第二話~退部の決意~
「ねぇ美空、昨日約束してたのに来なかったでしょ。何かあったの?」
翌日教室に行くと、さっそく早矢が私の所へとツカツカ歩み寄り、開口一番そう訊いてきた。ポニーテールを揺らしながら不満気に見詰めるその姿に、私は申し訳なさを隠そうともせず頭を下げるしかない。
「ごめん。忘れてたわけじゃないの。教わってた部屋を間違えて」
「ほんともう、そういうとこ中学の時から変わらないんだから」
呆れたように早矢が唇を尖らせ、ふうっと息を吐きながら肩を落とす。けれどまだ眉根は寄ったままだ。
「で、その後は探さなかったの?」
「いやその、流れで文芸部に入る事になっちゃって」
「何でそうなるのよ?」
大きく目を見開き、信じられないと言わんばかりに怒りと憐れみを込めた視線。私はもうどう説明すればいいのかわからなくなり、自分の頭に手をやった。
「えぇとね、部室間違えて入ったらそこにいた部長さんに勧誘されちゃって。断って漫研の部室を探そうと思ったんだけど、籍だけでもいいからって言われて入部する事になって」
同情なのか、そう言えば解決すると思ったのか、今じゃもうハッキリしない。
「あ、でも掛け持ちいいよって言ってたから、漫研にも入れるよ」
「それはまぁいいんだけど……美空、本なんて読むの? 見た事無いんだけど」
小首を傾げる早矢に急所を突かれ、私は言葉に詰まる。
「いや、読まない」
読書なんて小学校低学年の時に絵本とかそれに似たようなものを借りて以来、まともにしていない。いわゆる児童文学もだ。せいぜい国語の教科書に載っている話くらいしか見ていないが、それだって割と苦痛に感じている。
だってつまらないから。
眠くなるから。
文字ばかり見てもよくわからないから。
「だよねぇ、美空が読書なんて」
からかうように笑う早矢に私は何も言えなかった。ただ苦笑いし、昨日の自分を反省するばかり。
「漫研はまぁ、また今度行くよ。とりあえず籍だけでもとか言ってたけど、やっぱこんな私が文芸部だなんてさすがにアレだから、断ってくるよ」
「わかった。じゃあ漫研の方はいつでもいいから、声かけて。うちは別に描く人じゃなくてもいいし、読むだけでもいいからさ」
小説よりはまだ漫画の方が読める。それに早矢と放課後もっとお喋りできるなら、そっちの方が楽しいだろう。後腐れないよう、ちゃんと辞めるって伝えなきゃ。
私がそう決意した時、丁度ホームルームを告げるチャイムが鳴った。
しかしいざ断ろうと決意しつつも、昨日話した如月先輩の事が忘れられなかった。
美人で、不思議な魅力のあるあの先輩との繫がりが失われるのは少し惜しい。でもその少しに更なる理由付けはできないから、やはり断った方が良いのだろう。籍だけと言っていても、下手に在籍していれば何が起こるかわからないから。
授業中ひたすらそんな事を考えていたせいで、放課後になる頃には背中に重りがつけられたような疲労感に襲われていた。
「それじゃ、早矢またね」
ざわつく教室の中で早矢と笑顔で別れると、私はやや重い足取りであの部屋へと向かう。場所は二階の資料室。これから帰ろうとする人、部活へ行こうとする人とは反対側の廊下にある。だから階段付近の混雑を抜ければ、ほとんど生徒がいない廊下へと出た。
反対側の廊下を窓越しに見れば、青春が詰まっていた。対してこちら側はまるであの先輩のよう。わかりやすい光から遠ざかっているけど、でも確かな輝きがある。
だけど本を読まない私にこの輝きは似合わない。
徐々に重くなる足取りを最後は引きずるようにして、私はやっとその部屋の前に立った。
「失礼します」
カラカラとなるべく静かにゆっくりとドアを開ければ、もう如月先輩がそこにいた。きっと来たばかりなのだろう、片隅に置いてあった椅子や机を移動させている最中らしかった。それでも私を見るなり、にこりと笑いかけてくれる。
「こんにちは、清水さん。さっそく来てくれたのね」
軽やかな声とその笑顔に、私の決意が一気に揺らぐ。朝のホームルーム前から六時間目の授業終わりまで、一生懸命考えていたそれが消えそうになる。
「えぇ、まぁ」
無理だ嫌だと断るのはいつだって苦手。だけどそうしていればいつだって、損をするのは自分だと最近わかってきた。揺らぎ消えかけた決意を再び握り直すと、私は如月先輩を見詰める。
「あの、昨日入部するって言ったの、取り消そうと思いまして」
「そうなの?」
椅子を運ぶ手を止めた如月先輩が、少し大きく目を開けたかと思うと視線を落とした。その様子に私の胸が痛むけど、仕方ない。だってこのままこんな私がいても、遅かれ早かれ先輩を傷付けるだろうから。
「はい。あの私、本とか読まないんで。あと、籍だけ置いてても面倒事とかあったら嫌だなぁって思ったんです」
そうなんだ、仕方ないね。そんな言葉が聞こえてくるものだとばかり私は思い、身構えていた。けれど先輩は何故か嬉しそうに笑い、耳に届いたのは軽やかな漏れ笑い。
「それってどのくらい本を読まないの?」
思っていたのとは違う反応に私は戸惑い、何とか心の底をあさる。
「え、いや……どのくらいって、全然読まないです。絵本くらいで止まってますよ」
「かいけつゾロリとかおしりたんていとかは?」
「読んだ事無いですね。名前くらいしか知らないです」
本好きな人からすれば、そんなのも読んだ事がないんだと馬鹿にされてるんだろうな。まぁだからこそ、なおさら私が文芸部なんて場所にいれるわけないんだけど。
「じゃあ、絵本だとどんなの? シンデレラは? 浦島太郎は?」
「さすがにそれは読んだ事ありますよ」
これでわかった。私はハッキリ馬鹿にされている。読書が好きなんて人は結局自分の知性を自慢げに誇り、他人を下等な人達だと思っているんだ。じゃなければシンデレラや浦島太郎なんて例を出さない。そんなの知らない人なんてほとんどいるはずないのに。
きっと私は憎しみで眉根を寄せていたのだろう。如月先輩は少し困ったように小さく胸の前で手を横に振ると、なお一層笑いかけてきた。
「馬鹿にされてると感じたのなら、ごめんなさい。私はただね、羨ましいなって思ったの」
「羨ましい? 何がですか?」
きっとこれも私がわからないだけで、馬鹿にされているのだろう。だから眉間のしわが深くなる。でも如月先輩は大きく首を横に振った。
「それってこれから新鮮な気持ちで名作に触れられるんでしょ? 一生に何度も経験できない事だよ。シンデレラだって浦島太郎だって、元は小説なんだよ」
実に嬉しそうに、羨ましそうに言う如月先輩に私はもう毒気を抜かれ笑うしかなかった。乾いた笑いだったろうけど。そうして何度も頭をひねり手をあて、前髪をかき分け天を仰ぐ私だったけど、やがて真っ直ぐに如月先輩を見た。
そうしながら生まれた、単純な疑問と共に。
「先輩は何でそんなに読書するんですか?」
私のように本を読まない人からすれば当たり前であり、一番の疑問。けれど如月先輩は涼しげな顔で微笑んで見せた。どこか余裕を持って。
「楽しいからよ。ただ、それだけ」
だけど私はそれに素直にうなずけなかった。




