第十四話~恋愛小説~
それから一週間、何も起こらなかった。
あの妹がいつまた私のクラスに来るのか、廊下で偶然出会った時に何かまた言われるのかとずうっとドキドキしていた。けれどその間、会わなかった。目にも入らなかった。
だから私は先輩と穏かな部活を過ごしていた。渡された短編小説集を読み終え、今度は短めの恋愛小説に挑戦している。
「あの文乃先輩、どうしてここで恋に落ちているのかわからないんですけど」
けれどわからない表現、文脈はまだまだ多い。だから私はその都度、先輩に訊くようにしている。
「これはね、ここでヒロインの本音を共感しているでしょ。そうして特別だって言ってくれている。だからじゃないのかな」
「あー、なるほど。ここの特別ってそういう意味だったんですか」
最初は私もためらった。けれど部活の終わりに、わからない事があればすぐに教えてと言われたので、素直に従っている。そうする事によって私も読書がわかるようになりより一層楽しくなってきたし、文乃先輩も教えてくれている時は少し嬉しそうにしてくれているから怖気づかずに訊く事ができた。
「まぁ確かにこの場面は行間を読むことが多いから、少しわかりにくいかもね。ただそうした間が、二人の甘い雰囲気を作っているんだと思うの」
「あー、私はまだ書かれてる事しか理解できないけど、そういうのもあるんですね。さすが先輩、恋愛も詳しいんですね」
すると文乃先輩は苦笑いを浮かべ、ついっと小説へ目を向けた。
「本の中だけよ。実際はそう言う経験、無いもの」
「え? さすがに嘘ですよね。だってこんな、すごい美人なのに?」
思わず身体を浮かせ前のめりになると、文乃先輩は更に私から表情を隠すように小説を顔に近付けた。
「本当よ。興味が無いわけじゃないの。ただ、親が厳しいし身体も弱いから……」
「告白とかされたりしてるでしょう、さすがに」
「こういう話になると饒舌なのね」
チクリと刺してきたけど私の好奇心は止まらない。先輩のプライベートなんてほぼ聞かないし、一体こんな美人がどれほどモテるのか知りたかった。だから私は更に顔を近付け、もう机に胸が付くくらい身を乗り出す。
「そりゃあ気になりますよ。一体文乃先輩くらい美人なら、どれだけ告白されるのかって」
文乃先輩はもう小説と顔をほぼくっつけ、少ししてから溜息をついた。
「言うほどいないわ。四人くらい、だったかしら」
私からすればかなり多いけど、文乃先輩からすれば一桁足りないんじゃないかと思う。
「え、それだけですか? あー……でも、文乃先輩って届かないような存在に見えるからみんな怖気づくのかなぁ」
「どうなのかしらね。それより、そろそろ本に戻って」
これ以上は嫌われるかもしれないと察した私は素直に従い、また小説を読み始める。
かく言う私も恋愛経験はほとんどない。小学生の時に友達の延長で一人、中学生の時に告白こそなかったけどいい雰囲気になった人がいただけ。だから恋愛小説を読んでいて胸が甘く痺れる感覚はわかるけど、立体感が無い。
高校には行ってからは日が浅いのと、こうして文乃先輩と仲良くなってからはクラスの男子がすごく幼稚に見える。だから恋愛なんて考えられない。
でも今はいい。ただこうして、先輩と静かな場所で読書できるだけで満足している。時折こうしてお喋りして、軽口を言い合えるようにもなった。
どこよりも大切で、素敵な場所。小説に集中していても、先輩の気配が感じられるだけで私は幸せなのだから。
ふと小説から窓辺へと目を向ける。六月の陽射しは眩しく熱を持っているため、気付けば部室に熱がこもっていた。私はそっと小説を置くと、静かに窓を開ける。するとすぐに軽やかな風が入り込み、その熱をさらっていく。
グラウンドからの野球部の打球音が更に大きく響いた。
「いやぁ、美空もすっかり文芸部員なんだねぇ」
放課後、カバンを持って部室に行こうとした時に早矢にそう言われたため私は足を止めた。それがちょっと小馬鹿にされた感じだったため、思わず睨みかける。
「なに、急に?」
すると早矢は私の肩をポンポンと叩き、笑いながら首を横に振った。
「いやいや、違うのよ。怒らないでよ。だってほら、本読む人じゃなかったのに休み時間も読書するようになったし、部活にも真面目に行くじゃない」
「まぁほら、私って真面目な文学少女だから」
「ほぼ事実だからツッコミにくいなぁ」
ケラケラ笑い合う時、文乃先輩とは違った嬉しさが胸に広がる。色んな友達がいるけれど、早矢と話している時が一番気楽だ。
「でもね、本当に本の面白さに最近気付いたのよ。じっくり考えるから登場人物に深みが出るし、じわじわとした楽しさがわかるようになったんだ。頭の中で映像が浮かぶようにもなってきたんだよ。頭良くなってきたのかなぁ」
「美空、中間テスト平均以下だったじゃない」
「あれはまぁ、まだそこまで身についてなかったから。これからよ」
苦笑しつつその言葉を跳ねのけようとすると、早矢が優しくうなずいてきた。
「まぁそうかもね。でも確かに読書して国語力が上がれば、テストの点も良くなりそうだよね。だって問題文、日本語で書いてるじゃない。読解力上がれば、ひっかけ問題も気にならなくなりそうだし」
「だよね。そうなの、私はこれからの女」
褒められた事で嬉しくなってガッツポーズを見せると、何故だか早矢が少しだけ寂しそうに笑った。
「あーぁ、美空すっかり文芸部に取られちゃった。漫研に誘い込んで楽しく過ごそうと思ってたのになぁ」
その言葉に急に私を覆っていた熱や楽しさが消え、血の気が引いた。そもそも早矢に誘われて漫研に入るつもりだったのに、なし崩し的に文芸部に入ってしまった私。掛け持ちしようとしていたはずなのに、気付けば文芸部に入りびたるようになっている。
「あの、それは」
すっと視線を下げ謝ろうと思った途端、パシンと少し強めに肩を叩かれた。ビックリした私が顔を上げれば、早矢が満面の笑みで笑っている。
「え、なに謝ろうとしてんの? 自分が熱中できるの見つけたんなら、最高でしょ。しかもそれが、今まで全然興味無かったものだよ。すごすぎでしょ、美空」
いつだって早矢はそうだ、私の背中を押してくれる。私がうっすら抱えていた罪悪感がすうっと消え、代わりに承認してくれた自信が胸に入り込んできた。私はふっと顔の力が抜け、自然と笑顔になる。
「それじゃ、そろそろ部活行こうか。じゃあまた明日ね」
笑顔で早矢と別れてからもしばらく、私の頬は緩んでいた。だから部室へ向かう足取りも軽く、この時間混雑している階段前もすんなりと抜けられる。そうして騒がしい教室側とは文字通り反対の廊下を歩く私の足音がわずかに響く。
今日はどんな感じで文乃先輩と読書できるんだろう。
そんな事を思いながら部室のすぐ側まで来ると、不意に違和感を覚えた。私は一度立ち止まり、周囲に気を配る。そうしていると部室の方から話し声が聞こえてきた。けれど何を話しているのかわからないため、私はそうっと忍び足で部室へと近付いていく。




