第6話 龍の鉦
「誰だ」
「俺だ」
「なんだ、椎名か」
逃げることが出来るように浮かせた腰を下げた。疲れて眠っている千を見捨てることの前提での避難だというと椎名は怒るだろう。
「ちょっと困ったことになって、相談なのだが」
椎名に相談することは多いが、まさか相談されることになるとは思わなかった。椎名の顔色は悪く、何か問題があったと察した。そもそも母屋の土間に入って来ることが珍しい。良くないことが起こったのだ。
「物忘れか」
「あぁ、山向こうに回っているちんどん屋の鉦だ」
「その鉦はもうないだろう」
鉦は帳簿にあった。とある家貸しを斡旋している博打打ちから買い、大富豪に売った。巡り巡ってちんどん屋に行きつき、誰かに流れた。
「それが山根のばあさんの家に出た」
「ちんどん屋の鉦打ちは死に、ばあさんの金回りがよくなった。それがどうなった」
「うちの実家に出た」
明かりの中、険しい顔はちゃんと障りを知っていたからだろう。僧侶故、集まる噂は通常の人間より多い。奥から時計の針の音が聞こえた気がした。
「いつ出た?」
「いつの間にかあったが、確認出来たのは昨日だそうだ」
「川のあたりだったろう」
先代の親父さんは膝を悪くして、五年前に隠居になった。椎名は酒屋を辞めて二十三で修行を始め、二十八になった所で寺を継いだ。
親父さんは五十いくつ、まだ老け込む歳ではない。近所の子どもにコマを仕込み、椅子に座って夏は花火に興じているらしい。親父さんが住んでいる長屋は市場に近いという理由で親父さんが決めてきた。確かに市場は近いが、川が近くにあり、おかみさんは雨が降る度にやきもきしていると聞いたことがある。
「頼む」
椎名は頭を下げて、涙をこぼして頭を何度も下げた。椎名が泣く所なんて滅多に見ない。
椎名は私情を持ち込まないので、明日もあの寺で経を読むだろう。難しい件だが、力になってやりたい。
「鉦は何に障るのですか」
椎名が帰ってから、出る準備を始めた。小箱に筆記用具ハンケチといういつもの用意は絶対に必要だ。文字と同時に簡単に障りの話もした。俺の険しい顔で千は八鹿の物忘れだろうと察したということだ。
「龍は知っているか」
「伝説の生き物ですよね」
龍は水神として有名だ。雨の降らない土地に雨を降らせる。確か、椎名が持たせていた日本昔話に龍の話があったのか。
「あぁ、鉦は龍のような幸運を持って来る道具だ。雨が必要なら雨を、金が必要なら金を」
「幸運? ではなぜ障るのですか」
八鹿の先代が博打打ちから買った。さびてボロボロになった鉦を大富豪に売ってその大富豪が磨き上げたことから始まる。当時はそんな高価な物だと思わなかったのだろう。先代が気づいていたかどうかはもう当人が死んでいるので本当のことは分からない。
博打打ちは病に臥せて、金が必要だったが、その割には効きが悪かった。あれば富が巡るはずなのに来ない。
それを先代が買い、大富豪へ売った。大富豪は謂れを信じて、守り神として家に持ち帰った。すると富豪の家の資産がかなり増えた。それを知って自分も幸運にあやかりたいと思った別の富豪に鉦を売ると買った富豪の家は没落し、一家離散となった。
「それが謂れですか。その最初の大富豪は」
「今はもう大往生さ。次の持ち主に大切にされて、その次に不幸をもたらす不思議な鉦なんだ」
「そのボロボロの鉦をどうしてどうなったのですか」
「分からん。先代は調査をしたらしい。八鹿の先代の記録はボロボロの鉦は大往生した富豪から次の次までしか追跡出来ていない」
「椎名さんのご家族から祓えば大丈夫なのですよね」
「それは約束できない。同じ町に出たのが災難だ」
山根が町で評判になるほど金回りがよくなった。貧乏人が大金持ちで高級住宅地に家が建ったくらいだ。それほど良い方に働いたのなら、悪い方はもっと重かろう。
「そんなどうにか」
「抵抗はしようと思う。鉦を椎名の寺に祀る」
長屋の通りは表通りよりボコボコになって、しばらくこなかったせいか走り辛かった。
「暁月堂の総ちゃん」
おかみさんが待っていたかのように木戸の前に立っていた。椎名の寺でよく見たアジサイ色の薄手の着物を着ていた。
親父さんは元から坊主で禿げ頭をごまかそうとして、あの感じにしたと大きな内緒話を俺や高谷の前でしていた所に頭を木魚の棒で殴られたのをよく覚えている。
椎名も災難だが、経は三日で覚えさせられ、修行には五年かかった。宗派なんてどこでもいいと言われたことで普通なら三年で済む修行が五年になり、そういう苦労をした結果があの何か経を唱える何とかさんという所以だ。
檀家に「今日は秋刀魚と言っていたように聞こえたので、いい秋刀魚がねえか、明日魚屋に聞きに行こうかね」という話を長屋伝いの大家から聞き、アイツを呼び出し説教したと。
「いい塩梅にするのは構わないが、せめて檀家の前では僧侶になってくれ」
親父さんもこぼすならば、突貫工事で経を唱えるようにするなと思うのは椎名を弁護し過ぎか。
「親父さん、どんなだ」
床に臥せる仰向けの顔色は白く生気を感じなかった。
か細い声で普通なら死が近い、そういうことは考える物ではない。先代が世に出したのが悪い。その尻を拭かないといけない。
「見せておくれ」
「鉦かい」
そう言ったように思えた。
「あぁ、そうだ」
細い指は小さな棚の上を指した。すぐに力は抜けて、布団の上に落ちてしまう。ボロボロになった鉦が和紙に包まれていた。
「磨くことから始めよう。やすりでは障るだろう。裏の川で布を使って磨こう。千、行くぞ」
「はい総悟さん」
おかみさんに聞いて、古布を貰った。
長屋の裏が清流であることは幸運だった。見なくても分かる。もうじき、椎名の親父さんは死に至り、鉦また違う場所で幸福を呼び不幸をまき散らす。ひどい道具だ。勝手に憑いて勝手に障って勝手に去る。
「総悟さん。少しはきれいに」
「真っ黒なのが、少し消えてきたか。金色になるまで磨くぞ」
なんとかきれいに磨き終わり、長屋に戻った。
「千、親父さんの腕を見てくれ」
「分かりました総悟さん」
見送って、椎名の父親はどこで拾って来たのだろうと考えた。几帳面で欲はなく、親切な男だった。そんな男が鉦を持って帰ってどうにかしようとはしないだろう。そう思案した。




