第16話 千、参ったね
「私の知る限り死人は出ていない」
俺に言わせようとしているが、主は呪物の効果を知っている。
「運んだ人は無事なの?」
「ご主人が持っていたのなら、障っているはずです。それがないということは適切な保存方法をご存じということです」
「私は何も知らない」
主のすました顔に広間は不安でいっぱいだった。
「誰かが持っているとでも言うのかよ」
「そんな怖い物、なんでちゃんと管理しないの」
稲生と美琴の言い分は分かる。ハンケチくらいの物なら探すのは容易ではない。
「もしくは使用人が嘘を言っているか」
「おい、お前出せよ。早く出せよ」
佐川は主の襟首を掴んだ。
「やめないか。女性相手に暴力をふるうなんて、何を考えている。今、ここで犯人を見つけても仕方ない」
鹿内氏の声は鋭く、怒気をはらんでいた。
「それはその通りです。もしかしたら上着のポケットに入れられている可能性もあります。見つけても絶対に触らないでください」
俺は忠告した。
「さわったら?」
二つの意味が込められている疑問だった。美琴も誰も受け入れてられていない、人を殺すような道具が誰かの手元にあるなんてことを。
何も言わずに首を横に振った。それだけで十分であった。
夕食まで混乱と疑念と不安が入り混じった空気だった。まさか人がいるところで特級呪物を置いていないだろうという希望を持って、全員が広間を出なかった。千も俺も部屋に戻ることはしなかった。千は広間で伸び伸びと過ごしていたいようだったが、俺は千にそばを離れないようにと言った。なんと肝が据わっているようだこと。
「本当にその将門の唐衣って道具があるのですか?」
千は小声で尋ねて来た。
「ないことを祈るばかりだ」
小声で答えた。
「扱ったことがあるのですか?」
「ない」
「あの主は気に食わない。まるで料理をされている気分だ」
佐川は目に見えて不機嫌をこぼした。
「あの歳でこの屋敷を継いだなら事情があるはずです」
先ほどの乱心はどこへやら追い詰められたところになると鹿内氏は冷静だ。人を慈しむ心もある。
「さて、我々はまな板の鯉ってところか」
稲生はため息をついて、ほとほと困っている。殺されるとは考えていないが、どうしたらいいのか分からないと顔が言っている。
「あなた骨董屋でしょう。なんとか出来ないの?」
美琴の剣をつくような話し方に対しても俺は扱っていないから分からない。さっきの小声の会話を拾う余裕は美琴にはない。
「とにかく見つけ次第、ここに持ってきてください」
そんな価値のある物を出すか。そんなことを考える輩もいるだろうと様子を伺うが、そんな様子は見受けられない。本当に誰も持っていないのか。もしくはそれが本当に唐衣であることを分かっていないのか。
食事の時にはいずれかの使用人がつく仕様らしい。今回は年若の男性だった。昼と違って主も着席していた。精がつくという意図があったのか。鰻重だった。もう吹っ切れたので美味であったが、他の面々は考える余裕はないようだ。千ですら不安だと顔が語っている。今のところ誰にも障っていない。明日、誰も死んでいなかったら将門の唐衣はここにはない証明になる。
「みんなともかく食事を済ませよう」
鹿内氏の冗談に大袈裟に笑う佐川に、誰が生き残るかとおどける稲生、最近買った土地の話をする美琴。千は戸惑いこちらを見ている。唐衣は殺すだけで例えば人の存在を消すわけではない。死を生んだことは第三者に記憶を植え付けるし、社会的に死を明示される。心臓発作などの不審死扱いでだ。
「主さん、忘れていることがある。なんで俺たちはここに呼ばれた」
稲生の疑問に賛同できる。桜華会というものの目的はここにいる誰もが分かっていない。
「そうだよ。先代って美琴ちゃんに言っていたじゃないか」
佐川はいつの間にか美琴をちゃんつけで呼んでいる。
「それを知らずにのこのこと来たのですか。皆さんの先代が桜華会に入られていました。関西の名家しか入れぬ集まりです」
主はナフキンで口を拭って、答えた。美琴は親が代議士で稲生も鹿内氏も似たようなもんだろう。ただうちは普通の骨董古書店だ。佐川の博打打ちではないが暁月堂も名家に入るのかは甚だしく疑問だ。主は続けた。
「元は大きな商家の会です。それが骨董屋さんや議員さんに庄屋から変わった博打打ちさんと方向を変えてしまって今がございます」
博打打ちさんと呼ばれた佐川は少し気まずそうだ。
「その集まりってわけか」
稲生の言葉にみなは納得がいっていないことを表しているようだ。俺だってそうだ。平日に呼ばれてお弁当と鰻ではなんとも言えない。主は歯を見せて笑って見えた。誰も見ていないようで主はまた微笑んで見える。罠にかかった獲物を見るようで寒気がした。
「唐衣が見つかればなんともありません。誰かの陰謀によって切り刻まれていないならすぐに見つかるでしょう」
そんなことをしても死に至るだろう。あれはそういう呪物だ。
「それでは皆さん、明日の朝食にお会いしましょう。お風呂の順番は皆さんで決めてください。おやすみなさい」
俺は千と入るからと宣言した。他の男性陣は三人で入ることにしたらしい。千がいて良かった。佐川と稲生の背に龍や仏の絵が入っていたら目のやり場に困っただろう。
風呂は広く大人二人でも余裕があった。後でいいと言ったが風呂に入るのに人間性が出るというのは本当だ。あちこちに泡が残り、桶は様々に散らかっていた。前に入っていた鹿内氏たちはよほどずぼらなのか。天は二物を与えず、鹿内氏にコミュニケーション能力を与えて、基本的なルールは与えなかった。神様もおかしなことをするものだ。
「千、参ったね」
千の方を見ると姿は湯船のふちにいた。指先で水面をつついて、感心している。いくら浴室で洗っていても豪邸の風呂には敵わないと知ってもやはり恥ずかしいものだ。冬でも水浴びならこの反応も仕方ないのか。




