第五話~短編集~
翌日、私なんかが文芸部に行っていいものかという迷いは晴れないまま、放課後になった。早矢からは「真面目だね」なんて言われたけれど、本当に真面目だったら今までの人生でこんなにも読書から逃げてはいない。
重い足取りのまま部室へと向かう。騒がしさから少し離れた廊下は慣れつつあるものの、昨日早矢から聞いた如月先輩評に気後れしている。それでも私のために待ってくれているのだろうと思えば、行かないわけにはない。
だってもし私がその立場なら、来ないと寂しいだろうから。
「失礼します」
そっとドアを開けて中を覗いてみれば、誰もいなかった。早く来過ぎたかなと思いつつ、おそるおそる中へと入る。まだ机も椅子も出されておらず、単なる資料室のまま。私はカバンを持ったままどうしていいかわからず、周囲を見回したり入口の方を見て如月先輩が早く来ないかなと願うばかり。
五分ほどしても来ないので帰ろうかなと思ったけど、入れ違いになったらそれこそ次回顔を合わせにくくなるだろう。そう思った私は部室の隅にカバンを置き、片付けられてある机や椅子を引っ張り出す。
確かこんな感じだったかな。
そうして一人分の用意ができた所で、カラカラと音を立ててドアが静かに開いた。別の椅子を運んでいる私と如月先輩の目が合うなり、先輩は大きく目を開ける。
「清水さん、ごめんなさい。ちょっと色々あって遅くなっちゃって」
「いえ、大丈夫です。あの、机とかの配置ってこうでしたっけ?」
頭を下げる如月先輩に私は椅子を置き、慌てて胸の前で手を振る。別に先輩が遅れたからって苛立ちは無い。ただ美人ですごい如月先輩が頭を下げた事に対して、逆に申し訳なく思ってしまった。
「うん、ありがとう。問題無いわ。後は私がやるから」
如月先輩が慌てて中に入り、床にカバンを置いて私に近付こうとした時だった。先輩がきゅっと眉根を寄せ、動きを止める。どうしたのかなと私が思わずじっと見詰めると、如月先輩が静かに笑った。
「……いえ、折角だからやってもらおうかな。清水さんも部員だから、覚えておいて損は無いものね」
「そうですね」
三日も来れば部員扱いでも仕方ない。それにここまで来て先輩にやらせるのも違うなと思ったので、そのままもう一セット机と椅子を用意した。
「ありがとう。すごく助かったわ」
「いえいえ、そんな。一年なんでこのくらいはやりますよ」
向かい合うように座ると、如月先輩がにこりと笑った。やっぱり美人は笑顔も素敵だ。それにこんな私にも丁寧に接してくれるなんて、本当に良い人なのだろう。普通親が偉かったりお金持ちだったり、学年トップだったりと人より高みにいれば偉そうにするものだろうから。
ましてや私は一年。だから頭を下げたり素直に感謝を伝える先輩に、私はただただ憧れを抱いてしまう。
「それでね、とりあえず家から清水さんにオススメかなと思った本を持ってきたの」
そう言うなり如月先輩がカバンから三冊の文庫本を取り出した。どれもそこまでの厚さは無い。
「これは割と上手い表現が使われているやつで、こっちは短編集。そしてこっちが児童文学寄りのやつ。気を悪くしたのなら申し訳ないけど」
「あぁ、いえ、私のレベルを考えてくれるのは嬉しいです。その、今まで本を読んでこなかったから、気を遣わせてしまって」
先輩というよりは最早、先生のよう。そんなおかしさに胸が波打つのを感じつつ、じゃあと私は最初に紹介された上手い表現が使われているという小説を手に取る。
「大体、二百ページですか」
私はこの厚さなら何ページなのだろうと最後のページをめくれば、二百六頁と書かれているのが目に入った。もちろん先輩がいつも読んでいるものや、昨日図書館から借りてきてくれたものはこの倍以上厚い。本好きの人からすれば物足りないのかもしれないが、私にとってはこれでもかなりの物語だ。
「色々持ってきてごめんなさいね」
「いえ、嬉しいです」
早速私は最初のページをめくった。
数ページ読み進めてみたものの、なかなか物語が進展しないため本から顔を上げ大きく息を吐く。丁寧に書かれているため臨場感はあったけど、私にはまだ難しそうだ。
「ごめんなさい、これはまだ私には難しいかもしれません。なかなか面白くならなくて」
本を閉じ、申し訳なく如月先輩の方を見る。すると同じく読書をしていた先輩が本を置き、目を細めた。
「いいの、正直に言ってもらえて。そうね、多分まだ長い話は読めないのかもね。じゃあ、短編はどうかしら。これは一話が十ページとか二十ページほどで終わるから、展開も早いわよ」
なるほど、それなら読めるかもしれない。私はぐるりと頭を一つ回して大きく伸びをしてから、勧められた短編集を手に取った。
これは今までと違い、最初からいきなり緊迫感があった。そんなに難しい言葉も無く、話がどんどん進んでいく。気付けば十五ページほどの物語を一気に読み終える事が出来た。
「先輩、終わりまで読めました」
つい勢いよく言ってしまったが、如月先輩がすぐに本から顔を上げて自分のように嬉しそうに笑う。
「本当? すごいじゃない、清水さん」
先輩に比べたら、なんて一瞬考えたけど今はこの達成感を味わっていたかった。私は素直に口元を緩めると、大きく一つうなずく。
「如月先輩のおかげですよ。私にも読める本を選んでくれたので」
私は本についてある紐のような栞を挟むと、一度それを机に置いた。
「それで、読み終えた感想はどう? よかったら聞かせて欲しいな」
まだ頭の中で鮮明に物語が残っている。けれど、どう面白かったのかどう凄かったのかまでは上手く言葉にできそうにない。
「面白かったです。どんどん話が進んで行って、最後にドーンとオチがあって」
我ながら酷い説明だなと苦笑いしか生まれない。しかしそれでも如月先輩は本当に楽しそうな顔で私の話を聞き、うなずいてくれる。
「一話目のそれ、テンポいいわよね。この世の終わりみたいな世界の中で偶然のチャンスをものにして生き残るけど、結局外にはもっと悲惨な世界が待っていたって結末。ハッピーエンドが好きな人には苦手かもしれないけど、文章力が高いから不思議と納得させられちゃうのよね」
私と違って先輩の説明は凄く上手で、聞いていて自分の言いたかった事を表してくれるからうなずきしか生まれない。あぁ、これが頭の良い人なんだろうな。本を読んでいれば、いつか私もこんな風に言えるんだろうか。
「でも、たったこれだけの話なのになんか疲れちゃいました」
達成感が徐々に落ち着いてきたのか、私は力なく笑うと椅子の背もたれに大きく体をあずけた。手をだらんと下げ、腰がずり落ちる。そんなだらしない座り方を注意する事も無く、如月先輩はただ優しい眼差しを送り続けてくれていた。
「読書は体力使うからね」
「変な話ですよね、座って本読んでるだけなのに」
座って本を読んでいると言っても、まだ三十分ほどしか経っていない。授業だってもっと長いのに、まるで体育の授業の後のような疲労感がある。
「でもね、頭は凄く使うでしょ。頭は身体の中で一番エネルギーを使うからね、当然疲れるの。それに読書も筋トレと一緒で、鍛えてないとずっと読めないよ」
「あー、まぁ、意味は何となくわかります」
確かに昨日よりは苦手意識が無かったかもしれない。図書館へ行き、読書に触れた昨日よりもずっと今日の方が集中できたような気もする。
「まずは好きな話を少しずつ読んでいけば、集中して読める時間も増えていくわよ。結局ね、何事も筋力や体力が無いとできないものなの。清水さんは最初だから伸びしろも大きと思うから、読むのにもう少し慣れたらどんどん世界が広がるわよ」
「毎日読書ですか……まぁ、部員ですもんね」
私は姿勢を正し、きちんと如月先輩に向き合う。
「別に毎日じゃなくてもいいのよ」
心配するように、不安げに如月先輩が私を見詰め返す。だから私は力強く首を横に振った。
「いえ、今続けて読まないときっと面倒臭くなるので。折角一つちゃんと読めたのなら、今のうちに慣れておかないと」
そして私は手元にある本に目を落とした。
「これ、借りてもいいですかね? これなら読めそうかなって」
「えぇ、もちろん」
安心したのか、先輩は自分の胸に右手を当てた。そうして笑えば、私もそれに合わせて笑う。何だかやっと、三日いて如月先輩と繋がれたような気がした。早矢には笑われるかもしれないけど、こんな私でも読書ができるのだとわかったのが一番の収穫かもしれない。
そしてほんの少しだけど、読書の面白さの影を踏めたような気がした。




