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ウロボロスの心臓を撃ち抜けば 〜三色の悪魔と私の永劫回帰〜  作者: ふらう
第一章【灰色の不変編】冷徹な信頼と、最初の喪失
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■1■01:頭を吹き飛ばされた日


 薄暗い路地裏は、いつも錆びた鉄と、行き場を失った生ゴミの腐敗臭が混ざり合った匂いがする。

ここ『九聖区きゅうせいく』のスラムにおいて、命の価値は一発の銃弾よりも軽い。泥水をすすり、明日の配給を奪い合う人間たちにとって、他人の死など日常の背景に過ぎなかった。

カツン、と私の安物のブーツが、ぬかるんだ地面を鳴らす。

背後から、荒い足音が近づいてくるのには気づいていた。人数は三人。どれも薬物か飢えで血走った目をした、この界隈のありふれた暴漢だ。

「おい、そこの女。身ぐるみを置いていきな」

ひび割れた声が響く。私は足を止めず、ただ小さく息を吐いた。無視されたことに激昂したのだろう。安全装置を外す金属音が、やけに明瞭に鼓膜を震わせる。

「耳が聞こえねえのかって言ってんだよ!」

――ドン、と。

凄まじい破裂音が、狭い路地裏に木霊した。

火薬の爆発。直後、私の後頭部に強烈な衝撃が走る。

肉が弾け、骨が砕け、視界が真っ赤な飛沫で染まった。脳漿と血がコンクリートの壁に派手にぶちまけられる。衝撃に突き動かされるように、私の身体は前のめりに地面へと倒れ込んだ。

「ひゅー、一発だ。おい、早く懐を漁れ」

「待てよ、頭をぶっ飛ばしたんだ。服が血塗れで売り物になんねえぞ」

下卑た笑い声が近づいてくる。彼らの視点から見れば、私はただの「新鮮な死体」だった。

けれど。

ピクリ、と私の指先が動いた。

「……あ?」

泥に塗れた視界の端で、男の一人が硬直するのが分かった。

私はゆっくりと両手を地面につき、上半身を起こす。首を傾げると、砕けたはずの頭蓋骨がギチギチと不気味な音を立てて噛み合い、弾け飛んだ肉と皮膚が、まるで時間を巻き戻すかのように急速に再生していく。

衣服にべっとりと付着した赤黒い血だけが、今しがた起きた致命傷の痕跡だった。

「な、なんだよそれ……化け物、か……!?」

男たちが引き攣った悲鳴を上げ、数歩後ずさる。

私は立ち上がり、衣服についた泥を軽く払った。痛みは、ない。恐怖も、ない。

なぜなら、私にはもう――恐怖を感じるための『心臓』が、この胸の中に存在しないからだ。

私の心臓は、今、ここにはない。

「……遅い」

私がぽつりと呟いた瞬間。

男たちの背後の影が、ぐにゃりと歪んだ。

「すまない。少々、取り込み中だったんだ」

低く、ひび割れた声が路地裏の空気を一瞬で凍りつかせる。

影の中から現れたのは、くすんだ灰色の髪をした青年だった。仕立ての悪い、汚れの目立つ灰色のコートを羽織っている。一見すれば、スラムの住人にしか見えない。

だが、その瞳は尋常ではなかった。白眼の部分が濁った灰色に染まり、視線の焦点がどこか合っていない。

灰色の悪魔、サチ。

「ひっ、悪魔、悪魔が出たぞ――!」

暴漢たちが再度銃を構えようとしたが、それよりもサチの動きの方が圧倒的に速かった。

サチが軽く手を振るった瞬間、彼の背後から、実体化した影のような『狼の四肢』が膨れ上がり、暴漢たちを壁ごと薙ぎ払う。凄まじい破壊音と共に、男たちは悲鳴を上げる暇もなく昏倒し、動かなくなった。

サチは一瞥もくれず、私の方へと歩み寄ってくる。

「頭をやられた?」

「うん。一発綺麗に。おかげで服が台無し」

「服の替えならアジトにある」

サチが自分の胸元に手を当てる。

彼の衣服の奥、その肋骨の檻の中で心臓が拍動している。私の『心臓』だ。

悪魔が契約者の心臓を保管している限り、契約者はどれだけ肉体を損壊させられても死なない。頭を吹き飛ばされようが、心臓が別個処にある限り、肉体は無限に再生する。

「問題ない。サチの方こそ、大丈夫? 顔、出てる」

私の指摘に、サチは自嘲気密に口元を歪めた。

彼の頬の皮膚が裂け、そこから覗く歯は、まるで歯ブラシのように細かく鋭い牙がびっしりと融合した、トカゲのような異形のあぎとに変わりかけていた。目は完全に黒く塗りつぶされ、瞳孔が存在しない。

「悪魔化」と呼ばれる、不老不死の呪い。

自然の摂理から完全に外れ、神の秩序を愚弄するその状態に、普通の人間は耐えられない。精神が永遠の肉体に耐えきれず、やがて狂い、異形へと成り果てる。だからサチは、私と『契約』した。

これが、不老不死の呪いに精神を蝕まれつつある、悪魔の『真の姿』の一端。

サチは深く息を吐き、手で顔を覆うと、人間の青年の皮肉げな表情へと無理やり肉体を戻した。

「……まだ、大丈夫だ。キミとの『信頼ビジネス』が、ワタシの理性を繋ぎ止めている。キミがワタシを頼る限り、ワタシはまだ、人間の思考を手放さずにいられる」

サチの言葉に、私は何も答えない。

彼が私を守るのは、愛しているからではない。私という人間に心臓を預けられ、頼られることで、かろうじて自分が「元人間」であるという記憶のアンカーを下ろしているに過ぎない。

私にとっても、サチは絶対的な生存の盾だ。そこに恋愛感情のような甘いものは一切ない。ただの冷徹な契約と、完璧な信頼関係。

「行こう。ここに長居するのは得策じゃない」

サチが身を翻した、その時だった。

上空から、バサバサと不自然な鳥の羽ばたきのような音が聞こえた。

見上げれば、スラムの汚れた大気の向こう、崩れかけたビルの屋上に、ひときわ異質な人影が佇んでいる。

汚れひとつない、純白の法衣。

その男は、穏やかな、しかし凍りつくような笑みを浮かべて、じっと私たちを見下ろしていた。

男の隣には、大きな動物の被り物を被った奇妙な少女と、禍々しい赤色の霧を纏ったもう一匹の悪魔が控えている。

「――『組織』の監視員。元神父か」

サチの声が、これまでになく低く、警戒に満ちたものに変貌する。

白衣の男は、胸の前で優雅に十字を切ると、声に微かな憐れみを込めて呟いた。その声は、なぜか遠く離れた私たちの耳元へ、明瞭に届く。

「神の秩序に反した哀れな迷い子たちよ。不自然な不死は、世界のために淘汰されねばならない。……また、お前たちの季節がやってきたのだな」

男の瞳が、冷徹な光を放つ。

私とサチを捉えるその視線は、まるで逃れられぬ運命の檻のようだった。

ウロボロスの環が、静かに、しかし確実に回り始めようとしていた。


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