第十八話 予定にない杭
本番二日前、変更された第二通路の下見に入った。
同行するのは俺とカリン、撮影スタッフが一人。それに、施設管理側の案内員だ。久世はスポンサーとの打ち合わせがあるらしく、現場には来ていない。
「昨日のところより、だいぶ狭いですね」
先を歩くカリンの声が、低い天井にぶつかって戻ってくる。
通路の両側には、営業していた頃の看板や、外されないまま錆びた配管が残っていた。二人並べば肩が触れそうな場所もあるうえ、曲がり角が多い。入口から十メートルも進めば、後ろにいる人間の姿は見えなくなった。
撮影スタッフが照明を持ち上げ、天井から垂れた金具にぶつけかける。
「ここ、機材まで入れますかね」
「入れるだけなら」
俺は通路の幅を測りながら答えた。
「ただ、誰かが倒れた時に避ける場所がありません」
スタッフが照明を胸の高さまで下げた。
通信機から、砂を擦るような音が流れる。
「この辺り、電波が弱いんですか」
案内員が手元の端末を確認した。
「中央付近だけ乱れます。もう少し先へ行けば戻りますが、完全に切れることもあります」
地図の該当箇所に印をつける。
入口に置いた救護班から距離があり、退路は今歩いてきた一本だけ。機材が入れば、人一人を運び出すにも順番を決めなければならない。
使える理由を探す方が難しかった。
「本当に、ここを使うんですか」
カリンが振り返る。
「それを決めるための下見です」
「久世さんは、もう決めてると思いますけど」
「潜るのは久世さんじゃありませんから」
後ろで撮影スタッフが息を漏らした。
俺が見ると、口元を押さえて咳払いをする。
さらに奥へ進んだ。
靴底が土埃を踏むたび、曲がり角の向こうから少し遅れて音が返ってくる。照明の外には、閉じたシャッターと剥がれかけた広告が並んでいた。
そのほかには、何もいない。
カリンの足が止まった。
「反応がありません」
腰の装備に触れたまま、暗がりへ目を凝らしている。
「モンスターがいない?」
「少なくとも、この近くには。探索済みでも、ここまで綺麗に空になることは少ないです」
昨日確認した第一通路では、物陰から小型が何体か出てきた。そのたびにカリンが先に気づき、案内員が記録している。
今日は、その手順が一度もない。
「何かを避けている可能性はあります」
カリンの視線が、壁から天井へ移る。
俺は足元を見た。
土埃の上に、細い線が二本走っている。
一定の幅を保ったまま、通路の奥まで続く車輪跡だった。
「最近、ここへ何か運びましたか」
案内員が線の脇へしゃがみ込む。
「管理側では何も。第二通路は、今週に入ってから閉鎖しています」
「制作側の下見は」
「申請上は、今日が最初です」
跡の上には新しく埃が積もっていない。
誰かが、閉鎖されたあとに台車を入れている。
車輪跡を踏まないように端へ寄り、曲がり角を一つ越えたところで、カリンの腕が横へ伸びた。
「待ってください」
全員が止まる。
壁際のタイルが崩れた場所に、黒い杭が斜めに刺さっていた。
二十センチほどの金属製で、通路の照明を鈍く返している。先端にこびりついた赤黒いものは、乾いて表面がひび割れていた。
撮影スタッフが反射的にカメラを向ける。
カリンが腰を落とした。
「触らないでください」
思ったより強い声が出た。
カリンの肩が止まり、こちらへ顔だけを向ける。
「触りません」
「すみません。そのままで」
彼女は何も言わず、杭から一歩離れた。
撮影スタッフに、杭だけでなく壁面と床、曲がり角まで続けて撮ってもらう。俺もスマホを出し、距離を変えながら記録した。
杭の根元には、三本の細い溝が刻まれている。
鞄から小さな透明袋を出した。中に入っているのは、前のリハーサルで使われていた拘束具の破片だ。
袋越しに並べると、溝の幅までよく似ていた。
「これは、何に使うものですか」
カリンが杭から目を離さずに答える。
「誘導具だと思います。匂いをつけて、モンスターを呼び寄せる道具です。討伐や捕獲で使いますけど、勝手に刺していいものではありません」
案内員が端末を操作する。
「この区画での使用申請は出ていません。管理側の設置物でもありません」
「今のやり取り、音も入っていますか」
撮影スタッフがカメラを確かめた。
「入ってます。位置関係も撮れてます」
杭から車輪跡へレンズを移してもらう。
人の足跡は、ところどころで途切れていた。車輪の線だけが、暗い通路のさらに奥へ伸びている。
発見時刻と位置、同行者の名前をスマホへ打ち込む。案内員にも、管理側の記録を残してもらった。
ここで先へ進む理由はなかった。
通信が戻る場所まで引き返し、久世へ電話をかける。
三回目の呼び出しで繋がった。
『どう? 使えそう?』
「第二通路は使えません。無許可の誘導具らしいものが設置されています」
『杭?』
指が止まった。
まだ、形は伝えていない。
「なぜ杭だと分かったんですか」
電話の向こうで、一拍だけ雑音が続いた。
『誘導具なんて、大体そういう形でしょ。管理の人がいるなら、抜いてもらえばいいよ』
「設置者が分かりません。他にも仕掛けられている可能性があります」
『それを確認するための下見じゃないの?』
「俺たちは、未申請の誘導具を処理するために来たわけではありません」
声を荒らげるつもりはなかった。
ただ、ここを曖昧にすれば、二日後には人と機材が入る。
「管理側の調査が終わるまで、第二通路は使えません」
『決めるのは俺だよ』
「撮影を行うかは、久世さんが決めてください」
隣の案内員を見る。
「この施設が通路を貸すかどうかは、管理側の判断です」
案内員が通信機へ顔を寄せた。
「第二通路は一時封鎖します。安全確認が終わるまで、撮影許可は出せません」
久世は何も言わなかった。
遠くで誰かと話す声が入り、数秒後に返事が戻る。
『分かった。後で連絡する』
通話が切れた。
ほとんど同時に、カリンのスマホが震える。
画面を見た途端、彼女の口元から力が抜けた。
「久世さんですか」
カリンは無言で画面をこちらへ向けた。
『下見の段階で過剰反応しないよう、相原さんに説明して』
『カリンが不安がるから、周りまで神経質になってるように見える』
文面の中に、俺も案内員もいなかった。
通路を止めたのは、いつの間にかカリンの不安になっている。
「……すみません」
カリンはスマホを伏せた。
「俺が止めました。封鎖したのは管理側です」
「でも、こういう時はいつも」
「今は戻りましょう」
口にしたところで、久世の文章が消えるわけではない。
それでもカリンは頷き、スマホをポケットへしまった。歩き出した足音が、来た時より硬く通路へ響く。
入口へ戻ると、案内員が黄色い封鎖テープを取り出した。
壁から壁へ渡し、日付と管理番号の札をつける。その作業が終わる直前、腰の通信機から管理室の声が流れた。
『管理室から現地班。第三層で大型反応を確認』
案内員の手が止まる。
『現在、第二通路方向へ移動中。繰り返す。大型反応が第二通路へ接近中』
通路の奥で、何かが壁を擦った。
音だけで、照明の届かない場所の広さが変わったように感じた。
カリンの手が短剣へ伸びる。
「出ます」
撮影スタッフを外へ押し出し、案内員にも続いてもらう。
カリンは暗がりを見たまま後ろへ下がった。彼女がテープを越えたのを確かめてから、俺も入口側へ出る。
奥で、重いものが壁にぶつかった。
残されていた古い看板が落ち、金属音が何度も通路を跳ね返ってくる。
昨日までの進行表なら、あの奥にミアが立つことになっていた。
すぐ後ろにはカメラが入り、音声と照明のスタッフが退路を埋める。
俺は剥がれかけた封鎖テープの端を引き、入口の柱へ張り直した。
暗闇の中で、また何かが動く。
誰も怪我をしていない。
カメラにも、まだ何も映っていなかった。




