第十五話~三人での部室~
「だから言ってるじゃない、お姉ちゃんのことが心配なんだってば」
怒り気味の大きな声で聞こえてきたのはあの妹の声だった。私は心底うんざりしつつ、それでも先輩が何を返すのか気になってドアの傍まで近寄る。
「その気持ちは嬉しいけど、でも私は今のままで良いの」
決してそこまで大きな声ではないけど、しっかりとした響き。私はもうドアのすぐ傍にしゃがみ込み、聞き耳を立てるばかり。もし他の人に見られれば、不審者だ。先生に見つかれば、何をしていると声をかけられるだろう。
「良くないよ、絶対良くない。そもそも静かに読書をする時間とスペースが欲しいからってこの部室を作ったんでしょ。友達にだってうちの力で根回ししたんでしょ。知ってるんだから」
相変わらずキンキンとうるさい声だ。それが先輩を追い詰めているだなんて、全く考えていないんだろうな。
「勘違いしてるようだけど、私は個別にお願いしたの。そのお礼にお菓子を渡した事はあるけど、そんな事はしていない。そもそも雪奈、家の力って言うけど別にうちはそんなに影響があるほどのものではないのよ。親が大企業に勤めてるってだけ。ただそれだけよ」
私には向けた事のない直接的な怒り。姉妹だからなのだろう。ここまで言っている事は文乃先輩が圧倒的に正しいけど、さてどうなるのやら……。
「あーもう、なんでわかってくれないのよ。こんなに心配してるのに。ずっと私が守ってきたのに。アイツに何か変な事でも吹き込まれたんじゃないの? お姉ちゃん、今までそんなんじゃなかったよ。私の言う事は何でも聞いてくれてたのに」
「アイツって、美空さんの事? 雪奈、そういう言葉遣いはやめなさい。うちは別に立派な家柄ってわけじゃないけど、言葉遣いはしっかりしよう」
これはちょっと、入れる雰囲気じゃないな。そう思うけど、帰れない。足が動かない。私は部室のドアの傍で息を殺すばかり。
「うるさいなぁ、もぉ。ここ最近、どうなってるのよ? 私の心配やお願いは何も聞かないくせに、あれこれ文句ばっかり。私がどんだけ心配してると思ってるの? ずうっとだよ、ずうっと。お姉ちゃんは私がいないと駄目なんだから。だからお姉ちゃんも私の言う事を聞いて欲しいだけなのに」
「気持ちは嬉しいよ、そう言ってるじゃない。だけど」
ガタリと中で大きな物音がした。
「お姉ちゃん?」
そして即座に響く妹の大きな驚き。私はもうすぐにでも中に入って状況を確認したかったけど、今行けばきっと妹が荒れて先輩はより苦しむかもしれない。
「お姉ちゃん、ねぇ大丈夫? ちょっと、しっかりしてよ」
きっと先輩は胸を押さえて苦しんでいるのかもしれない。私は姉妹同士で任せようと思ったけど、中からはうろたえる声しか聞こえない。私は奥歯を噛み、ぎゅうっと拳を握ると部室のドアをガラガラと勢い良く開けた。
案の定、文乃先輩が床に膝をつき胸を押さえて苦しんでいた。妹は私を見るなり一瞬驚いたものの、すぐに顔を真っ赤にして睨みつけてくる。
「アンタ、何で」
言い返したい事はたくさんあったけど、今はそんな暇ない。私は無視してそのまま文乃先輩の側に近付き、しゃがんだ。
「大丈夫ですか?」
「あ……美空、さん……。だ、だいじょう、ぶ……少しすれば……落ち着く、から」
硬く目を閉じたままの先輩はきっと私を見ていない。けれど私を認識してくれた事が嬉しく、以前のように胸を押さえていない左手にそっと触れた。小刻みに震えているそれはどれほどの痛みを我慢しているのだろうか。私にはわからないのが悔しい。
「でもすごく、前よりも苦しそうですよ。保健室に行った方が」
文乃先輩は弱々しくも力の限りにうなだれたまま首を横に振る。
「だい、じょうぶ、だから……大事にしたくない、の」
その気持ちはわかるけど、でもそんな場合でも無いような苦しがりように私の胸もきゅうっと締まるかのよう。
すると突然、ぐいっと私は肩をつかまれて後ろに引っ張られた。仰向けに倒れそうなのを何とか堪えて上を見れば、妹が目を吊り上げ顔を真っ赤にし、まるで鬼の形相で睨んでいる。
「ちょっとアンタ、何勝手にお姉ちゃんと話してるのよ。何様のつもりよ」
細かい唾が飛んでくる。それがまぶたの近くに飛んできたので私はぐいっと手の甲で拭うと態勢を戻し、立ち上がった。
「今そんな場合じゃないでしょ! 状況見て考えなさいよ」
部室中に響く私の怒りに妹が一歩下がった。私はもうそのままの勢いで、一歩前に出て距離を詰める。
「先生呼んできてよ」
「何で私が」
不満気に、でも先程の勢いがなくなった妹はこの期に及んで反論ばかりで何もしない。私はもう頭にきて、ぐっと顔を寄せた。
「じゃあ私が行くよ。大事にしたくないって先輩の気持ちはわかるけど、何でもないなら何でもないでいいよ。でも、何かあったら遅いんだからね」
そう吐き捨てて部室を出ようと入口の方へ体を向けた時だった。不意に私の足首がつかまれ、びくりと身体が震える。すぐさま目を向ければ、文乃先輩がもう床に這いつくばりそうな体勢になりながらそうしていた。
「待って……お願い、だから。もう少しだけ、待って欲しいの」
「でも」
「もう少し……五分して治まらなかったら、それでいいから。だから」
私はもう顔をくしゃくしゃにし、怒りや悔しさなどが入り混じった感情を何とか飲み込もうとする。うつむき、天井を見上げ、硬く目を閉じて息も止め、顔を真っ赤にしながら。なかなか飲み込めないそれをようやく自分の中に収めると、私はもう泣きそうな顔をしながら文乃先輩に強い眼差しを向けた。
「わかりました。でも五分ですよ」
こんな時、自分の感覚なんかあてにならない。私はブレザーの内ポケットからスマホを取り出し、現在の時刻を確認するとまたすぐに戻した。




