第十二話 ゴーレムに付いていたもの
翌日の昼休み、スマホが震えた。
画面に出た名前を見て、背筋が伸びる。
カリン。
昨日、別れ際にもらった「助かった」が、まだ頭の片隅に残っていた。
『今日、少し会えますか』
その下に、駅名と店の名前が続いている。
会社から三駅。
近くはないが、人目を避けるにはちょうどいい距離だった。
定時を少し過ぎて会社を出た。
指定された喫茶店は、駅前の古い雑居ビルの二階にあった。階段の途中には色褪せた食品サンプルが並び、扉を開けると、コーヒーに古い煙草の匂いが混じって鼻へ入る。
店内は暗く、席の背もたれも高い。
奥のボックス席に、帽子を目深に被った女が座っていた。マスクまでしているが、見間違えようがない。
推しというものは、顔の半分が隠れていても分かるらしい。
こちらに気づいたカリンが、小さく手を上げる。
「すみません。急に」
「会社から、そこまで遠くないので」
嘘ではない。
近くもないが。
向かいに座ると、カリンは店内を一度見回した。
テーブルの端には、手をつけていないアイスティーが置かれている。溶けた水滴がコースターの外まで広がっていた。
「怪我、大丈夫ですか」
「探索者としては、これくらいです」
カリンが左腕を上げる。袖の下で包帯が擦れた。
「その基準で朝、血だらけだったんでしょうが」
思ったより強い口調になった。
だが、カリンは怒らなかった。
帽子のつばの下で、少しだけ目を細める。
「そうですね」
それだけ言うと、鞄から小さな透明袋を取り出した。
テーブルへ置かれたのは、黒い金属片だった。
指の第一関節ほどの大きさで、片側が歪んでいる。端には丸い穴。表面には泥と、乾いた赤黒い汚れがこびりついていた。
「これを見てほしくて」
「俺にですか」
「こういう細かいところ、気づく人なので」
どういう評価なんだ。
袋を持ち上げ、照明へ透かす。
片面に細い溝が三本。裏には潰れかけた英数字が刻まれていた。
読めるのは、七と、たぶんK。
「ゴーレムの一部ではなさそうですね」
「昨日、着替える時に見つけました」
カリンが包帯の巻かれた腕を示す。
「腕当ての隙間に刺さってたんです。払われた時だと思います」
岩の腕に押し返された瞬間が頭に浮かぶ。
ゴーレムと装備が触れたのは、あの時だろう。
「でも、石じゃない」
「私も気になって、準備中の映像を見直しました」
カリンがスマホを取り出し、写真を表示する。
昨日の倉庫。
リハーサル用のモンスターを載せていた荷台だ。
拡大された拘束具には、三本の溝と、端の穴が見える。根元には小さな刻印もあった。
七とK。
袋を写真の横へ置く。
形は完全には一致しない。
ただ、同じ規格の部品だと言われれば納得できる程度には似ていた。
「ゴーレムにも、拘束具が使われていた可能性がある」
「可能性だけです」
カリンはすぐに言った。
「ダンジョン内に放置されていたものが引っかかっただけかもしれません。別の探索者が使ったものかも」
配信で見るより、ずっと慎重だ。
期待に合わせて話を進めようとはしない。
「ただ、昨日使っていたものと同じ刻印がある」
「はい」
店員が水を置きに来た。
俺たちは口を閉じる。
店員が離れてから、もう一度袋を見る。
昨日まで頭の中にしかなかった違和感が、今は形を持ってテーブルの上にある。
ゴーレムが現れた時、ディレクターは驚かなかった。
台本をめくり、撮影を続けさせた。
終わった後には、もう少し引っ張れたと言っていた。
「これ、カリンさんが持っていて大丈夫なんですか」
「大丈夫じゃないと思います」
返事が早い。
「それで、俺に?」
「私の部屋や荷物は、事務所の人間が確認できます」
「勝手に入るんですか」
「契約上は、衣装と貸与装備の管理です。部屋も事務所名義なので」
違法かどうかは分からない。
ただ、逃げ道を塞ぐには都合のいい契約だった。
金属片を鞄へ入れる。
軽いはずなのに、鞄全体が重くなった気がした。
その時、カリンのスマホが震えた。
画面を見た途端、帽子の下から表情が消える。
「どうしました」
カリンは何も言わず、スマホをこちらへ向けた。
事務所からの一斉連絡だった。
昨日の配信が想定を大きく超える反響を得たこと。
ミアの登録者数が一晩で伸びたこと。
切り抜き動画が急上昇に入り、スポンサー商品の売上も増えたこと。
そして、一週間後の特別配信が決定したこと。
新人探索者ミア・覚醒企画。
カリンとの師弟共闘。
より高難度の区画へ挑戦。
「昨日の今日で?」
「スポンサーが押したみたいです」
通知には、ゴーレム戦の説明も添えられていた。
想定外の強敵に、探索者たちが力を合わせて立ち向かった。
新人の成長と、仲間の絆が生んだ奇跡。
昨日の事故は、もう成功物語へ作り替えられている。
「問題にならなかったんですね」
「最初から、問題にする気がないんでしょうね」
カリンの指が、ストローの紙袋を折る。
細い紙が、音もなく潰れた。
「配信が止まれば、少しは時間ができると思ってました」
「止まるどころか、次の企画ですか」
画面には、ミアの笑顔が大きく使われている。
昨日、剣を握る手を震わせていた少女だ。
その横には、期待の新人という文字が踊っていた。
「ミアは、もう知ってるんですか」
「まだだと思います」
「断れます?」
カリンは答えなかった。
紙袋を折っていた指だけが止まる。
新人で、経験も浅い。
昨日の配信が成功したせいで、怖かったという言葉すら言い訳にされる。
俺はもう一度、通知を見る。
昨日の戦いは奇跡だった。
誰か一人が遅れていれば、そう呼ぶ人間すら残らなかったかもしれない。
「次も、同じことをするつもりですかね」
カリンがスマホを伏せる。
グラスの中で、氷が小さく鳴った。
否定はなかった。
鞄の中には、黒い金属片が入っている。
証拠と呼ぶには弱い。
無関係だと捨てるには、形がありすぎる。
「一週間ですか」
「はい」
その七日間が、急に短く見えた。




