第7話 本堂にて
「悪いね、総悟くん」
さっきよりは幾分元気になっている。鉦は汚れていてはならなかった。それでも言葉は絞り出して話している。頑張って話すなら回復に費やしてくれと思うが、職業人として聞きたいことがある。
千は脱がすのに苦労していた。結局、千は下がらせて、親父さんと話すことにした。
「構いはしないよ。親父さん、ところでどこに落ちていたんだい」
「川を見ていて、転がってきて」
そう言って、息も絶え絶えだった。
「箪笥の上にあったのでこれはおかしい」
途切れ途切れに話をしてくれたおかみさんが言葉をまとめるとそう言っていた。それでおかみさんが椎名に話をしたそうだ。
「親父さん、祀ればどうにかなるよ」
「もういい、十分に生きた」
声を出すのも辛い。これ以上の苦痛を味わいたくない。このまま死んでしまった方が苦しくない。そういう気持ちになっている。
「そうならないとは約束は出来ないが、出来るだけのことをさせておくれ八鹿もたくさん面倒をかけたろう」
「八鹿は。そうか、まだ」
眠気か意識か、目をつぶり言葉を発しなくなった。
「千、椎名だ。先に寺に行く途中で高谷に声を掛けてくれ。親父さんと、言えば分かる。早く」
紙を渡して、見送った。
「分かりました」
「あんた、あんた」
「おかみさん、破くよ」
返事を聞かずに上布を破った。左腕から胸にかけてのびる鱗の痕。心臓に近く時間の問題だ。
「あんた、あんた」
泣き声の混じった細い悲鳴だった。
「おかみさん、しっかりして聞いておくれ」
目に涙を浮かべて、狼狽するおかみさんの両肩をつかんだ。
「こっちを見て」
おかみさんは何度も涙をこぼしながら頷いた。
「時間がない、今から椎名の寺に行くよ。鉦は持つよ」
幸運なことに千が巾着を置いて行ってくれた。鉦は持てないほどではないが大きさにしては明らかに重く、きっと親父さんが死んだら一番重くなり、川に落とすことをこの鉦の龍は待っている。
鉦の龍は人の生気を吸って生きている。一度、吸うといくらかもつので龍は満腹で流れ出る運で人を助け、空腹になると流れ継いだ所で生気を吸い、子どもを成す。そう鉦は子孫を増やしていく。今は親父さんだ。
俺は親父さんを背負って、寺へ急いだ。警察署の前で、車が待っていた。黒くてエンジンをふかす警察が乗ることを許されている緊急の車だ。
「あの小僧いい仕事をするな。親父さんだろ」
高谷は降りて後ろの扉を開けてくれた。車に親父さんを押し込んでおかみさんも乗せた。俺はぎゅうぎゅうの車内に乗り込み車は道を走った。高田屋の車と違ってガタガタ揺れる車内は気にならなかった。
自分に何が出来るか、何をすべきかを一心に考えた。間違ってはいけない。ここで誤ってはいけないのだ。しだいに車は坂道を登り始めた。
「最近、入った新車だが、この坂は尋常じゃないな」
親父さんは階段だけではなく、この坂もダメになった。車でも苦労する坂、階段は上ることが出来なくなって膝を悪くした人間が勾配のキツイ坂を上ることが出来るはずがない。
「高谷ありがとう。十分だ」
「この車の開発者に文句を言ってやる。すまない」
俺は親父さんを車から出しおぶった。鉦はどんどん重くなる。死が近いのだろう。
寺が見えた頃、千が上から下りて来た。
「千、上出来だ。重いが巾着を持っておくれ」
千はふらりとよろけた。やはり持つと言いそうになったが、持てると目で言われたので、任せた。
「親父さんもう少しだ。大丈夫だ。これまでも暁月堂のいわくつきを大量に預かって、何の害もなかったんだから、どうにかなるよ」
背中で声か音か分からない物が聞こえた気がする。親父さんのいくらか重くなった体を背負い直した。千は巾着を持つにもやっとだった。背負う形でどうにか持って境内に入った。
椎名は白い袴を着て本堂の真ん中に座っていた。ここまでと指された所まで親父さんを運んだ。寝かせた後に千は椎名の前に鉦を置いた。
ろうそくが灯る堂内で椎名は明かりでぼうっと照らされていた。
「おふくろと後二人、本堂の扉を閉めておくれ。明日の朝にもう一度開けてくれ。親のことだ。出来る限りはする」
親父さんに追いすがるおかみさんを引き剝がし、本堂の外に引っ張り締め切った。心配で帰ることが出来ない、何か出来ることはないかい。そう動揺するおかみさんを見ていられなかった。
俺はおかみさんにうちの母屋に泊まっていきなよと言った。
おかみさん何かしようと台所をうろうろした。眠るが一番だと言って、蚊帳中の寝室に千と一緒に押し込んだ。
ろうそくの元、蔵から南総里見八犬伝を出し読んでいた。子ども用の書籍でもう一度読み進めようと思っていた。必要はなかったが、千の練習用に出したのだ。いい機会だったので、明け方まで読んでいた。蚊帳の方から二人の寝息が聞こえた時はおかみさんも図太いと思った。
五時、外も明るくなってきた頃、店の外に出た。東の空から太陽の光が差し、いつもこれくらい気温が低ければいいのに。じきにおかみさんも目を覚ますだろう。最初に番台に起きて来たのは千だった。
「もう少し寝ておいてもいいよ」
「おかみさんも私も居ても立っても居られない状況で」
「その割には二人とも寝息が聞こえたが」
気まずそうな表情に俺は千の頭をガシガシとなぜた。
「何をするのですか」
千は頭をおさえた。
「気分転換だ」
よく分からないという顔で自分の頭をペタペタ触っている。
「朝にしよう。後で裏の水路を案内する。丁稚になるなら覚えておいた方がいいだろう」




