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幹事スキルで、修羅場も段取りできますか?  作者: tomato.nit


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19/22

第十九話 何も起きなかったので

 翌日の午後、制作会社の会議室へ呼ばれた。


 窓のない部屋だった。


 白い机の中央に、施設管理側から届いた報告書が置かれている。表紙の隅には受領印が押され、その横に付箋が何枚か貼られていた。


 参加者は俺とカリン、久世。カリンのマネージャーと、昨日同行していた撮影スタッフもいる。


 久世が報告書をめくった。


「無許可の誘導具が一本。設置者は不明。大型反応との因果関係も確認できず、か」


 紙を繰る音だけが、やけに大きく聞こえる。


「大型反応が第二通路へ向かっていたのは事実です」


 久世の指が止まった。


「でも、来なかった」


「封鎖した後ですから」


「封鎖しなくても来なかったかもしれないよね」


 報告書が閉じられた。


 久世は表紙を指先で軽く叩く。


「施設管理側の見落とし、という整理でいいんじゃない?」


「管理側の設置物ではありません。使用申請も出ていなかったそうです」


「だから、勝手に置かれたものを見つけられなかったんでしょ」


 久世は椅子へ背を預けた。


「管理できてなかったってことじゃん」


 撮影スタッフの前に置かれた紙コップが、空調の風でかすかに震えていた。


 本人は机へ目を落としたまま、何も言わない。


「映像は残っています」


 声を向けると、スタッフが顔を上げた。


「杭と、施設側の人が説明しているところも撮れていましたよね」


「はい。残っています」


 久世は頷いた。


「じゃあ、素材は会社のサーバーに上げておいて。撮影データだから、外には出さないように」


 スタッフが一瞬だけこちらを見てから、短く返事をした。


 削除する必要はない。


 会社の中へ収めればいい。


「相原さんの写真も、業務中に撮ったものだよね」


 今度は俺へ視線が向く。


「状況を記録するためです」


「分かってるよ。責めてるわけじゃない」


 久世の笑顔は変わらなかった。


「契約書に、業務上取得したデータの持ち出し禁止ってあったでしょ。念のため確認しただけ」


 返事を待つような間ではなかった。


 久世は報告書を脇へ寄せ、手を組んだ。


「危険を見つけたこと自体は問題ないんだよ。ただ、その場で撮影中止まで話を進められると困る」


「中止を決めたのは施設管理側です」


「そうだね」


 あっさり認めたあと、久世の視線が隣へ移った。


「相原さんを下見へ連れてきたのは、カリンちゃんだよね」


 カリンのマネージャーが、揃えていた書類から一枚を抜いた。


「今回の経緯を確認します」


 ペン先を紙の上へ置く。


「カリンさんが予定変更に不安を感じ、相原さんへ安全確認を依頼した。その確認中に施設側へ封鎖を要請し、撮影予定が変更された。こちらの認識で相違ありませんか」


「違います」


 椅子から身を起こす。


「杭を見つけたのも、封鎖を求めたのも俺です。カリンさんから頼まれたのは、下見への同行だけで――」


「はい」


 カリンの声が重なった。


 横を見る。


 カリンは膝の上で両手を組み、マネージャーを見ていた。


「私が、安全確認をお願いしました」


「封鎖までは頼まれていません」


「相原さんには、私から現場を確認してほしいと頼みました」


 こちらへは目を向けない。


 マネージャーのペンが、紙の上を走った。


「では、カリンさん側からの要望による予定変更として処理します」


「何の処理ですか」


「スポンサーへの説明だよ」


 久世が答えた。


「撮影が止まれば、人も機材も組み直しになる。今回は下見だったからまだ調整できたけど、本番で同じことをされたら困るんだ」


「本番で誘導具が見つかっても、続けるんですか」


「状況を見て判断するよ」


「誰がですか」


「俺が」


 迷いのない声だった。


 以前と同じ答えだ。


 久世はカリンへ向き直った。


「次からは、現場を混乱させないようにしてね」


「はい」


「また撮影が止まるようなら、契約に沿った対応になる。スポンサーにも、毎回説明できるわけじゃないから」


 違約金という言葉は出なかった。


 カリンの親指が、反対の手の甲を一度だけ強く押した。


「じゃあ、次の進行を確認しようか」


 久世が新しい進行表を配った。


「第二通路は使わない。代わりに第三通路へ変更する」


 地図を開く。


 昨日調べた区画とは反対側だった。第一通路より奥にあり、入口脇の救護区画からも遠い。曲がり角が二つ挟まり、担架を通すには幅も狭い。


「下見はいつですか」


「前日の午後」


「機材配置まで含めたら、安全確認が間に合いません」


 久世は少し眉を上げた。


「だから相原さんに入ってもらってるんでしょ」


 本当に話が通じていない時の顔だった。


「何か起きても、撮影を止めずに済むように回してよ」


 会社を出ると、カリンは駅とは反対方向へ歩き始めた。


 帽子を深く被り、人の流れから外れるように歩道の端へ寄っていく。


「カリンさん」


 追いついて隣へ並ぶ。


「さっきの話、俺が決めたことです」


「分かっています」


「なら、カリンさんの要望として処理させる必要はなかったでしょう」


 カリンは足を止めなかった。


「相原さんの契約、切られますよ」


「それで済むなら構いません」


「済まないかもしれないから言ってるんです」


 交差点の信号が赤に変わり、二人の前を車が流れていく。


 カリンはそこで足を止めた。


「次の現場には来ないでください」


「何を言ってるんですか」


「相原さんが何かを止めるたびに、私が止めたことにされます」


「それは向こうが勝手に――」


「次は、相原さんにも何かされるかもしれない」


 通り過ぎたトラックの風が、帽子のつばを揺らした。


 昨日の暗い通路が浮かぶ。


 壁へ打ち込まれた杭。


 床を伝って近づいてきた音。


 報告書には、因果関係不明と書かれていた。


「だから行かない、という話にはならないでしょう」


 カリンがようやくこちらを見た。


「俺が行かなかったら、誰が止めるんですか」


 信号が青に変わる。


 周囲の人間が一斉に歩き出したが、カリンだけは動かなかった。


 しばらくして、帽子の下から息が漏れた。


「止める人なんて、最初からいないんです」


 声は静かだった。


「いたら、私は相原さんに頼んでません」


 カリンは横断歩道を渡り始めた。


 追いかけようとして、足が動かなかった。


 人の背中がいくつも間へ入り、帽子の影が遠ざかっていく。


 昨日、誰も怪我をしなかった。


 その代わり、会議室の書類には、杭を置いた人間ではなく、カリンの名前が増えた。


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