紙ナイフだね。これも桜華亭の物だよ」
転がり出た紙ナイフは桜の花をあしらった黒い色合いだった。ますます帳簿にありそうな関係性だ。ナイフで切って、中の文章を読んだ。
「ご無沙汰しております。みなさんが代替わりをされたと伺いました。この度、桜華会を開催致します。恐縮ですが会員にとっては義務でございます。山崎の桜華亭にてお待ち申し上げております」
黒いインクで明後日の日付と待ち合わせの場所が書かれていた。鉄道の駅に迎えが来るそうだ。高谷の車の方が早く着くし、京都への平日の朝の鉄道はかなり面倒だ。日が上がる前から歩いて向かうか。
一か月ならまだしも明後日とはなんとせわしない主人だ。出来ることは桜華亭に出した品のチェックくらいだ。帳簿を見ると彫刻の鶴と狐の置物と書いてある。桜華会ってのは一体どんな組織で何をするのか分からない。次のページを開こうとしたが剥がれない。飯粒でも挟んだのか。
その次のページには他の商店や個人に渡した品の数々でいくつかは椎名の家の書斎に入れてある。まさか全ての品を書斎に入れるわけにもいかないので、蒐集もいいところで止めないといけない。それに三十を過ぎると疲れが抜けにくい。
「総悟くん、寝ぼけているだろう。涙なんて流してそんなに不幸な夢だったのか。食事にしよう。お腹も減ったろう」
いくらおかみさんがご飯をよそってくれても夢心地だった。
「それほど夢に恋をしたのね」
「母さんそんな馬鹿なことはなかろうに」
「でもいいわね。涙を流せるほどの恋を夢で出来るなんて」




