第30話 高谷の実家の蔵
風呂から上がると須藤が来ていた。想像通り、ツマは首をつっていた。自殺の線で間違いないようだ。それといるはずの内藤という人物はいなかった。
下手人は内藤だろうというのが須藤の見立てだった。須藤は捜査本部を置いた大井夫妻の親戚の家が事件の現場になったことに驚いていたが、大井夫妻の姪が自分の婚姻相手だったという記憶はなかった。いるはずの女中や下男は事件の前に暇を出されていた。そのうち内藤さんのことを須藤は忘れて、内藤さんは主のいない屋敷で奉公し続けるのであろう。
夜に涼しくなったら蚊が出るというので蚊帳のある部屋で眠らせて貰った。訳あって文音と高谷と椎名以外の隣で眠れない身、千と一緒の部屋なら眠れそうにないと諦めていたが、千の大きな誤解のお陰があって、違う部屋で眠ることになった。朝日のまぶしさで久しぶりにちゃんと起きることが出来た。ぐーっと伸びをしていると千が庭に出て来た。
「おはよう」
千の表情は驚きに満ちていた。
「明日は大雪ですかね」
高谷にも言われた。思えば散々な言われようだが、心当たりがあるので抵抗しづらい。
「たまには人間として文化的最低限の生活をする時もあるんだ。そうだ、いい加減俺の話をする時にもじもじしたり、顔を赤らめたりするのは止めろ」
「自分の主は名誉あるものだから妻のように従えと前の奉公先で」
「今の雇い主は妻でなくてもいいと言っている」
「ならば何と」
「弟子だ」
千は口をパクパクさせた。
「弟子でいいのですか。使用人ではなく」
千にしてはトントン拍子に行き過ぎかなと思ったけど、相応の地位を与えることが互いの信用の糧になると踏んだ。
「そうだ。弟子だ。だから帰ったら勉強をしてもらう。最低限、帳簿の中を全部分かる程度にはな」
千は嬉しそうに飛びついた。油断していたので仰向けに倒れてしまった。腰を痛めたかとすぐにどいてもらおうとする。
「いやぁ、怪しいとは思っていたが千が主導だったとは子どもに押し倒されるのはどう映るか、もう少し考えた方がいいぞ」
高谷はカランと下駄の音を鳴らしながら、厠の方に向かって行った。
朝食でも高谷はうっかり舌鼓を打ち、おばあ様に勧誘されていた。確かに卵かけご飯は美味しかった。あの南山邸で食べた魚よりは絶対にこっちの方が美味しい。
さて、帰ろうかというタイミングで千はおばあさんに弁当を持たされた。この弁当を美味しいと思ったら、いつでも帰っておいでと高谷は何度も言われて気まずそうだった。汽車では高谷は眠り、京都で乗り換えた頃に元気になった。
後日、文音が訪れたタイミングで千を弟子にしたと伝えた。
「貧乏職に千ちゃんを巻き込むなんてとうとう落ちたわね」
そう言いながら、千の識字能力を褒めていた。
「先代の筆は汚くて読めた字ではないのにすごいわね」
椎名には南山邸の件を通しておいた。内藤さんには住所を伝えたので、そのうち手紙が来るかもしれない。砂の多さに椎名は困っていたが、後は専門職に任せよう。椎名のツテで他に紹介するかもしれない。
「文音さん、総悟さんがひどくて、他に弟子を取るって」
「まさかまた男」
「女の方が問題だろう」
男なのにそんな目で見るな。
「千ちゃんどんな子だった」
「親切そうで賢い人でした」
「ほだされ」
「違う」
「近所の物書きが男性同士の恋愛に詳しくて、この前アンタのことを話したら是非会いたいって」
「お断りだ」
「でもすごくいいのよ。面白くて」
文音は千に話し聞かせる。余計なことを刷り込まないで欲しい。
蔵を掃除していると冊子が目に入った。表紙には帳簿正本弐と記されていた。周作が来る前に何か事件があるかもしれない。西の空は暗く稲光が見えた。一雨来るだろう。雨は不運を連れて来る。ここ最近は特にいい印象がない。
「おーい、総悟いるか」
表から高谷の声がする。対応した文音は蔵の前に来た。
「頭の緩い親友がおでましよ」
稲光を見て今日は閉店にしようとしたのに迷惑なやつだ。応対すると厚かましく店に入って来た。
「実は実家の蔵から、おかしな物が出たらしくて」
聞けば最近、飯の火が中々出ないので、困っていると行商人を名乗る人間から草の籠を貰ったという。その行商人はただでやると言い、確かに火はうまくつくようになったが、同時に不審火も増えたらしく、大層困っているそうだ。そこで高谷の知り合いにそういう摩訶不思議な現象に詳しい骨董品屋がいると聞きつけて、ぜひ相談に乗ってくれないかとのことだった。
「その間の休業補償はどうなる」
高谷はキョトンとして。
「元から開ける気なんてないだろう」
そろそろ冷えた十一月。日差しも減り、一番好きな季節だ。
店の戸には一週間休業の紙を貼った。荷物は小箱に筆記用具ハンケチといういつもの用意を小箱にいれて、早朝うちの母屋を千と出た。駅には高谷がいるはずだったが、遠方に出張に出ることになり、高谷の相談なのに本人不在となった。
その代わりに高谷から聞いたのか周作が駅に立っていて、とても驚いた。
「なんで周作さんがいるんですか」
千の不満そうな声に俺は目をそらした。本来そうでないはずなのにどこか気まずさを覚えた。
「もう卒業に必要な単位は取っていますし、両親も就職先のことは知っておいた方がいいと」
いや、君に給金を払うつもりはないよ。言おうとして、目は千に向いた。
「お試しだよ」
ここで折れてくれればいいと思っただけ。
「卒業はできます」
高谷の郷里は千の郷里よりは都会だった。武家屋敷で市場もある。高谷の家も武家屋敷の一つだった。蔵はうちと同じくらいで母屋はうちより大きかった。
「あら、八鹿さん?」
門の中を覗き込んでいると奥から高谷の母親が割烹着姿で現れた。
「たいちゃんが言っていたのって、八鹿さん?」




