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ウロボロスの心臓を撃ち抜けば 〜三色の悪魔と私の永劫回帰〜  作者: ふらう
第一章【灰色の不変編】冷徹な信頼と、最初の喪失
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■1■02:灰色のアンカー

 白い法衣の監視員――『組織』の襲撃から命からがら逃げ延びた私たちは、スラムのさらに奥深く、廃ビル群の地下にあるアジトへと身を潜めていた。

 剥き出しのコンクリート、湿った空気、そしてカビの匂い。部屋の隅で、壊れかけのラジオが雑音混じりのノイズを小さく吐き出している。

 ここが、私と灰色の悪魔「サチ」の共同生活の場だった。

「……ほら。服の替え」

 無造作に投げつけられたのは、少しサイズの大ぶりな、色褪せたシャツとズボン。

 受け止めて顔を上げると、サチは部屋の唯一の光源である裸電球の下で、古びたパイプ椅子に深く腰掛けていた。

 サチの容姿は、普段はごく普通の「くすんだ灰色の髪の青年」だ。しかし今、彼の身体には異変が起きていた。

 ピキ、ピキ、と皮膚が引き攣る不気味な音が静寂に響く。

 彼の頬の肉が内側から押し裂かれるように歪み、そこから覗く歯が、細かく鋭い『牙』へと変貌していく。それは一本ずつ独立したものではなく、まるで歯ブラシの毛のようにびっしりと敷き詰められ、土台ごと融合したトカゲのあぎとそのものだった。

 さらに、彼のくすんだ灰色の瞳から色彩が完全に消え去る。白眼も硝子体もすべてが漆黒に染まり、底の抜けた闇のような「瞳のない黒い目」が私をじっと見つめていた。

「……見るな」

 サチは低く、地を這うような声で言った。それは人間の声帯から発せられたとは思えない、複数の生き物の声が重なったような、悍ましい残響を帯びていた。

「悪魔化の狂気」が、彼を内側から蝕んでいるのだ。

 不老不死という自然の摂理に反した呪い。傷つけば一瞬で再生し、病にも侵されない無敵の肉体。しかし、人間の精神はその『永遠』の重みに耐えられるようにはできていない。時間が経てば経つほど、人間の記憶と理性は摩耗し、本能と破壊衝動に満ちた「トカゲの化け物」へと退行していく。

 サチは今、その狂気の淵で、必死に踏みとどまっていた。

「見ないよ。……まだ戻りそう?」

 私は動じず、手渡されたシャツに着替えながら淡々と問いかける。

 普通の人間の少女なら、目の前の異形に恐怖し、悲鳴を上げて逃げ出すだろう。だが、私に恐怖の感情はない。私の心臓は、今もサチの肋骨の奥で脈打っているからだ。

「戻す。……今、戻して見せる……っ」

 サチは両手で顔を覆い、狂ったように頭を振った。

 彼の背後の影から、ボロボロに傷ついた灰色の狼の四肢が不随意に膨れ上がり、床を激しく引っ掻く。コンクリートに深い爪痕が刻まれ、火花が散る。

 彼が狂気に呑まれまいと必死に縋りついている命綱――それは、私への「戦友としての信頼」だった。

「ワタシは、悪魔じゃない……」

 サチは指の隙間から、黒く塗りつぶされた目で私を睨みつけるように凝視する。

「ワタシは元人間だ。サチという名がある。……キミを守るという『契約』がある。キミがワタシの力を必要とし、ワタシを戦友として信頼している限り……ワタシの理性のアンカーは外れない……!」

 がちがちと、融合した牙が鳴り響く。

 私は着替えを終えると、サチの目の前まで歩み寄り、その異形の手を迷わず握った。冷たく、人間の体温を失いかけた皮膚の感触。

「サチ。私はあなたを信じてるよ。あなたがいないと、私はあの白い神父に殺される。私の盾になって」

 その言葉は、およそ人間らしい温かみに欠けた、ひどく打算的で冷徹なものだった。

 私は彼を愛していない。彼を憐れんでもいない。ただ、自分の生存のために、彼の圧倒的な武力と不老不死のシステムを利用しているだけだ。

 しかし、サチにとっては、その「冷徹なまでの必要性」こそが至上の救いだった。

 悪魔に『心(愛情)』を渡せば、人間も悪魔の狂気を共有し、共に世界の理から消滅する。だが、私が頑なに心を閉ざし、純粋な『信頼関係ビジネス』の距離を保ち続けるからこそ、サチは「守るべき対象を持つ人間」としての自分を保っていられるのだ。

「……ふう、うっ……あ、ああ……」

 サチの荒い呼吸が、次第に落ち着きを取り戻していく。

 融合していた牙が一本の歯へと解け、頬の裂傷が塞がっていく。闇に染まっていた目は、ゆっくりと元のくすんだ灰色の瞳へと戻っていった。

 やがて、サチは完全に人間の青年の姿を取り戻し、椅子の背もたれにぐったりと体重を預けた。額には大量の脂汗が浮かんでいる。

「……助かった。また繋ぎ止められた」

「お疲れ様。はい、水」

「すまない」

 サチは受け取ったコップの水を一気に飲み干すと、ふっと自嘲気味に笑った。

「歪な関係だね、ワタシたちは。キミはワタシに一切の好意を持たず、ワタシもキミを愛してはいない。だが、この世界で誰よりも互いを必要とし、信頼し合っている」

「最高に合理的でしょ。下らない恋愛感情で契約がブレるより、ずっといい」

 私の言葉に、サチは「それもそうだ」と、いつもの乾いた笑みを返した。

 私たちはこうして、いつ終わるとも知れない終わりを先延ばしにしながら、奇妙な平穏を貪っている。サチは私の絶対的な生存の盾であり、私はサチの人間性を繋ぎ止める灰色のアンカー。

 けれど、アジトの地下にまで微かに響く、地上を巡回する『組織』の足音が、その平穏が残り少ないものであることを無慈悲に告げていた。


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