第四話 病室で会う推しは、思ったより静かだった
病院へ向かう電車の中で、俺は切り抜き動画を開いていた。
見ない方がいい気もした。気もしたが、病室へ行く前に一度、いつものカリンを頭に入れておきたかった。
スマホの中のカリンは、やっぱりよく喋る。
『いけるいける、このくらいなら余裕!』
『あ、そこ罠です! 踏むと笑えないやつ!』
声が軽い。明るい。テンポがいい。
コメント欄が荒れかけても、気づいたら流れが戻ってる。
そして、やっぱり声が可愛いんだよな、と思う。
俗っぽい自覚はある。
でも、好きだったのだから仕方ない。
そのカリンが、今朝は血だらけで転がり出てきて、最後にはあんな声で助けを求めた。
切り抜きを閉じても、耳に残るのは配信の明るい声の方ではなかった。
病院は駅から少し歩いた先にあった。
総合受付で病室番号を伝えると、面会時間ぎりぎりですねと事務的に返された。
ぎりぎりだろうが何だろうが、呼ばれてきたらこの時間なんだから仕方ないだろう。
そう思いながらエレベーターを降りて、指定された病室の前まで来る。
ノックをしかけて、一度止まる。
ここまで来たのに、今さら少しだけ帰りたくなった。
朝たまたま現場にいて、夜たまたまSDカードを見て、で、次は病院。
けれど、帰ったところで寝覚めが悪いのは分かりきっている。
俺は小さく息を吐いて、二回ノックした。
「どうぞ」
聞こえてきた声に、少しだけ面食らった。
低い。
というより、配信で聞いていた声より、ずっと穏やかだった。
病室に入る。
カリンはベッドの上で上体を起こしていた。
病衣。包帯。点滴。髪は後ろで一つにまとめられていて、化粧もしていない。顔色はまだ白い。
それでも、今朝よりはずっと生きている顔をしていた。
画面の中で見てたカリンちゃんとは、だいぶ違った。
「……来ましたけど」
言ってから、もう少しましな第一声はなかったのかと思った。
だが、カリンは少しだけ口元を緩めた。
「来てくれると思ってました」
配信の時みたいに弾んだ声ではない。
でも、暗いわけでもなかった。
ただ、余計な愛想は出していない。
「今朝は助けてくれて、ありがとうございました」
「いや、まあ……たまたまそこにいたんで」
「それでも、最初に来てくれたのは相原さんでした」
名前を呼ばれて、少しだけ変な感じがした。
「……なんで知ってるんですか」
カリンはそこで、ほんの少しだけ悪戯っぽく笑った。
「配信者特権ってやつです」
たぶん、申請書か何かを見たんだろう。
でも、そう言われると、こう、来るものがある。
推しに名前を呼ばれるのは普通に困る。
近いし、静かだし。自分の心臓の音が煩い。
「SD、見ましたよね」
カリンはそう言って、俺の顔を真っすぐ見た。
配信の時より視線が強い。
画面越しより、ずっと強かった。
「……見ました」
「なら、話は早いです」
カリンはそこで一度だけ目を伏せた。
少し迷ったようだったが、静かな声で続ける。
「暴いてほしいんじゃないんです」
ゆっくりとした声だった。
「ただ、あそこから抜けたい」
本心なんだろう。
まず逃げたい。\n\n それだけは伝わってくる。
「契約、ですか」
「はい。正確には、事務所とスポンサーと、探索者ギルド経由の案件契約です」
嫌な単語が多い。\n\n それだけで、もう帰りたくなる。
「今朝の配信も、本当は断るつもりでした。でも、違約金と、次の案件の違約条項を盾にされて」
「それで、あの格好で?」
「見栄えがいいから、だそうです」
カリンはそこで、初めて少しだけ口元を歪めた。
「索敵も罠解除も、私が一番安定してるんです。だから前に出される。それ自体は別にいいんですけど」
「薬抜くのは違うだろ」
思ったより先に口が出た。
カリンは一瞬だけ目を丸くして、それから、少しだけ肩の力を抜いた。
「そうなんですよ」
その一言で、病室の空気が少し緩んだ。
でも、話の中身は全然ゆるくない。
「あれで全部じゃないです」
カリンはベッド脇の棚を指した。
そこにはスマホと、小さなメモ帳、それから封筒が一つ置かれていた。
「まだあります。録音も、契約書の控えも。全部じゃないですけど、何もないよりはましなやつが」
「なんでそんなの、俺に」
「今朝、ちゃんとしてたの、相原さんくらいでした」
少しだけ間を置いて、カリンが付け足す。
「少なくとも、あの場では」
「他の人、みんな自分のことで手一杯だったし。スタッフは固まってたし、視聴者は撮ってたし」
「いや、俺だって別にまともじゃ……」
カリンは少しだけ視線を逸らして、続ける。
「少なくとも、あの場で最初にしゃがんだのは相原さんでした」
正面から言われるとやっぱり、困る。
俺は視線を病室の隅に逃がした。白い壁。空の簡易棚。意味もなく整っている点滴のチューブ。
「……で」
ようやくそれだけ言う。
「で?」
「俺、何すればいいんですか」
格好つけるつもりはなかった。
助けます、なんて大きいことを言う気もない。
でも、ここまで聞いて帰るのも気分が悪い。
カリンは俺を見て、それからベッド脇の封筒を取った。
「次の案件、明後日なんです」
嫌な予感しかしない言い方だった。
「本当は、今朝の件で一回止まるはずなんですけど」
「止まらない?」
「止める気がないんでしょうね」
封筒の中から、印刷された予定表が出てくる。
日付、場所、スポンサー名。見覚えのあるロゴ。今朝の動画に映っていた箱と同じマークだった。
「次は、新人の子なんです」
カリンの声は静かだった。
「私より、ずっと経験が浅いです」
帰るなら今だろ、と頭のどこかが言った。
でも、その声は思ったより弱かった。
「……私だけじゃ、守り切れないと思います」
その一言で、喉の奥が少し詰まった。
「……明後日、どこに行けばいいんですか」
無意識に出た言葉だった。
まあいいか。有給なら、どうせまだ残ってる。
カリンはそこで、ようやく少しだけ配信の時に近い笑い方をした。
ほんの少しだけ、だったけれど。
「うん。よろしくね」




